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世界の国旗と国章(11)シリア

世界の国旗と国章マガジン



シリアの国旗

See File history below for details.For further informations, see also: en:Syrian Arab Republic and the en:United Arab Republic. - Syria Permanent Mission to the United Nations;FOTWBASED ON THIS CONSTRUCTION SHEET:, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=448257による

縦横比:2:3
制定日:1980年
使用色:赤、緑、白、黒

シリアの国旗は、1980年に制定されました。この国旗のデザインは、1958年から1961年の間も使われていました。

シリア国旗の変遷

最初のシリア国旗は、ハーシム家が建てたシリア王国時代の1920年にデザインされました。

シリア王国の国旗 (1920)
Ch1902 - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20390988による


これは現在のヨルダンの国旗に似ていますが、緑色と白色の順序が逆で、第一次世界大戦中にハーシム家が率いたアラブ反乱の旗をもとに七つの角のある白い星を加えたものであり、アラブ世界で最初に汎アラブ色(フサイン・イブン・アリーがアラブ反乱で用いたアラブ反乱旗に起源を持つとされ、赤、黒、白そして緑を基調とする)を取り入れた国旗でした。

ヨルダンの旗
User:SKopp - Drawn by User:SKoppCONSTRUCTION SHEET, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=343622による

しかしシリアはフランスの委任統治となったためフランス軍はシリアへ侵攻、ハーシム家は敗れ、王家はイギリスの手によりイラク王国の国王に据えられました。

フランス委任統治領シリアは王国の旗に替え、青地に白の三日月、左隅(カントン)にフランスの国旗を配した旗を制定しました。

フランス委任統治領シリアの旗 (1920-1922)
Thommy - 次の画像を基にした投稿者自身による著作物: Flags of the World - Historical Flags up to 1932 (Syria), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3901771による

さらに一ヵ月後、緑・白・緑の水平三色旗に、左隅にフランス国旗を配した旗に代えられました。

フランス委任統治領シリアの旗 (1922-1932)
F l a n k e r - http://flagspot.net/flags/sy-his.html#1925, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1556256による

この旗は1925年から1932年まで使用されました。同時期シリアはアラウィー派国ドゥルーズ派国などにも分割されており、それぞれ左隅にフランス国旗を配した旗を制定しました。

この旗は1932年に、上から緑・白・黒の三色の帯があり、白帯のところに3つの赤い星(五芒星)があるデザインに代えられ、次いでフランス・シリア条約が制定されシリアは部分的な独立を得えました。緑はイスラム帝国初期の正統カリフの時代を、白はウマイヤ朝を、黒はアッバース朝を表していました。三つの赤い五芒星は当初は委任統治領シリアのアレッポ地区、ダマスカス地区、デリゾール地区を指していましたが、1936年にアラウィー派国とドゥルーズ派国がシリアに合流すると、三つの星はシリアの主要部、アラウィ―派地域、ドゥルーズ派地域を表すということになりました。1944年の独立時もこの旗でした。

1932年から1958年、および1961年から1963年にかけて用いられた旗
See File history below for details. - 投稿者自身による著作物. Based on this source: Flags of the World - Historical Flags Since 1932 (Syria) and [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20389425による


1958年にシリアとエジプトがアラブ連合共和国を結成した時に、赤・白・黒で緑の星が二つある現在と同じデザインのものが使われました(二つの星はエジプトとシリアを意味しています)。

アラブ連合共和国の国旗 (1958-1961)
このベクター画像には、次のファイルから取得または適用された要素が含まれています:​ - 投稿者自身による著作物 (Original text: File:Flag of Syria.svg), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=99275941による

1961年にアラブ連合共和国を離脱した際に、古いデザインに戻りましたが、1963年にバアス党のクーデターでまた赤・白・黒の水平三色旗に戻りました。この時には星は3つとなりました(同時期にバアス党が政権を奪取したイラクの国旗と同様のデザインであり、当初はイラク・シリア・エジプトによる汎アラブ国家建設の構想もあったとされていますが、実現しませんでした)。

バアス党が政権奪取後に制定した国旗 (1963-1972)
Thespoondragon - 投稿者自身による著作物.BASED ON:rbVex;The International Flag Book in ColorSee also: Flags of the World - Historical Flags Since 1932 (Syria)., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=79516156による

1971年、リビアのカダフィ大佐主導で、シリア・エジプト・リビアの汎アラブ主義国がアラブ共和国連邦を結成し国旗を統合しました。この連邦は、赤・白・黒の水平三色旗の中央にアラビア語で「アラブ共和国連邦」と書かれた巻物を持つ金の鷹の旗を国旗に制定しましたが、この連邦は政治統合を見ないまま1977年に解消しました。

1972年に制定された国旗。アラブ共和国連邦解消後も1980年まで使われました
Flag_of_Egypt_1972.svg: Current vector version by Editor at Largederivative work: Orange Tuesday (talk) - Flag_of_Egypt_1972.svg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14782924による

1980年より現在のデザインが使われるようになりました。この旗はアラブ連合共和国当時と同じデザインで、赤色もアラブ共和国連邦当時の赤色からアラブ連合当時のやや明るい赤色に戻されました。

2011年から始まったシリア内戦では、バッシャール・アル=アサド率いるバアス党政権に反対する勢力が、アサド政権とバアス党の正当性を否定するため、バアス党の政権掌握以前に制定された1932年時の国旗を「シリア革命旗」として使用しています。

シリア内戦において反体制派の掲げるシリア革命旗。
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汎アラブ色

