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世界の国旗と国章(5)ノルウェー
世界の国旗と国章マガジン
ノルウェーの国旗
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縦横比:8:11
制定日:1821年
デザイナー:フレドリック・メルツァー(Fredrik Meltzer)
ノルウェーの国旗は、赤地に白の縁取りがなされたインディゴブルーのスカンディナヴィア十字が描かれた旗。
国旗の歴史
最初期のノルウェーの旗がどのようなものであったか、確かなものはないようです。理由は、古代ノルウェーにおいて、「国」が旗を掲げることがなかったためでした。ただし、特に戦争において王や君主は旗を掲げていました。オーラヴ2世は、Battle of Nesjarにおいて、白地に大蛇の描かれたマークを用いていました。これ以前にも、カラスやドラゴンの描かれたものが使用されていました。マグヌス1世は、オーラヴ2世と同じマークを使用していました。ハーラル3世はカラスの旗を使用。この旗は、9世紀から11世紀にかけて、様々なヴァイキングの首領や、スカンディナヴィアの君主も使用していました。インゲ1世は、金地に赤い獅子の描かれた旗を使用していました。スヴェレ・シグルツソンは、赤地もしくは金地に鷲の描かれた旗を使用していました。ノルウェーの国旗として語られることのある最初期の著名な旗は、現在ノルウェーの王室旗として使用されている。この旗は、エイリーク2世が1280年から使用した旗で、赤地に斧を持った金色の獅子が描かれている。これ以降、この旗はノルウェーの国旗および王室旗として常時使用されるようになる。
この旗は、ノルウェーの国章を基に作成され、元々はノルウェーの君主のみが使用するための旗であった[注釈 1]。その後、17世紀から18世紀に段階的に使用を取りやめるまで、ノルウェーの船舶や要塞でも掲げられるようになった。もっとも初期にこの旗が描かれたのは、1318年のインゲビョルグ公爵夫人の印章で用いられています「。1500年頃、船舶の国籍を特定するために、船舶の所属する国の旗を掲げるようになりました。赤地に金色の獅子と銀のほこやりが描かれた旗は、1669年から1670年頃からデンマークの旗本でノルウェーの旗として描かれるようになりました。遅くとも1698年には、獅子が用いられた旗は、アーケシュフース城で掲げられていました。この「ノルウェーの獅子」が、1641年には全ノルウェー連隊で軍旗として使用されるようになりました。1748年になると、デンマークの国旗が唯一の適法な商船旗であるとされました。
16世紀頃から1814年まで、ノルウェーは同君連合を組んだデンマーク(デンマーク=ノルウェー)と同じ国旗を用いるようになりました。1814年にノルウェーが独立すると、ノルウェーはデンマークの国旗のカントンの部分に「ノルウェーの獅子」が描かれた旗を国旗として採用しました。この旗は、国旗としては1815年まで、商船旗としては1821年まで使用されました。1814年終わりごろに、ノルウェーは隣国スウェーデンとの同君連合を組みます(スウェーデン=ノルウェー)。そして1815年3月7日、同君連合の軍旗として、元々のスウェーデン軍旗のカントンの部分に、赤地に白のサルタイアーが追加して描かれたものが採用されました。1818年には、商船旗においても、この軍旗(三ツ尾燕尾型)を長方形にカットしたものを、遠方の海で使用するようになりました。
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By Kaptein Jens Petter Stibolt - Riksarkivet, privatarkiv etter Ludvig Fredrik Brock, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38489786
現在のノルウェー国旗は、1821年にノルウェー議会の議員であったフレドリック・メルツァーによってデザインされました。この旗を国旗とする法案は、同年5月11日と5月16日にノルウェー議会両院をそれぞれ通過しました。しかしながら、同君連合の王、カール14世ヨハンは同法案への署名を拒否。しかしながら、スウェーデン=ノルウェー中央政府は同年6月13日にこの旗を市民旗として使用することを承認しました。1814年の組織は、明確に連合王国の軍旗をユニオンフラッグとして使うと述べていました。このため、この一般的な旗(元のスウェーデン旗のカントンの部分に、赤地に白のサルタイアーが追加して描かれた旗)が両国の軍で1844年まで使用されました。
