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世界の国旗と国章(30)カザフスタン
世界の国旗と国章マガジン
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カザフスタン共和国
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正式名称(日本語):カザフスタン共和国
正式名称(英語):Republic of Kazakhstan
公用語:カザフ語、ロシア語
首都: アスタナ
最大の都市:アルマトイ
位置
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カザフスタン共和国、通称カザフスタンは、中央アジアに位置する共和制国家。西と北でロシア連邦、東で中華人民共和国、南でキルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと国境を接する国家で、南西は世界最大の湖カスピ海に面しています。首都はアスタナ(2019年から2022年までは初代大統領のヌルスルタン・ナザルバエフのファーストネームにちなんだ「ヌルスルタン」へ名称変更。さらに、2022年にアスタナに戻されました)で、1997年に国内最大の都市アルマトイから遷都しました。
概説
カザフスタンは、領土が中央アジアのみにある国家としては経済的、政治的に最も支配的な存在であり、石油・天然ガスを中心とする資源に恵まれ、中央アジアの国内総生産(GDP)の60%を生み出しています。
国土面積は272万4900平方キロメートルと世界第9位で、世界で最も広い内陸国であり、イスラム教徒が多数派を占める国としても世界最も広大かつ最北端です。
人口は約1900万人で、人口密度は世界でも低い国の一つであり、1平方キロメートルあたり6人以下(1平方マイルあたり15人)。
現在のカザフスタン領土には、歴史的に遊牧民や帝国が往来・興亡を重ねていました。古代には遊牧民のスキタイ人が住み、ペルシアのアケメネス朝が現在の国土の南部にまで進出してきました。テュルク系遊牧民は、突厥(とっけつ)帝国など多くのテュルク系国家を祖先に持ち、その歴史を通じてこの国に居住してきました。13世紀にはチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国に征服されました。16世紀には、カザフ族は3つのジュズに分かれて独立した集団となりました。18世紀にはロシア帝国がカザフ草原に進出し、19世紀半ばには名目上カザフスタン全土をロシア帝国の一部として支配するようになりました。
1917年のロシア革命とその後のロシア内戦を経て、カザフスタンの領土は何度か再編されます。1936年、ソビエト連邦の一部であるカザフ・ソビエト社会主義共和国になりました。なお、同国は1991年のソビエト連邦解体時に、ソビエト連邦構成共和国のうち最後に独立を宣言した共和国です。
こうした歴史的経緯や民族構成、地政学的から位置、北隣のロシアや東隣の中国、西側諸国、イスラム世界、テュルク系を祖とするトルコなど多方面との良好な関係を重視しており、以下のような国際機関に加盟しています。
世界全体:国際連合
旧ソ連圏:独立国家共同体(CIS)、ユーラシア経済連合、集団安全保障条約(CSTO)
西側諸国を含む欧州:欧州安全保障協力機構(OSCE)
イスラム圏、テュルク系諸国:イスラム協力機構、テュルク評議会、テュルク文化国際機関、テュルク語圏諸国議会
首都
アスタナ
アスタナ旅🇰🇿カザフスタンの首都がなぜか超絶未来都市。【アジア#36】2024年8月13日〜17日(Youtube)
国旗
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縦横比:1:2
制定日: 1992年6月4日
使用色:水色、金色
カザフスタンの国旗は、1991年のソ連解体後、カザフスタン共和国として独立した際に制定されました。青地は空、中央の金色(実際の旗には黄色が用いられるが、法律上は金色と規定されています)は32本の光を擁する太陽と翼を広げて飛ぶ鷲(ステップ・イーグル)を示しています。左端にはカザフ人の伝統的な文様が縦に配置されていますが、これは鷲の翼と雄羊をモチーフにしたものです。青地はまた、この地域のテュルク系諸民族を示し、彼らの間では青地は宗教上特別な意味である神の存在を象徴しますが、現在ではカザフスタンの広い空と自由を象徴しています。
中央の鷲は、当時も青地に鷲の旗のもとこの地方を支配したチンギス・ハーンの帝国を示し、カザフスタンの人々の誇りを表しています。 青色は伝統的に中央アジア系遊牧民らの好む色でした。