国旗に使われている色は伝統的な汎アラブ色であり、イエメン、エジプト、スーダン、イラクとも共通しています。二つの星はアラブ連合当時の二つの地域(シリアとエジプト)を象徴しています。緑は正統カリフまたはファーティマ朝を、白はウマイヤ朝を、黒はアッバース朝を、赤は殉教者を表すとされていますが、赤はヒジャーズのハーシム家を表すという見方もあります。


シリアの国章

シリアの国章
The official emblem of the Syrian Arab Republic. Its head is directed towards its left wing, and in the middle of its body is an Arab gear, with the official flag in the vertical position (in its right is a red color, in the middle is a white color, with two green stars in the middle facing upwards, and in its left is a black color) in addition to two ears of wheat symbolizing fertility and life. The eagle holds in its claws a ribbon inscribed in the Kufic script "Syrian Arab Republic". The eagle, the ribbon, and the two ears of wheat are in golden color, and the writing and the lines of the wings are in light brown.The logo was adopted by Law No. 37 issued on June 21, 1980 AD after its approval by the People’s Assembly on June 17, 1980 and published in the Official Gazette, issue No. 26 of 1980., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3493361による

使用者:シリア
採用:1980年
サポーター:クライシュ族の鷹
モットー:
الجمهورية العربية السورية‎(シリア・アラブ共和国)

シリアの国章はシリアの象徴の一つ。この国章はシリアの鷹あるいはクライシュ族の鷹と呼ばれ、1946年4月17日の独立時に適用されました。エジプトとの短い統合(アラブ連合共和国)の際には、サラディンの鷲と呼ばれるシンボルを用いていました。※クライシュ族:4世紀頃からメッカ(マッカ)近郊を勢力圏として遊牧および交易を行っていたアラブ人の部族であり、イスラム教の創始者である預言者ムハンマドの出身部族。

鳥を用いた紋章の多くとは異なり、シリアの鷹は右を向いています。胸にはシリアの国旗を縦向けにした盾を抱え、2本の月桂樹の枝が交差しています。鷹は足のかぎづめで「シリア・アラブ共和国(Al Jumhuriyah al Arabiyah as Suriyah、アラビア語: الجمهورية العربية السورية‎)」と書かれた帯を持っています。


シリアについて

正式名称(日本語):シリア・アラブ共和国
正式名称(英語):Syrian Arab Republic

場所

L'Américain - Turkey (orthographic projection).svg, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8992570による

公用語

アラビア語


首都

ダマスカス (Damascus)


概要

シリア・アラブ共和国、通称シリアは、西アジアに位置する共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面しています。首都はダマスカスで、古くから交通や文化の要衝として栄えてきました。「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともあります。

東西交通の十字路に当たるため、古代からヒッタイト、アケメネス朝、マケドニアなどの支配を受けました。7世紀に興ったウマイヤ朝がダマスカスに都を置くと、イスラム文化の中心地として栄えましたが(661-750年)、続くアッバース朝が都をバクダッドに移すと、その役割は薄れました。16世紀以降はオスマン帝国の領土となる。20世紀初頭にフランスの植民地になり、1946年に独立しました。

1963年に社会主義路線のバアス党が政権を奪い、1970年に同党の軍部クーデターによりハフェズ・アサドが政権を掌握し、軍と秘密警察を後ろ盾としたバアス党独裁体制が築かれました。

ハフェズ・アサド
Government of Syria - http://www.discover-syria.com/photo/14569/%D8%A3%D8%B1%D8%B3%D8%B7%D9%88, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=47867155による

2000年の死去後もその独裁体制は息子 バシャール・アサドに引き継がれ、現在に至っています。近年は強権的支配への反発が強まっており、アラブの春により2011年にシリア内戦が発生しました。内戦はアメリカ合衆国やロシアなどの外国勢力も参加したことで悪化し、多くのシリア難民を生みました。

半世紀にわたって独裁体制を維持できているのは、汎イスラム主義と他信仰に寛容な世俗主義という相反するイズムの使い分けによるとされています。ただし、政権批判や反政府活動に対しては容赦ない弾圧を加えており、英国のエコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主主義指数は、下から4番目の世界164位で「独裁政治体制」に分類されています(2019年度)。国境なき記者団による世界報道自由度ランキングも下から7番目の174位と下位で最も深刻な国の一つに分類されています(2020年度)。

外交は反イスラエル・反米路線が顕著であり、イスラエルと数度にわたって戦争を行ない(中東戦争)、1967年の第三次中東戦争の結果、南西国境地帯のゴラン高原を占領されています。イスラエルに対抗してレバノンで活動するシーア派原理組織「ヒズボラ」への支援を行っています。このことからアメリカ合衆国からはテロ支援国家に指定されています。1990年代には和平交渉が断続的に行われましたが、2000年3月に暗礁に乗り上げました。

経済面では、国の歳入は、東部で産出される石油が1位ですが、産出量・埋蔵量とも少ないため、枯渇が深刻化しています。ただし、綿花、小麦、オリーブ栽培といった農業の他、繊維、食品加工、セメントなどの工業も見られ、中東諸国に顕著な石油依存のモノカルチャー経済というわけではありません。

面積は約18万5000平方キロメートル。人口は約2000万人で、9割をシリア系アラブ人が占めています。イラン語系のクルド人や印欧語系のアルメニア人他も存在する多民族国家です。公用語はアラビア語。アラブ系国民の9割近くをイスラム教スンニ派が占めていますが、現大統領アサドはアラウィー派(シーア派の一派)アルメニア使徒教会コプト正教会など東方教会系のキリスト教徒も1割ほどいます。

シリアの歴史

残念ながら割愛。いつか追記します。

メモ

汎アラブ色がおもしろい。


参照

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*3



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