5月の価値ある友と高知とカツオ
今日も誰より価値ある1日を。
こんにちは、大鹿です。
noteを開いてくださって感謝です。
初めて「記事イベント」というものにお誘いいただきました。
ワァ~、なんだか楽しそう~(笑)。せっかくなので私も参戦してみたいと思います!
こちら、クロサキナオさんによる #クロサキナオの2024MayMuses
お題は今。5月。
昨日までのGW、カツオの本場・高知で旬の初鰹を食べたので、「5月の友と高知とカツオ」というテーマで書きます。
初めにお伝えしておくと、回りくどい内容になりますww。あしからず。
友あり南方に向かう
日光サンサン。
太陽が、漫画やアニメで描写されるトゲトゲ付きのオレンジ球体に見えました。
「あっつ~」。
私の地元・香川県高松市から高速バスでぴったり2時間。高知県の中心部、高知市へと向かったのが5月3日のこと。
同じ四国なのに、130kmばかり南下すればそこにはもう夏の兆しが。その日は友人Yくんを訪ねて高知までやって来ました。
GWになるといつも高松を訪れてくれるYくん。私の独立と同時期だったから、もう3年くらいかな。
「今年はこっちが行くよ」
と伝え、この2024年は私のターンに。彼は1年に1回会う大切な友人です。
まァ、やったことと言えば、昼間っから晩まで飲み歩いただけなんですけど(笑)。
そんな彼、Yくんとの付き合いは、途中長いブランクを挟んでまる15年に及びます。出会ったのは私が新社会人の頃・・・
東京で出会った心強い友
彼との出会いは、私が新卒で入った東京の会社。そこは編集プロダクション(略して編プロ)と言い、出版社や広告代理店の下請け制作をしていました。
編プロとは、よく話すんですけど、分かりやすくいえばテレビの制作会社と一緒です。
仕事がキツい。終わらない。帰れない。深夜になれば同僚が床で雑魚寝。昼夜逆転した人たちが殿様出勤。女を捨てたモーレツ女性社員たち(悪気はないけど当時は本当にそうだったからあえて書きます)。
私は当時、地元から大阪の専門学校を経て東京で就活をしました。
時はリーマンショック真っ只中。だったのだけれど、なんなくこの会社に採用してもらえました。
しかし出がド田舎者です。東京の地理も分からなければ文化も都会の生活様式も分からない。心細い。
そんななか出会ったのが、アルバイトでアシスタントをしていたYくん。年齢は1つ上。やや訛りのある声で
「香川なんや。僕、高知出身なんよ」
地域性なのか、四国出身者が都会に出る場合は大半が関西に向かいます。それゆえに、東京で四国出身者と出会えるのは結構稀なんです。
まして心細い当時の私の身の上。Yくんと出会えて本当にうれしかったのです。
彼と一緒に働いたのは、5年くらいだったのかなぁ。
私たちの仕事は定時なし。朝から晩までみっちり高速で処理しても、終業は22時を回るのが当たり前。それでも、そんな時間からYくんと朝まで飲んではバカ騒ぎしたものです。
古風な街並みの四谷荒木町(職場の裏手でした)。新宿の歌舞伎町。彼の住んでいた中野。とにかくいつも、限界まで飲んだ(笑)。次の日何があろうとも、明るくなるまで飲んだ(笑)。
立場は正社員の私とアルバイトの彼。年齢は彼のほうが1個上。でもそんなややこしい関係は無視して、彼は気を遣わずに私と付き合ってくれました。
友人として。
彼がいなければ私の20代は仕事だけのつまらない日々になっていたでしょう。感謝しています。
やべ、思い出してちょっと目に水が。
爪痕
その後は少し端折りますが、彼はフリーターとして仕事をいくつか変えたのち、地元・高知にUターンをしていきました。
職場が変わって頻度こそ落ちたものの、変わらず続いていた彼との交流。彼はいつも南国の風のように陽気で楽観的な男…だと思っていました。
Uターンを決意したあと、彼からこの言葉を聞くまでは。
「オレも都落ちかあ」
彼は私と同じように、四国の田舎から「えいやっ」と都会に出てきた1人です。私たち地方民からするとこれは結構エネルギーが要ることで。
簡単には、帰れない。
私はてっきり、彼はフリーターとして自由に生きていく自分を楽しんでいると思っていました。でも、決してそうではなかった。
彼はこの都会で爪痕を残したかったのだ。と、このとき分かりました。
「毎年、何百人・何千人がきっとこの東京から夢破れて地元に帰っていくんだろうね」
いつもは柔和で細長い目がすっかり力をなくし、寂しそうに語る彼。私はどう言葉をかければいいのか?分からなかったことを覚えています。今でも。
彼が地元・高知に帰ってから、私も転職や公私ともどもの苦難があり、交流は途絶えていきました。
再開は検索で
さらに5,6年経ち、私も地元へ帰ることにしました。私には都落ちという感情はなかったけれど、「東京はもういいかな」という思いがあって。
編集者をしていた経験を生かして、細々と広告を作って身を興していこう。
そう思って、まずは収益度外視で地元・高松の街を舞台にした「地域ブログ」で情報発信をはじめました。
30半ばのいい歳をした男が、毎日商店街に通ってはスイーツを食べ歩いて記事を書き、夜は飲み屋で飲んでそのレビューを記事に書く。という日々。
そんなある時です。
彼、Yくんから数年ぶりの連絡がありました。どうも、私の書いたブログ記事がたまたま検索に引っかかり、「執筆者を見たら大鹿くんだった」と言うではありませんか。
まじで? え? え? こんなことあるの?
