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【桐生夏の旅2023】vol.1ーああ念願の桐生八木節編

4年である。

4ということは10になるかならぬか四捨五入のその瀬戸際なのである。そんな体感時間約10年を、僕は耐えて耐えて耐え忍んだ末、やっとこすっとここの日を迎えたわけなのである。

もったいぶらず伝えよう!
僕は今年、やっと念願の桐生八木節を踊り果たしたことをここに、お伝え申し上げます。


鹿田です!よろしく!

どれだけまたせたことか、こいつは。
時に可愛さ余って憎さ百倍とさえ手に余した桐生八木節も、その環の中で踊ってしまえば汗や、汗に隠れて流した涙や鼻水によって浄化され、今一度

『桐生八木節』こそ生き甲斐である!

と、堂々とここに発することができた。
ああ、踊れたよ、あの熱気の中で僕は、鹿田は。
ああ、なんて単純で素敵で奇跡的な作用!盆踊り!

しかしひとことに踊ったといえど、やはり(体感)10年ぶりとあって始めの頃はぎこちなく、あの頃のようにからだが自動的に踊る、とはならなかった。

あの頃であれば勝手にからだが踊った八木節であるが、4年という月日は無残にも僕を初心者の状態へと戻し、周りを見ながら自分の体を合わせる、ということをさせたのである。
(1,2,3,4)と、心の中で刻みながら。かくかくと、ぎこちなく、わたわたと、周囲を見比べて。ああ、あいつはきっと初心者に違いない。そう思われただろうことがひとつ切ない。

けれどそうしているうちに楽しくなっていった。身体記憶も僕を助け、数分も経てば以前のように軽い身体で踊る僕がいた。みんな踊っていて、やぐらのまわりをぐるりと笑顔が囲んで、夢みたいな現実にいた僕はいろんな塩味を味わいながら、最高に夏に満足していた。

と、そんな鹿田のsummer dream trip、略してSDT、笑って読んでいただけたら幸いにございます。


一日目

始まりは8月8日金曜日、午前11:30頃。現在から遡ると先週末のことである(らしくなくこの記事ぎ限っては壮大な編集期間を設けている)

朝イチの仕事を済ませた僕たちは、(僕たちとは言わずもがな、鹿田所長メガネさんである)所長の愛車日産NOTEハイブリットに各々の旅行バックを投げ入れてはつかの間、すぐにぶるるんとエンジンと電氣をふかせ、いざ群馬県桐生市へと旅立ったのである。

車中では各々桐生八木節に対する熱き情熱を語らい、エアコンすら圧するほどのその熱気にて、桐生八木節の予行練習を行った。
また銀行に寄っては旅行の資金を下ろしていざ準備万端となった我々は、視線を再び熱く桐生方向へ向けた。

いざ、桐生!

その熱量は眼球レンズの作用で100㎞以上先の、神山のてっぺんを焦がしたほどである。

注釈…夏に浮かれ、桐生八木節でそのまた浮かれた鹿田は楽しけりゃええといくらでも根拠なきフィクションを取り入れる作風で書き上げてゆく。なので呉れ呉れも鳴神山の天辺は2つあるが、どちらを燃やしたのか、など問わぬよう予め忠告させていただく。


とかく天候の良い高速路を、所長は転がすように愛車を走らせた。エアコンの効いた車中から眺めた景色は、最高峰の夏を体現していたのですこし風でも取り入れたらより心地よくなるのではないかと鹿田は稀なる閃きを抱いた。
そして嬉々として助手席の窓を開けたのだが、その押し寄せる熱気に夏の現実を見た。我が福島県より暑いという群馬県桐生市の祭り、と人の折なす熱気の作用は如何ほどか。それは想像を絶するほどだったのである。鹿田はしばし戦慄したのを覚えている。

無事昼近くインターを降り桐生市に突入した我々は、群馬に訪れた際いつも立ち寄るヤオコーにたちより、簡単な昼食を買うこととなった。して、下車したときの我々の発した叫びはまた想像に難くない。

痛っ!