1838年まで、ノルウェーの旗は北の海のみで使用された。ノルウェーは、北アフリカの海域で活動していたバルバリア海賊との間で約定を結んでいなかったため、ノルウェー船舶は防衛のためにスウェーデンの旗を掲げていました。1844年、ノルウェーとスウェーデン両国の国旗を組み合わせた連合王国の記章が制定されました。この記章は、冗談的に軽蔑的に「Sildesalaten」(ニシンのサラダの意)と呼ばれていました。これは、寄せ集めの色とノルウェー、スウェーデン両国で朝食の食卓に並ぶ一般的な料理に似ているためでした。しかしながら、この旗はスウェーデンとノルウェー両国が対等であることをはっきりと示す旗であったため、当初、この記章はノルウェーではポピュラーでした。しかしスウェーデン側ではさほど受け入れられず、1898年には、ノルウェー議会はこの連合王国の記章を国旗と商船旗から削除する法案を可決しました。しかし、当時のスウェーデン=ノルウェーの王・オスカル2世は、この法案を却下。しかし、この法案がノルウェー議会で計3回可決されると、施行されることとなりました。連合王国の記章が外された純粋な旗は、1899年に最初に掲げられました。軍旗においては連合王国の記章が残されました。連合王国が解消され、ノルウェーが独立すると、軍旗からも連合王国の記章は削除されました。ノルウェー側は1905年6月9日に記章を外しましたが、スウェーデン側では1905年11月1日になって記章を外しています。
サルタイアー
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サルタイアー(英: Saltire)は、紋章学において、紋章のシールドの四隅にまでわたる斜めの十字、またはX字形のチャージです。
フレドリック・メルツァー(Fredrik Meltzer)
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フレドリック・メルツァー(1779–1855年)はノルウェーの実業家であり、1814年にアイスヴォルで開かれたノルウェー憲法制定議会の代表でもありました。 ノルウェーの国旗をデザインしたことで知られています。
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By David40226543 - Own work, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14713128
メルツァーは1821年(42歳)、当時使われていたデンマーク国旗とスウェーデン国旗に代わる近代的なノルウェー国旗をデザインしました。 彼は、ノルウェーがスウェーデンやデンマークと緊密な関係にあることを反映させるためにスカンディナヴィア十字を使い、オランダ、イギリス、アメリカ合衆国、革命期フランスなど、多かれ少なかれ民主的な国々に関連する自由主義の理想を象徴するために赤、白、青の色を選びました。
スカンディナヴィア十字
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See below. - See below., CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=31469による
Scandinavian Cross。またはノルディッククロス(Nordic Cross)。左側に交点が寄った横長の十字であり、国旗や地域の旗などに用いられています。デンマークの国旗が基になっています。
13世紀、北欧諸国は領地拡大とキリスト教の伝道のため、北方十字軍の遠征を行いました。1219年、当時のデンマーク王・ヴァルデマー2世がエストニアに侵攻したさい、赤地に白の十字が描かれた旗が空から舞い降りてきたという言い伝えをもとに、デンマーク国旗がつくられました。
14世紀末に成立したカルマル同盟は、黄色地に赤の十字が描かれた旗を用いました。この連合から離脱したスウェーデンは青地に黄色の十字の旗を使用し、ノルウェー、フィンランド、アイスランドもそれぞれ自国の国旗を制定する際にノルディック・クロスを採用しました。
カルマル同盟
カルマル同盟(カルマルどうめい)は、1397年にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間で締結された同盟(物的同君連合)です。締結場所が現スウェーデンのカルマルであったので「カルマル同盟」と呼ばれています。
ノルウェーの国章
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使用者:ノルウェー王国
採用:1280年、1992年
クレスト※:Norwegian royal Crown
盾:Gules, a lion rampant Or, crowned and bearing an axe Or with blade Argent
ノルウェーの国章は、斧を持つ金色のライオンを含む赤色の盾を包含し、その上に王冠を配しています。ライオンの紋章は、中世よりノルウェー王家の紋章として用いられてきましたが、国章として現在のデザインになったのは、1905年からです。
クレスト
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By Immagini dell' Archivio Istituzione Giostra del Saracino del Comune di Arezzo - sent by Paolo Borgogni, Archivio e Comunicazione, Area Turismo - Comune di Arezzo p.borgogni@comune.arezzo.it through OTRS #2007092810005691, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3161983