国章
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使用者:カザフスタン共和国
採用:2018年11月1日
モットー:QAZAQSTAN「カザフスタン」
カザフスタンの国章は、カザフスタンがソビエト連邦から独立した後の1992年6月4日に導入されたものです。このエンブレムの作者は、ザンダルベク・マリベコフ(Jandarbek Melibekov)とショタ・ウァリハノフ(Shota Walikhanov)で、コンペの決勝において多数の国章案の中から選ばれました。
1992年当時のデザインでは、「カザフスタン」という国名を表記するのにキリル文字が採用されていましたが、カザフスタンがラテン文字を導入したのに伴い、2018年11月1日に国名がラテン文字で書かれたデザインが採用されました。
図案の主体
カザフスタンの国章の中央の、円の中に三本の線が交差した形のものは、遊牧民の伝統的なテント式家屋(カザフではユルトと呼ます)の頂部にあるドーム型の構造・シャニラクを表したものです。
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Leonid 2 - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15865411による
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Man77 - 投稿者自身による著作物, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4911212による
黄色いシャニラクは青空の中に輝き、日光のような光を放射しています。その左右に、神話に登場する馬「タルパール」が二頭、背中合わせになって翼でシャニラクを支えています。頂上には黄色い星があり、底の帯にはカザフ語で「カザフスタン」という国名を表す「QAZAQSTAN」の字が書かれています。
シャニラクは家族の健康・平和・平穏を、歴史と未来とを表しています。エンブレムの円形は生命と永遠性を表しています。青い色は大空と平和、すべての人々の間の統一を表し、黄金色は農業と光、カザフスタンの人々の明るい未来を表しています。
シャニラクと同様のものは隣国であるキルギスの国旗にも描かれています。キルギス語ではトゥンドゥク(キルギス語: түндүк, tunduk)と呼ばれています。
歴史
割愛。
スキタイ人
スキタイ人は、サイス人、古典的スキタイ人やポントスキタイ人とも呼ばれ、古代東イラン騎馬遊牧民で、主に現在のウクライナと南ロシアに相当する地域に住み、前7世紀頃から前3世紀頃までポントス草原の領土(彼らの名をとってスキシアまたはスキティカと呼ばれる)を支配していました。スキタイ人は、王族スキタイ人と呼ばれる戦士貴族に率いられていました。
スキタイは騎馬戦に最も早く取り組んだ民族で、紀元前8世紀にはキンメリア人に代わってポントス草原を支配する勢力となりました。紀元前7世紀、スキタイ人はコーカサス山脈を越え、キンメリア人と共に西アジアを頻繁に襲撃し、この地域の政治発展に重要な役割を果たしました。
メディア人によって西アジアから追放されたスキタイ人はポントス草原に退き、その後、東に住むイラン系のサルマティア人に次第に征服されていきました。紀元前2世紀末、ヘレニズム化したスキタイ人の首都であるクリミア半島のスキタイ・ネアポリスがミトリダテス6世に占領され、彼らの領土はボスポロス王国に編入されました。
紀元3世紀にはスキタイ人とスキタイ人の最後の生き残りがゴート族に圧倒され、中世前期にはスキタイ人とスキタイ人は初期のスラヴ人にほぼ同化され吸収されました。スキタイ人は、アラン人の子孫とされるオセチア人の民族形成に大きく寄与しています。
スキタイ人の消滅後、古代・中世・近世の著者はスキタイ人とは無関係の大草原の諸民族を指して「スキタイ人」という呼称を使用しました。
スキタイ人は、ギリシャ、ペルシャ、インド、中国を結ぶ広大な貿易網であるシルクロードで重要な役割を果たし、おそらくこれらの文明の繁栄に貢献したとされています。定住していた金属加工職人はスキタイ人のために携帯用の装飾品を作り、スキタイの金属加工の歴史を形成していました。これらのオブジェは主に金属製で残っており、スキタイ独特の芸術を形成しています。
メモ
なし。
参照
*1 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3
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