である。幾千もの可視光線が針となり、日射を照らす皮膚という皮膚を刺して回った。我々は巨大な敵より逃げるように、太陽を顧みることなく、エアコンの効いたヤオコウへとひたすらに・・・・・入店した。

生鮮コーナーの冷気を浴び、回復したのち我々は各々今日の昼食を探しに散開した。僕の頭の中には夜の八木節の後の打ち上げしかないので、昼食はおろそかに、酒類をかき集めては満足していた。所長はヤオコーファンらしく、一押しであるとカゴにおはぎを入れていた。後ほど昼食におすそ分けしてもらったが、絶品であった。

またここで所長の娘さんとお孫さんと合流し、一緒に買い物をしたのちそれぞれ所長の実家へと出立した。

所長の実家

所長の実家ではあいさつをすませ席に座るとすぐどん!と、缶ビールが置かれた。(ああここから素敵な桐生daysが始まる!)と内心はちきれんばかりの興奮がその時生まれたが、ま、まだ来たばかりなので裏腹に「すみません、ありがとうございます」と言っては上品に飲んだ。

2本ばかり頂いたところで、このままではまずいと思いオーダーストップし、少しごろごろして体力の回復を図りつつ、虎視眈々と桐生駅奥の八木節会場に思いをはせた。その後僕は鼾をかいて寝ていたらしいが、寝ていたのでさっぱりわからん。

さて時刻は18:30過ぎまで飛ぶ。
所長のお孫さんはかわいい法被に似せた甚平を着ていた。(ああ、〇ちゃんは、こんな小さい時から桐生八木節を体験できるのか、うらやましいな)と羨望の眼差しを送ってみると、こちらの気も知らず「あーんぱんち!」とおしりにくらった。

しかしかわいいお年頃、御年3歳のしょま(所長の孫でしょまである)くんは、鹿田が「まつりだーー」と掛け声をかけてみると「まつりだー、まつりだー」とにこにこしては、小躍りしたので、しめしめと鹿田は笑った。

鹿田、メガネさん、所長、所長の娘さん、しょまくん、所長の妹、というメンバーで、我々はとうとう所長の実家を出発し、いざ会場へと足を向けた。足もとの方ではしょまくんが「まつりだーまつりだー」と騒いでは走って会場に向かう。それをいいことに鹿田も燥いで会場に走っていった。

桐生八木節1日目

全盛期ほどの混みみ具合はなく、またその日は金曜日ということもあり、すいすいと歩いていくことができた。久方ぶりにみる屋台や縁日の並びに僕は躁状態となり、どこをあるいているかわからないくらいであった。踊りたくて仕方なくて踊りましょうと誘ってはうるさいと言われた。

しかし束の間雨が降り、我々は少し軒先で休まねばならなくなった。そんなもの関係なく燥ぐ大人たちも目の前を何人もとおっていったが、空を見上げれば暗い雲が一つ浮かび、その後10分くらいは大粒の雨が降った。

それが多少鹿田の頭を覚まし、大人げなかったなとおもいつつ、所長らが勝ってきてくれたかき氷を食んだ。熱気立つ会場の中で食べるかき氷は最強だった。なんどかあたまがキーンとしたが、それが何故か懐かしかった。
目の前には櫓があり、祭囃子が流れていて、また人々が踊り狂っていた。鹿田は泣けた。泣けたと同時に噴き出した。

あの、踊りたい踊りたいと言っていた3歳児のしょまくんが、なんと目の前のやぐらを見ながら踊っているではないか!!

正確に言えばそれはもちろんまったく桐生八木節ではなかったのだが、音楽に巧みに乗り、そしてなんともコミカルな踊りを披露する。近くを通る人たちもチラ見してはにっこりと笑い、(むう、あなどれぬ3歳児…)と何故か対抗意識を燃やした。

それぞれの買いたいものを買い終えて、ついに踊る、ということになった。

所長、鹿田、メガネさん、そして初桐生八木節のしょまくんである。最初のころは混雑した円陣に驚きを隠せないでいたが、近くで知った仲の大人たちが踊っていると、そのうち笑顔で踊りだしていた。2周くらいは楽しそうに踊っていたな、時間にして20分くらいであろうか。

そのうち円の外で見守っていた母親が恋しくなり抜けていったが、その顔はどこかたくましく僕の目に映った。と、なぜか鹿田自身が充実しながらその背中を見送って踊っていたら「あんたもいったん、もどるんだよ!」みんなにつっこまれた。

あ、書いていたら3000文字越しちゃったので、2日以降のこと、いや、1日目踊り終えた後からの話はまた別の記事で上げることとする。

ではまた!



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