世界の国旗と国章(2)アイスランド
世界の国旗と国章マガジン
国旗
縦横比:18:25
制定日:1944年6月17日
使用色:
青(パントーン287c/CMYK=100-69-0-11.5)
白
赤(パントーン1795c/CMYK=0-94-100-0)
アイスランドの国旗は青地に赤と白のスカンディナヴィア十字が描かれた旗。
1915年6月19日、デンマーク領アイスランド時代として公式に制定され、1918年に成立したアイスランド王国でも引き続き使用された。さらに1944年6月17日、アイスランド共和国の樹立に伴い、改めて国旗として制定された。
青は古くからアイスランドの国民色と考えられている。この旗が採用されるまでは、青地に白い十字架のみの旗がアイスランドのシンボルとして用いられていた。
スカンディナヴィア十字
Scandinavian Cross。またはノルディッククロス(Nordic Cross)。左側に交点が寄った横長の十字であり、国旗や地域の旗などに用いられている。デンマークの国旗が基になっている。
13世紀、北欧諸国は領地拡大とキリスト教の伝道のため、北方十字軍の遠征を行った。1219年、当時のデンマーク王・ヴァルデマー2世がエストニアに侵攻した際、赤地に白の十字が描かれた旗が空から舞い降りてきたという言い伝えをもとに、デンマーク国旗がつくられた。
14世紀末に成立したカルマル同盟は、黄色地に赤の十字が描かれた旗を用いた。この連合から離脱したスウェーデンは青地に黄色の十字の旗を使用し、ノルウェー、フィンランド、アイスランドもそれぞれ自国の国旗を制定する際にノルディック・クロスを採用した。
カルマル同盟
カルマル同盟(カルマルどうめい)は、1397年にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間で締結された同盟(物的同君連合)である。締結場所が現スウェーデンのカルマルであったので「カルマル同盟」と呼ばれる。
国章
採用:1944年7月1日
盾:青地に赤と銀の十字
サポーター:ランドヴェーッティル
コンパートメント※:パホイホイ溶岩
アイスランドの国章(英: Coat of arms of Iceland)は、スカイブルーの地に内部に赤の十字が入った銀色の十字すなわちアイスランドの国旗が描かれている鉄の盾を、コンパートメントとしてのパホイホイ溶岩(玄武岩)の上に乗ったアイスランドの4体の守護者がサポーターとして支えている意匠である。サポーターとなっている雄牛はアイスランド南西部の、鷲は北西部、ドラゴンは北東部、巨人は南東部の守護者である。
紋章記述は、「Azure, on a cross argent a cross gules」である。
アイスランドの元首は、アイスランドの国章が描かれた燕尾形の国旗を用い、アイスランド国家警察は、国旗の使用ができない場合は、白地にアイスランドの国章が描かれた旗を用いる。その他の国家組織も、同様の旗を用いている。
歴史
アイスランドは、時代によって、下記のようないくつかの国章を用いてきた。
最初の紋章は、6本の青い横縞と6本の銀色の横縞が描かれた盾で、12のアイスランドコモンウェルスを表していた。
次の紋章は、1258年にノルウェー王ホーコン4世からギッスル・ソルヴァルドソン(アイスランド初代総督)に与えられたもので、ノルウェーの国章の盾とライオンの色を変え、盾の下部に青と銀色の横縞を入れたものだった。
1500年頃の紋章は、赤い盾に王冠をつけた鱈の干物が描かれているものだった。魚は、場合によって様々な描かれ方をされた。
1903年10月3日、紋章は、青い盾に白いハヤブサが描かれたものに変更された。1919年2月12日に、4体の守護者が描かれた紋章に代わるまで使われた。
1944年7月17日に独立を果たすと、現在の紋章が正式に採用された。
コンパートメント