ただただうれしかった。
だって、20代のあの頃。彼と同じ仕事をしながらバカ騒ぎしながら培ったこの「書く力」が、私と彼をまた引き寄せたんだもの。
再開のきっかけは検索で。
タイムスリップ
翌年の5月。GW。
彼は私の住む高松にやって来てくれました。
出会った瞬間、私たちは四谷荒木町で飲み歩いていた20代にタイムスリップ。この日ばかりは無礼講とばかりに、昼から開いているカフェバーに座り、黄金色に輝く生ジョッキで「カーン」と乾杯をしました。
昼飲みなんて本当に久しぶりでした。
当時の職場のこと。バカ騒ぎのこと。
「誰それはまだ会社にいるのかなあ?」とか、「誰それと誰それがこっそり付き合ってたって知ってた?」みたいな下世話な話まで。話題は尽きませんでした。
20代の私たちに戻れた時間はあっという間に終わって。
「じゃあまた、来年会おう」
と私が言わずとも言ってくれたYくん。
正直、このテの話って次はいつになるか、いやいや社交辞令的なところも多分にあると思うけれど。彼はそれから毎年、しっかりGWには高松を訪れてくれたのです。
そして、2024年は私、大鹿のターンというわけ。
こ、ここまで長かった(苦笑)。15年の振り返り。
カツオのたたきと青春
香川県民、とりわけ私のような高松市民にとって、四国を移動するのはかなりの長旅です。
それよりも、瀬戸大橋で本州にわたって岡山に遊びに行くほうが近いから、高知を訪れるのは私にとって久々のことでした。
彼のいる高知市にいたっては、たぶん幼い頃に訪れたことはあるのだろうけれど、記憶なんてありません。だからほぼ初めてといえば初めて。
高知市といえば、長さ20mの短く真っ赤な桁橋、「はりまや橋」。高知の美食がひとところに集まる「ひろめ市場」などが有名です。
GW真っただ中の混雑時期でしたが、歩き回ってなんとか、その日食べたかったカツオのたたきにありつくことができました。今、5月は高知では初鰹のシーズンです。
地元でもカツオのたたきは食べられますが、どうしても舌ざわりが水っぽい。
比べるとさすが本場ですね。良質な赤身の味わいとふっくらとした食感。ほのかに香るいぶしのにおい。想像通りの絶品でした。
地元の人しか知らないような通な飲み屋でやはり真っ昼間から生ビールをあおり、これももういつも通り。毎年変わらず、
「あの時はこうだったねえ」
と昔話に花を咲かせる私たち。この1年に1回の関係が、死ぬまで続けばいいな。私は胸の中でそう思いました。
Yくんも同じように思ってくれているのかな。
書いていて思いましたが、久しぶりに会った元カレと元カノみたいな関係ですね(爆)。
15年前、東京の小さな会社で出会った私たち。
若さをフルに発揮して朝まで飲み歩いた日々。
寂しそうに「都落ち」という言葉を語り、地元に帰った彼。
「検索」をきっかけにした奇跡的な再会。
一度は色あせた青春が、少し形を変えて、私と彼の間に今も広がっています。
5月。また来年も待ち遠しいです。
次はどっちのターンだろうか。
エンディングはサニーデイ・サービスの『青春狂走曲』でお願いします♪
「今んとこはまぁ そんな感じなんだ」
おわり
🍀この記事はクロサキナオさんの企画参加記事です🍀
#クロサキナオの2024MayMuses
https://note.com/kurosakina0/n/ndf3a3c7b1328