サッカー日本代表のユニフォームはなぜ「青い」のか?
ビジネスに使えないデザインの話
ビジネスに役立つデザインの話をメインに紹介していますが、ときどき「これはそんなにビジネスには使えないだろうなぁ」というマニアックな話にも及びます。今回の話は、あまりビジネスには使えなさそうな話です。noteは、毎日午前7時に更新しています。
サッカー日本代表のユニフォームはなぜ「青い」のか?
2022年6月2日(昨日)、森 保一監督率いるサッカー日本代表チームがパラグアイ代表と対戦しました。サッカー日本代表といえば、鮮やかな紺色のユニフォームですが、日本代表チームが、なぜ青色なのでしょうか?この青、「サムライブルー」とも表現されています。サッカーに詳しい方なら、ご存知の方も少なくないかもしれません。今回は、日本代表のユニフォームが青い理由を解説していきます。
平安時代にまでさかのぼる「勝色」
「日本の色」といえば、国旗が象徴するような赤と白を想起しやすいでしょう。しかしサッカー日本代表はユニフォームはブルー。過去には、日の丸の赤をユニフォームに起用したこともありました。横山謙三監督の時代、日本代表のユニフォームは日の丸をイメージして赤でした。
しかし試合結果が悪く、このユニフォームカラーはこのとき限りでした。2018年に日本代表のホームユニフォームが刷新され、深い藍色のユニフォームになりました。この色である理由は、「験担ぎ」だと日本サッカー協会は、説明しています(※1)。なぜこの色が験担ぎになるのか?その理由は、はるか昔の平安時代にまでさかのぼります。
平安時代の褐衣(かちえ)
平安時代(794–1185年)に、「褐衣(かちえ)」という装束がありました。当時の貴族に仕えた下級武官たちの装束で、藍や紺で染め上げた、粗末な麻布の褐(かつ)をよく搗つ(かつ。叩くという意味)ことで光沢を出したものです。粗末でゴワゴワした麻布を、色よく染め、光沢を出すために叩く、この染め方を「搗染め」(かちぞめ)と呼んでいました。また「搗染め」で出す紺色を「褐色(かちいろ)」とも呼んでいました。
鎌倉時代に好まれた「褐色(勝色)」
時代は次の鎌倉時代になると武家政権に変わります。武士が台頭した時代です。武士たちは、戦に縁起を担ぎます。「褐色(かちいろ)」の音は「勝ち色」にもなります。なれば、褐色を身にまとうことで戦に「勝つ」と考えることもできます。このようにして、鎌倉時代の武士たちは、紺色である褐色を「勝色」として好むようになりました。
旧日本軍の軍服もまた「褐色」
明治時代に入り、日清戦争、日露戦争と日本は他国と戦う時代に入ります。ここでも験を担ぎ、旧日本軍の軍服は、勝色である紺色を採用しています。そして、軍服の色を「軍勝色(ぐんかちいろ)」と呼びました。
この旧日本軍の軍服は、漫画『ゴールデンカムイ』にも登場してきます。
2018年FIFAワールドカップに向けてデザインされた日本代表ホームユニフォーム
そして2018年に刷新されたサッカー日本代表のホームユニフォームでも勝色が採用されました。これが、日本代表のユニフォームが青い理由です。当時のユニフォームデザイン(アディダス)には、さらに日本的に「刺し子」をモチーフにしたデザインも施されていました。「刺し子」とは、日本の伝統的な刺繍で、藍色の布に白い糸で線を描くように刺繍したもの。刺し子の起源は16世紀と江戸時代の少し前。
する刺し子は、日本に古くから伝わる伝統的な刺しゅうです。
2020年ユニフォームのコンセプトは“日本晴れ”
現在の日本代表ユニフォームのテーマは「日本晴れ」(※2)。しかしサッカー日本代表のユニフォームカラーがブルーになった経緯は、2018年時の採用した「勝色」というモチーフ。デザインや色のニュアンスは変わりましたが、「なぜ青色になったのか」を辿っていくと以外なほど古い平安時代にまで遡りました。
まとめ
今回は、ビジネスに使えるようなデザインの話ではありませんでしたが、色使いが欧米に比べて、苦手に見える日本人は、その昔、色を使った遊びをしたり、意味を見出したりしていことをうかがい知る内容ではあります。ちなみに日本人が色をよく使わない理由は肌の色以上に、江戸時代に施行していた奢侈禁止令というぜいたくを禁止するお触れのためだとわたしは考えています。そんな話もこちらで紹介しています。平安時代は色遊びも盛んでした。そんな様子が『源氏物語』にも描かれる「襲の色目(かさねのいろめ)」として出てきます。これは、女房装束の着物に使われた色の一覧です。この時の色を和菓子にも反映している京菓子屋さんに末富というところがあります。そちらも紹介した記事もあります。
参照
※1
※2
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