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惰性で地球一周、それが正解。

本来、記事タイトルとは、関心を引くのに重要なポイントだと認識はあるのだが。

僕はいつもいつも、最後の総括のようにタイトルを決めて付ける。終了間際の惰性で。且つフライング気味の、気の抜けたタイミングで。

その結果、適当なタイトルをつけてしまう『記事タイトル適当問題』が、僕には切実な問題として今重く伸し掛かっている。

しかし、考えれば考えたで力みすぎてギコチのないタイトルが生まれてしまうかもしれないし、かといって立ち止まって考えてみなければ一生このままずるずると、適当タイトル人生になってしまいそうで危うい。

鹿田です、よろしくね。

きっと本来、人は、文を書くにあたっておおかたテーマを持ち合わせている。そしてそれをど真ん中に置いて書き始めるものなのだろうが、つい、鹿田は、(どれ書こうか!)と思った先の突発的行動で書き始めてしまうので、計画も何もない。

今更計画的なnote作成なんて、性格的にも根本無理な話だし、たぶん意識した途端今度は文章の方がぎこちなくなってしまうに違いない。困ったもんだ。

せめて突発的タイトルにしても、目を引くようなテクニックはないだろうか。誰の目にも吸い込むように飛び入るスーパーなタイトル。読まずにいられなくなるタイトル。どうすれば、付けることが出来る様になるか。むむ。ぷすぷす💨💨。

目下の目標が立ったところで、これ以上考察を続けるとオーバーヒートしそうな超低性能鹿田脳を慮って、しばし、閑話休題。

閑話休題といったところでやはり、現状何の話をしようかなど1つのネタも持ち合わせていない。風呂を上がり、温かい牛乳を飲み干した鹿田の脳みそはもはや臨ベッド体制へと移行している。ここで油断しあくびの1つでもかまそうものなら即、睡魔に襲われ、明日への片道急行ブルートレインに強制連行させられてしまうことだろう。おお怖い。しかしその夜のトンネルをくぐった先に常夏のひまわり畑があるのならば、前言撤回もやぶさかではない。

はい、この一言でトップ画像を閃いて大きなひまわりと緑の画像を挿入しました。三つ子の魂百までというならきっと、3歳の頃から鹿田は夏バカだったのだ。そう思うと少し誇らしい気持ちになるのは、やはり夏バカたる所以であろうか。ループ。

結局浮かれ具合だろ。

自身の楽しめ方具合だろう。

その惰性で打ち込んでしまったタイトルならば、分かりやすくもわかりずらくも。なにかしら込めた熱意が伝わるに違いない。同じ波長をもつ人くらいなら悟ってくれるだろ。

考えすぎると面倒になる。

面倒になるとつまらなくなる。

つまらなくなるとやる気が失せる。

だから今バカだバカだと自分自身を正当評価しながら楽しめているこの状態が貴重なのだと悟り、気長に続けられたらそれが最高なんじゃないだろか。


さて、この結論に至るに当たって、今回の鹿田的考察は必要であったか?


…ない。

無意味だ。


無意味最高!

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