(英: Compartment)は、エスカッシャン(盾)を支えるようにその下に置かれ、サポーターが立つ台座として示される紋章の構成要素である。その形は様々で、木製であったり金属製であったりしたが、時代や国によって異なる。現在では岩盤、草原、海など、ある種の風景を表現した築山形と呼ばれるものが一般的である。
守護者について
国章に4体の守護者たち「ランドヴェーッティル」(アイスランド語: Landvættir/地霊の意味)が描かれているのは、13世紀にアイスランドで書かれた『ヘイムスクリングラ』にある伝承に基づいている。すなわち、デンマーク国王ハラルド・ゴルムスソンがアイスランドを征服するために魔法使いをアイスランドに派遣したところ、アイスランドの各方角にこの強力な4体のランドヴェーッティルが存在しており魔法使いを撃退したため、征服を諦めざるを得なかったという。 なお、これらの守護者は、アイスランド・クローナの硬貨の片面にも描かれている。
アイスランドについて
場所
公用語
アイスランド
首都
レイキャヴィーク
概要
アイスランド(は、北ヨーロッパの北大西洋上に位置する共和制国家。首都はレイキャヴィーク。総人口は38万7758人。グリーンランドの南東方、ブリテン諸島やデンマークの自治領であるフェロー諸島の北西に位置する。
アイスランド島を主な領土とする島国で、イギリスとのタラ戦争の舞台にもなった漁業基地であるヴェストマン諸島、北極圏上にあるグリムセイ島などの周辺の島嶼(とうしょ)も領有する。高緯度にあるためメルカトル図法の地図では広大な島のように描かれるが、実際の面積は10万2828平方キロメートルと、フィリピンのルソン島(10万4688平方キロメートル)や、韓国(10万210平方キロメートル)とほぼ同じである。グレートブリテン島(約22万平方キロメートル)の約半分、または日本の北海道と四国を合わせた程度の面積である。
アイスランドは、北ヨーロッパにおいて入植者の歴史が古い国の一つである。古文書『ランドナーマボーク』によると、アイスランドへの入植は西暦874年にノルウェーの族長インゴルフル・アルナルソンが最初期の島への定住者となったときに始まったとされている。その後何世紀にも亘って、ノルウェー人を筆頭に他のスカンジナビア人が、ゲール系の奴隷(または農奴)を連れてアイスランド地域へ移住して来た。
この島は、現存する世界最古の立法議会の一つである現地議会アルシングの下で独立連邦として統治されていたが、内戦時代を経て、同国は13世紀にノルウェーの統治下に加わり、1397年のカルマル同盟の締結により、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの各王国が統一されることとなった。それによりアイスランドはノルウェーの連合への統合に従い、1523年にスウェーデンが連合から離脱した後、デンマークの統治下に置かれた。デンマーク王国は1550年にアイスランドにルター派を強制的に導入した。
フランス革命後のナショナリズムの影響を受け、アイスランドの独立闘争は具体化し、1918年のデンマーク・アイスランド連合法で最高潮に達し、個人間での連合を通じて現職のデンマーク君主を共有するアイスランド王国が設立された。第二次世界大戦中のデンマーク占領中、アイスランドは1944年に圧倒的多数で共和制を支持し、デンマークとの連合関係に終止符を打った。アルシングは1799年から1845年まで中断されたが、それでも同国は世界で最も長く続いている議会の1つを維持する主張を保持している。
