見出し画像

鳥が啼く

冬も見つめるとやっと背中が見えるようになった。あとは立つ鳥跡を濁さずスパッと潔く去れよとアドバイスを送っている鹿田である。その冷たさときたら、冬すら震え上がるほどだ。

気ままな中でも気ままな、適当な中でも適当な、我がnoteであるが。そんな僕でもしばしnoteを書くことに手の止まる現状がある。正解など求めようとも、もともと存在してすらいないのなら僕は信条を濁さぬよう、誰かに笑ってもらうために黙々と書き続けるのみ。結局そんな思考に落ち着いてしまったのだが、しかし紛れもなく、それは僕の出した答えだ。

鹿田です、よろしくね。

もうすぐ春である。世間一般的には。鹿田の半径1メートル内には春は無い。そこにあるのは明確単純な、”夏”と”冬”しか無いのである。冬が去ったのなら、次は夏である。今年どんな夏が来ようとも、もう僕は無敵でいられると、この冬の間鬱々ともがきながらも答えを出した。空が青く、風が吹けば、僕は青田の鏡面にたち、アロハシャツを風に晒して立っては夏をどくどくと感じることだろう。確信がここにある、胸にある、腑に落ちている。

それで、(寒いんだもん)とやめていた、就寝前のかえる足ダイエットは4月から(まだどうしても冬の部屋は寒い。エアコンつけるのももったいない)食事に関しては本日の夕食より、ダイエットモードに突入している。冬はどうしても寒くてね、なんて屁理屈を堂々と掲げ、毎週土曜の夜に食べていたこってりラーメンもおしまいだ。しかし、ルールは去年と同様、お誘いがあったら断らない。いただきものは有り難く食べる。という特別ルールを保ってうまくモチベーションを保ちたい。

そして今年の夏には少し凹んだ腹と、少し痩せた体でぱたぱたと、気持ちよく夏風にアロハシャツをはためかせるのだ。うん、想像するだけでモチベーションがMAXまでぐんと戻るのだから、こりゃ楽に達成してしまえるな。

手ぬぐいはもともと手足以外は乾燥しやすい体質のものだから、冬なんて活躍する場は無いに等しく、また僕にとって手ぬぐいは首に巻いておくものなので、手洗い後の手拭きに使用するにしても、今度はその濡れた手ぬぐいを首に巻いておくなど冬場では罰ゲームだし、結局、タンスの奥底にしまわれている。ま、代わりと言ってはなんだが腹巻きは冬のはじまりから終わりまでずっと一緒にいる。ああ、そろそろお役交代だなおまえらも、久しぶりに手ぬぐいを首に巻いたら僕は、感極まって泣いてしまうかもしれないな。毎年のことなのに。

鳥も、最近少しずつ朝方鳴くようになった。まだ乾燥しきっている世界だから響き渡りはしないけれど、それでも力強く鳴いている。朝日もだんだんはやまってきて、そろそろいっ時のおさらばかもしれない。目覚めた時カーテンの隙間越しにキラキラと輝く太陽が顔を出している時の幸福は、また計り知れない。そんな、素敵な季節ももうすぐだ。

キョキョキョケキョ、僕が啼く。

季節は巡る。その自然の移り変わりを見るだけで胸いっぱいになる事ができる、モチベーションになる、生きる意味になる。それを感受できる素敵な力がぼくらひとりひとりに平等にあるのさ。

あたりまえだけどあたりまえじゃなくて、こみ上げるものをビールで押し戻す。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?