日本人がモノクロを好み、派手な色使いが苦手な理由は歴史にあった 「四十八茶百鼠」
ビジネスに役立つデザインの話
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日本人は派手な色が苦手
写真は、巣鴨ですが、年配の方に限らず、わたしたち日本人は色鮮やかなものの扱いが、諸外国に比べて、苦手です。冬になると顕著で、電車の中や街なかでみかける外套の色の多くは暗く沈んだ色が多い。服に限らず、家の中も色は少なく、コンクリートの打ちっぱなしにしろ、白い壁にしろ、彩度は低い。(そしてなぜか水回りだけ派手になる。あれはなぜかわかりません。)
服に関しては、肌の色にもよる言われることがあります。白い肌の白人は黄色人種である日本人よりもカラフルな服が似合うとか、人種が多いので、服装を相対的に派手にしないと認識されにくくなる、なんて意見も耳にしたことがあります。
それでもやはり、色に対しての感覚は、諸外国と日本では大きな違いがあります。服もそうですが、顕著なのが、部屋の壁色。広さの影響もありますが、日本人の家の壁色は基本白色です。その他の文化では、色だけでなく柄まで壁紙に入っており、一言で言うなら、とても派手です。たとえば、こちらドラマ『シャーロック』に出てくる部屋の様子です。
ちょっと特異な例になるかもですが、海外の映画やドラマを見るときに、壁紙や服の色に注目してみると、日本のスタンダード(なんとなくでかまいません)との違いに気づくことでしょう。それにしても、なぜ日本人は、原色や派手な色、柄を避けて淡い色、彩度の低いくすんだ色またはモノクロを好むのでしょうか?肌の色でのせいではなさそうです。なぜなら昔の日本人はカラフルな色使いが大好きでした。
平安時代の流行色
平安時代とは、794年–1185年の間にあった時代で、桓武天皇が都を平安京(京都)に奈良から移し、そこから鎌倉幕府が成立するまでの390年間の時代です。この時代、流行色というものがあり、それを「今様色(いまよういろ)」と呼んでいました。書物によると今様色は、濃い紅色と推測されています。この言葉は、『源氏物語』にも出てきます。『源氏物語』の玉鬘(たまかずら)の巻において、光源氏が、最愛の妻である紫の上( むらさきのうえ)への贈り物の衣装に「今様色」を用いています。
源氏物語の色
源氏物語に出てくる色を「襲の色目(かさねのいろめ)」を再現した本があります。襲の色目とは、女房装束の着物に使われた色の一覧です。
この著書をちらっとみるだけでも、当時、色鮮やかなさまざまな色を日本の貴族たちが楽しんでいたことが伺えます。
このとき使われていた絹(シルク)の織物は、かすかに透けるため、色を重ねることで、また生まれる別の色の組み合わせも楽しんでいました。このように日本人は元来、さまざまな、鮮やかな色を楽しむ文化を持っていました。この文化が変質するのは、江戸時代に入ってからです。徳川家康は、国民を貧しくさせるという為政を形成します。そうすることで幕府が転覆させられるリスクをなくそうとしました。そしてそれは成功し、265年継続しました。
江戸時代の奢侈禁止令
江戸幕府は、国民全体に対して、質素を奨励し、贅沢を禁止するという政策を行いました。士農工商という身分制度もまた非常に巧みで、金を扱う商品を一番下に据え置きました。寛永5年(1628年)になると、幕府は、農民に対しては服に使う素材を布・木綿に制限し、下級武士に対しても紬・絹までとして、贅沢な装飾は禁じます。以降、何度もこういった奢侈禁止令(ぜいたくを禁止するお触れ)を出し、しまいに、庶民は、茶色、鼠(ねずみ)色、藍色などの色しか身に纏えなくなります。
こうした歴史が、日本人に色鮮やかなものの使用を避ける傾向を形成しました。そして、その名残りは、大戦において強化され、現代にも息づいています。これが、現代の日本人が派手な色を好まない傾向の原因のひとつです。しかし、日本人は、お上には従うものの、それでも生活を楽しもうとする気質も持っていました。
四十八茶百鼠
派手な色が使えないなら、使える色の範囲でおしゃれを楽しもう、そう思った町人たちは、茶、鼠という彩度の低い色のなかで、微妙な色の違いを楽しもうとし始めます。そうして、「四十八茶百鼠(しじゅうちゃひゃくねずみ)」という言葉を生み出します。48の茶色、100の鼠色という意味です。実際には、それ以上の微妙に異なる色が存在していたそうです。
この「団十郎茶」、「路考茶」などの色の名前は、当時人気だった歌舞伎役者に由来しています。このようにして、地味で彩度が低い色を、さまざまな工夫によって、江戸時代の庶民たちは楽しんでいました。
まとめ
奢侈禁止令は、じつのところ、日本、江戸時代に限らず、別の時代や別の国でもありました。しかしなかでも江戸時代のそれは群を抜いて徹底したものであったこと、それ以上に、現在の日本政府の為政のスタイルは、江戸時代から引き継がれたものをいくぶん含んでいることもあり(お金に関する及び腰な姿勢を良しとする価値観など)、現代にも残っています。そのため、現代の日本人は、色鮮やかなものを扱うことが苦手だと思いこんでいます。しかし日本は江戸時代まで、さまざまな色にさまざまな意味合いを込めて、楽しんできた歴史もまた持っています。例えば、サッカーの日本代表のユニフォームの色。
この色は、平安時代の褐衣(かちえ)に由来した「勝色」から来ています。褐衣とは、当時の貴族に仕えた下級武官たちの装束で、藍や紺で染め上げた、粗末な麻布の褐(かつ)をよく搗つ(かつ。叩くという意味)ことで光沢を出したものです。
この搗ちて(たたいて)染め上げた色を「褐色(かちいろ)」と呼びました。この色が、鎌倉時代になると「褐色(かちいろ)」=「勝ち色」と解釈して、武士たちに縁起の良い色として好まれ始めました。紺色=勝つ色という思想は、明治時代になって軍服にも反映されます。
さて、こうして日本の歴史と現代の日本人の色の好みの繋がりが見えてくると、待ちゆく人々のまとう服の色を見ても、深く感じ入るものが生まれてくるのではないでしょうか。