クレスト(英: Crest)は、紋章の兜(ヘラルディック・ヘルメット)の上に置かれる紋章の構成要素の1つ。英語の Crest は頂点や頂上、又は鳥の頭部についているとさかの総称を意味し、ヘルメットの頂部に鳥のとさかのように立っているため、そのように呼ばれています。日本語では、兜飾りと訳されます。
デンマークの国章は金の盾型の背景に、3頭の王冠をかぶった青いライオンと9つの赤いハートマークで構成されています。
現在の国章は1991年にヴルフ(Aage Wulff)によってデザインされたものですが、その原型となったライオンの紋章はデンマークでは12世紀のクヌーズ4世の紋章にまでさかのぼることができます。13世紀からライオンに王冠がつくようになり、16世紀にハートの数が9つと定められました。今日の形式で固まったのは1819年。
クヌーズ4世の弟のヴァルデマー2世がバルト海沿岸地域へ進出したことから、エストニアの国章ともライオンのデザインが一部共通しています。また、デンマークの影響力が伝統的に強かったユトランド半島南部、ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の紋章にも類似したデザインが用いられています。
ノルウェー
正式名称:ノルウェー王国
英語:Kingdom of Norway
場所
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公用語
ノルウェー語、サーミ語
首都
オスロ
概要
ノルウェー王国、通称ノルウェーは、北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島西岸に位置する立憲君主制国家(2024年11月現在、君主国は、43ヶ国。日本も含まれる)です。首都は半島南端部に存在するオスロ・フィヨルドの奥に形成された港湾都市のオスロ。東にスウェーデン、ロシア、フィンランドと国境を接しています。欧州連合(EU)には非加盟。
地理としては国土は南北に細長く、海岸線は北大西洋のスカゲラック海峡、北海、ノルウェー海およびバレンツ海に面しています。海岸線には、多くのフィヨルドが発達しています。このほか、ノルウェー本土から約1,000キロ離れた北大西洋上のヤンマイエン島は固有の領土の一部として領有され、スヴァールバル条約によりバレンツ海のスヴァールバル諸島を領有しています。南大西洋にブーベ島を属領として持っています。
古くからノルマン人(スカンディナヴィアおよびバルト海沿岸に原住した北方系ゲルマン人の中で、フランス北部の北西部のノルマンディー(コタンタン半島辺り)に定住した支族)が居住し、10世紀初めに統一王国が成立。
14世紀からデンマークと同君連合を形成してデンマークの統治下に置かれました。ナポレオン戦争でのデンマークの敗戦で1814年に放棄されスウェーデンの下で同君連合を形成しましたが、自由主義的な憲法の制定と連合法により自治権を得えました。
1905年の国民投票によりスウェーデンから独立し、デンマークから王子を国王(ホーコン7世)に迎え独立した立憲君主国としてスタートしました。
ノルディックモデル(社会民主主義的福祉レジーム)による高負担高福祉の福祉国家として知られ、国連開発計画(UNDP)による国民の健康と繁栄を示す人間開発指数(HDI)は2024年現在、世界2位(1位はアイスランド)。
民主主義の成熟性も極めて高く評価されており、エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主主義指数は、世界1位を記録しており「完全な民主主義」に分類されています(2024年度)。
国境なき記者団による世界報道自由度ランキングも世界1位(2024年度)。
経済面では1人当たりの国内総生産(GDP)は、ルクセンブルク、スイス、アイスランドに続く世界第4位(2019年度。国際通貨基金(IMF)による調べ)(*2)。独立前の19世紀には農業国でした、20世紀になると豊富で安価な水力や天然資源を生かして工業化が進み、第二次世界大戦後は特に電気冶金、機械、造船などの分野で工業化が顕著となります。石炭、鉄、銅、ニッケルなど鉱物資源が豊富。1970年代から北海油田による石油産業が発展して輸出の主品目となっています。沿岸は漁業が盛んであり、日本やアイスランドと並ぶ数少ない捕鯨国の一つ。
人口は500万人ほどで約9割がキリスト教徒でルター福音派が大部分を占めています。住民には金髪・碧眼・長身の所謂「北方人種」が多い。
国際関係・外交
外交面ではデンマーク統治時代からの沿革で中立志向が強いが、第二次世界大戦でドイツ軍に中立を無視されて侵攻された経験から、戦後は中立志向を保ちつつも国際連合や北大西洋条約機構(NATO)に参加しています。また、1959年には欧州自由貿易連合(EFTA)にも加盟。欧州連合(EU)には参加していませんが、欧州連合の市民はノルウェーで自由に働く権利を有しています。
関連記事
建築系
参照
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