アイスランドは国土の大部分が西経15度よりも西にあるにもかかわらず、グリニッジ標準時を使っている。沿岸には多数のフィヨルドがある。火山性の土壌で大地は肥沃とは言えない。また、アイスランドの森林はかつて乱伐が行われたことも手伝って、現在の森林面積は国土の0.3パーセントしかない。国土を構成する島はプレート間の亀裂部分に位置しており、間欠泉や頻繁な火山噴火などの地質活動が確認されている 。内陸部は砂原と溶岩原、山地、氷河を特徴とする火山高原で構成されており、多くの氷河流が低地を通って海に流れ込んでいる。傍ら北極圏のすぐ南に位置する緯度にもかかわらず、メキシコ湾流によって暖められ、温暖な気候に属している。その高緯度と海洋の影響により夏は寒く、島々のほとんどは極地気候に属する。多くの火山が存在し、温泉も存在するほか、豊富な地熱を発電などに利用している。一方で、噴火による災害も多い。たとえば、2010年にはエイヤフィヤトラヨークトル氷河の火山が噴火し、欧州を中心に世界中で航空機の運用に大きな影響を与えた。ただし、「自然災害」のほか「紛争・戦乱」「治安など個人の安全」の3つのリスクで128カ国を比較した「世界で最も安全な国ランキング」(『グローバルファイナンス』誌)では、2019年が第1位、2018年が第2位だった。
アイスランドの文化はスカンジナビアの伝統に基づいており、アイスランド人のほとんどは北欧人とゲール人の入植者の子孫である。北ゲルマン語のアイスランド語は古西ノルド語からの系統の語群であり、フェロー語と密接に関係している。文化遺産には、伝統的なアイスランド料理、アイスランド文学、中世時代の物語などがある。
アイスランドは金融立国であり、2007年時の人間開発指数によると世界で最も発展した国であったが、2008年から2011年にかけて経済危機が発生、国家経済が金融に強く依存していたために2008年の世界金融危機の影響を強く受けて2008年10月に債務不履行となった。その後、自国通貨アイスランド・クローナも暴落したが、これが漁業やアルミニウム工業などの輸出産業にとっては有利に働いたため、かえって景気が回復することになった。それによって経済成長率は2012年度には1.5パーセント、2013年度には3.3パーセントを達成した。また、経済危機の直後には8パーセントを超えていた失業率も、2015年では4パーセント台で推移している。さらに来島する旅行者が急増して観光業が成長しているほか、IT分野などのベンチャー企業の育成・誘致にも力を入れている。2016年の経済成長率は7.2パーセントに達した。アイスランドは元々20世紀まで、主に漁業と農業に依存して生計を立てていた。第二次世界大戦後、漁業の工業化とマーシャル・プランによる援助が繁栄をもたらし、アイスランドは世界で最も裕福な先進国の一つとなった。1994年に欧州経済領域の一部となったことにより、経済は金融、バイオテクノロジー、製造などの分野でさらに多様化して来た。
他の経済協力開発機構(OECD)諸国と比べて税金が比較的低い市場経済を持っており、また世界で最も労働組合の加入率が高い。国民に国民皆保険と高等教育を提供する北欧の社会福祉制度を維持している 。アイスランドは、生活の質、教育、市民的自由の保護、政府の透明性、経済的自由などの国家パフォーマンスの国際比較で上位にランクされている。なお、アイスランドは国際連合(UN)、欧州自由貿易連合(EFTA)、北大西洋条約機構(NATO)、欧州経済領域(EEA)の加盟国である。
アイスランドはNATO加盟国の中で最も人口が少なく、常備軍を持たない唯一の国であり、軽武装の沿岸警備隊のみを保有している。世界でも希少な「軍隊を保有していない国家」である。国土防衛は警察隊と沿岸警備隊が担っており、実際にタラ戦争では沿岸警備隊がイギリス軍と戦った。歴史上1度も軍隊を保有したことがない。かつてはアメリカ合衆国と国防協定を締結してアメリカ空軍基地(アイスランド防衛隊)を設置し、冷戦下の重要な戦略拠点になっていた。しかし、冷戦終結から10数年を経た2006年、アメリカの「地球規模の戦力再編成の一環」による米軍の完全撤収が両国で合意に至り、約1,200名の将兵とF-15戦闘機4機が段階的に撤収、ケプラヴィーク米軍基地が閉鎖された。ただし、有事の際にはアメリカがアイスランド防衛を保障する協定を結んでいる。
メモ
昔、訪れたことがあったのですが、世界の果てのような国でした。行ってよかった。