ロマン主義ってにゃに?
《週末アート》マガジン
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新古典主義ってにゃに?
時期:18世紀半–19世紀前半
地域:ヨーロッパ
ロマン主義(Romanticism)は、18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで芸術・文学・音楽運動。ロマン主義の特徴は、感情や個人主義の強調、密かな文学、自然の理想化、科学や工業化への疑念、古典よりも中世を強く好む過去の美化です。それまでの理性偏重、合理主義などに対しの反動であり、そのため感情や主観を重視しています。恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴もあり、近代国民国家形成を促進した側面も持っています。ロマン主義の反動として、写実主義(Realism)・自然主義がそのつぎに発生しました。
ロマン主義は教条主義(教義や教条、ドグマを重んじる思想)、古典主義(ヨーロッパでギリシャ・ローマの古典古代を理想とする思想)とは対象的な概念、つまり対概念としてとらえられています。
アメリカの哲学者・アーサー・ラブジョイ(Arthur Oncken Lovejoy)は「ロマン主義の時代」を1780年から1830年としています。また、ロマン主義は部分的には産業革命への反動でもありました。
その始まりは、フランスの作家ベルナルダン・ド・サン=ピエール氏(1737–1814)やドゥニ・ディドロ氏(1713-1784)あたりで、その後も初期ロマン派作家たちによって、それまで教条主義によって抑圧されてきた個人の独自性を積極的に表現していこうとする運動に発展していきました。また、この運動は、ナポレオン1世の第一帝政への反発としても育まれてきました。
フランスのジャン=ジャック・ルソー氏の著作がドイツに伝わるとドイツでもロマン主義が広まり、それがまたフランスに逆輸入されてさらに発展していきました。しかしフランスのロマン主義は、オノレ・ド・バルザックの死(1850)を境に勢いを失っていきました。その後は、写実主義、自然主義、高踏派などが台頭していきます。フランスでは収束していくものの、ロマン主義はヨーロッパ全域に広まり、世紀末から20世紀初頭の後期ロマン主義にまで及びました。
ロマン主義を信奉する人をロマン派 とも呼びます。
“ロマン”の語源
ローマ帝国時代、ラテン語には、文語としての古典ラテン語と口語としての俗ラテン語が存在していました。この2つのラテン語の差はしだいに広がり、やがて庶民たちには古典ラテン語は理解困難なものになっていきました。一方で、交互である俗ラテン語は、ロマンス語と呼ぶようになっていきました。このロマンス語で書かれた文学作品を「ロマンス」と呼ぶようになり、古典ラテン語で書かれたギリシャ・ローマの古典文学と対立的なものとして取られられていきました。
わかりやすいロマンス語で書かれた文学がロマンス
対
難しい古典ラテン語で書かれたギリシャ・ローマの古典文学
ロマン主義(Romanticism)の「ロマン」は、このロマンスを由来としています。また日本語の「浪漫」という当て字は、夏目漱石が行ったものした(※1)。また「ロマンティック」という言葉を現在でも使われるような意味で使い始めたのは、ジャン=ジャック・ルソー氏でした。
文学
ロマン主義の作家たち。ジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエール、ドゥニ・ディドロ、ジャン=ジャック・ルソー、スタール夫人、バンジャマン・コンスタン、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン、セナンクール。ヴィクトル・ユゴー、アベル・ユゴー。スタンダール、オノレ・ド・バルザック、ウィリアム・ブレイク。
絵画
ロマン主義に先行する新古典主義に対して、絵画でも反伝統的、反制度的表現をしていく動きが生まれました。ロマン主義としては、次の画家たちを挙げることができます。
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)スペイン
ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)フランス
ウィリアム・ブレイク(1757-1827)イギリス
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)イギリス
スパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774-1840)ドイツ
その他に、テオドール・ジェリコー、ギュスターヴ・ドレ、サミュエル・パーマー、リチャード・ダッド、イタリアのフランチェスコ・アイエツ、スイスのヨハン・ハインリヒ・フュースリー、ドイツのフィリップ・オットー・ルンゲ、ノルウェーのヨハン・クリスチャン・ダールなどが挙げられます。
フランチェスコ・アイエツ(1791-1882)イタリア
オダリスク(Odalisque)とは、オスマン帝国において君主のハレムで奉仕する女奴隷のこと。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパでオリエンタリズムが流行するにつれ、絵画の題材として好まれました。
音楽
音楽におけるロマン主義(ロマン派)時代は、バロック音楽、古典派音楽の次にくる時期を指しています。その期間はほぼ19世紀全体および20世紀初頭。代表的な作曲家は、フランツ・シューベルト、フレデリック・ショパン、ロベルト・シューマン、フランツ・リスト、リヒャルト・ワーグナーなど。
建築
18世紀後半、新古典主義建築の硬直した形式に対する反動から、ロマン主義建築が登場しはじめました。19世紀半ばにピークを迎えたロマン主義建築は、その後も19世紀末に至るまで続きました。ロマン主義建築は、伝統への敬意や田舎風情への郷愁といった感情を呼び起こすように設計されています。
中世の建築、特にゴシック建築に影響を受けて、ゴシック・リヴァイヴァル建築とも呼ばれています。ゴシック・リヴァイヴァル建築の代表的な例としては、カール・フリードリッヒ・シンケル(Karl Friedrich Schinkel)氏が完成させたドイツのケルン大聖堂があります。この大聖堂は1248年に着工されましたが、1473年に工事が中止されてしまいます。それから約400年経った1840年にファサードの原案が発見され、再開が決定されました。1880年に完成。
イギリスでは、ジョン・ナッシュ(John Nash)氏によるインドの伝統建築をロマンティックにアレンジしたブライトンのロイヤル・パビリオンや、チャールズ・バリー(Charles Barry)によって1840年から1876年の間にゴシック・リバイバル様式で建てられたロンドンの国会議事堂などが、ロマン主義建築として有名です。
フランスでは、王妃マリー・アントワネットのために1783年から1785年にかけて、ヴェルサイユ宮殿に作られた小さな素朴な村落、Hameau de la Reine(王妃の村落)が、ロマン主義建築初期の例として有名です(上記)。
ロマン主義的な様式は、19世紀後半にも続いた。シャルル・ガルニエ(Charles Garnier)氏が設計したパリのオペラハウス「ガルニエ宮」(The Palais Garnier)は、非常にロマンティックで折衷的な芸術様式でした。
まとめ
ロマン主義は、すごくざっくり言ってしまえば、先行していた新古典主義が、きっちりかっちりな保守的、教義的(こうあらねばならぬ!)という思想だったことへの反発であり、それが個人の感情に重きを置いたものという形になったものです。個人の感情に重きを置くということは、それすなわち文字通り!「ロマンティック」になるということです。この止まらないロマンティックは、文学、政治、絵画、音楽、建築に顕れました。建築にロマンティックを観るのはおもしろいですね。建物を見てわたしたちは「ロマンティックだなー」と感じることは、このロマン主義という知識の助力なくして難しいかもしれません。しかし一度、建物を「ロマンティック!」として観ることができてしまうと、以降は、建物に潜むロマンスを見つけるのは容易になるはずです。
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参照
※1