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世界の国旗と国章(17) ロシア

世界の国旗と国章マガジン

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ロシアの国旗

Zscout370 - Государственный флаг Российской Федерации. Цвета флага: (Blue - Pantone 286 C, Red - Pantone 485 C) взяты из [1][2][3][4], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9450374による

縦横比:2:3
制定日:1993年12月11日
使用色:白、青、赤

1992年以降のロシアの国旗は、白、青、赤の横三色旗です。

元々はロシア帝国の国旗で、1668年に制定されたロシア最初の国旗も白、青、赤の3色でした。白、青、赤はモスクワ大公国の紋章にあった色です。青いケープをまとい銀色の鎧を着て白馬に乗った聖ゲオルギウスが赤い野を駆けて竜を退治している図柄であり、ロシア国旗の色はこの3色から来ているという説があります。また、この3色はロシアの守護聖人、生神女マリヤの着ているローブに由来するという説もあります。

モスクワ大公国紋章
Original Author: Vector-Images.comConverted to SVG by: Oren neu dag - http://vector-images.com/image.php?epsid=14, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4513588による

アレクサンドル2世の治世下においては、黒、黄、白の三色旗に改められました。この黒、黄は、国章である金地に黒の双頭の鷲に由来していました。しかし、アレクサンドル3世の治世下で元の白、青、赤の三色旗に戻され、第一次世界大戦時にはカントンに国章が追加されました。

1917年にロシア帝国が倒され(ロシア革命)、1922年にソビエト連邦が成立すると、ロシア帝国の「白・青・赤の三色旗」は廃止され、「鎌と槌の赤旗」がソビエト連邦の国旗に制定されます。

そして、1991年12月25日にソビエト連邦が崩壊し、1992年元日にロシア連邦が成立すると、「鎌と槌の赤旗」の国旗は廃止され、帝国時代末期(1883年 - 1917年)の「白・青・赤の三色旗」の国旗が1993年12月11日に復活し、この旗がロシア連邦の国旗に制定されました。

白は高貴と率直のベラルーシ人を、青は名誉と純潔性のウクライナ人を、赤は愛と勇気のロシア人を表しています。この国旗の3色は汎スラヴ色としてPrague Slavic Congress 1848で正式に決まったものです。


生神女

アトス山のヒランダリウ修道院にある生神女マリヤのイコン。ダマスコの聖イオアンによるイコンの構図で、「三本手の生神女」と呼ばれるタイプである。左下に生神女のものではない手が描かれている。聖像破壊運動の時代、東ローマ帝国皇帝の策略によってイコンを描く手を切り落とされた聖イオアンであったが、生神女の庇護により手が回復したという奇蹟があったと伝えられる。この奇蹟に感謝してイオアンが手を描き加えたのがこのイコンの構図の始まりだとされる。
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3004944

生神女(しょうしんじょ:教会スラヴ語・ロシア語・ブルガリア語: Богородица, 英語: Theotokos)とは、「神を生みし女」を意味する、正教会におけるイエスの母マリアに対する敬称です。一般に言われる聖母マリアの事ですが、日本正教会では聖母という表現は用いられず専ら「生神女」「生神女マリヤ」「生神女マリア」との表現が用いられ、生神女マリアを単に聖母マリアという語に限定してしまうのは誤りであるとされています(*4)。正教会では生神女マリヤを神の母・第一の聖人として位置付けています。


ロシアの国章

Official source (SVG) / Федеральный конституционный закон от 25.12.2000 г. № 2-ФКЗ «О Государственном гербе Российской Федерации», パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1543211による

使用者:ロシア連邦
採用:1993年11月30日
盾:Gules, a double-headed Imperial Eagle displayed, twice imperially crowned, grasping in the dexter claw an imperial sceptre, and in the sinister claw an imperial orb, all Or. In chief another larger imperial crown with issuant and pendent therefrom a ribbon of the Order of St. Andrew the First-Called, also Or.
The Imperial Eagle is charged on the breast with an escutcheon: Gules, an image of St. George Martyr the Victorious in complete armour Argent, wearing a flying cloak Azure, riding a horse in full gallop Argent; the latter treading upon a dragon crawling in base Or, whose head the rider is piercing through with a spear Argent.

ロシア連邦の国章はロシア帝国の紋章に由来し、赤いフィールドに金色の鷲があしらわれています。鷲の頭には三つの王冠があり、胸にはドラゴンを倒す聖ゲオルギオスを描いた赤い盾(インエスカッシャン)があります。

歴史

ソビエト連邦の崩壊の後に、ロシア帝国の紋章に由来する国章が使われるようになりました。元々はイヴァン3世が定めた紋章に対して修正が繰り返されたもの。配色は15世紀に使われていたものに由来しています。鷲の形はピョートル1世の時代に使われたものに由来。

ロシアの国章を形作る大きな二つの象徴(双頭の鷲ドラゴンを殺害する聖ゲオルギオス)はピョートル1世以前に由来しています。

ピョートル1世(ロシア皇帝)
ピョートル1世(1672年6月9日–1725年2月8日)は、モスクワ・ロシアのツァーリ(在位:1682年 - 1725年)、初代ロシア皇帝(インペラートル / 在位:1721年 - 1725年)。大北方戦争での勝利により、ピョートル大帝(ピョートル・ヴェリーキイ / Пётр Вели́кий)と称されました。
ポール・ドラローシュ - Bildindex der Kunst und Architektur, object 00031228, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=32937による

モスクワ大公国のツァーリであるイヴァン3世の紋章は、ドラゴンを殺す(もしくは争う)騎手を象徴としていました。騎手は1730年に法令で制定されるまでは公式には聖ゲオルギオスであるとはされていませんでした。

より古い形態がモスクワ大公国および現在のモスクワ市の紋章です。槍を持った騎手という象徴は、1390年にモスクワ公ヴァシーリー1世の紋章として最初に表れました。蛇もしくはドラゴンがイヴァン3世の元で加えられています。

聖ゲオルギオスはモスクワおよびロシアの守護聖徒となりました。今日、現代のロシアが世俗国家であるという特色を維持することを主な理由として、公式文書では中央の盾にいる騎手が聖ゲオルギオスであるとは言及されていません。

双頭の鷲は東ローマ帝国王女であり東ローマ最後の皇帝コンスタンティノス11世パレオロゴスをおじに持つゾイ・パレオロギナとの結婚ののちに、イヴァン3世によって採用されました。双頭の鷲は東洋と西洋の両方にかかる東ローマ帝国の公式の国章でした。

それは、別の様相においては、教会と国との単一性を象徴していました。1453年のコンスタンティノープルの陥落ののち、イヴァン3世とその相続人は、モスクワが真理・正統・キリスト教の信仰・そして結果としてローマ帝国の最後の拠点であると考えました(その結果、第3のローマという表現がモスクワ、あるいはロシア全体に対して用いられました)。

1497年より、双頭の鷲をもって神聖ローマ帝国と同等のロシアの主権を宣言していました。双頭の鷲がロシアの国章として公式化されたことを示す残された最初の証拠は、1497年の、独立した王子たちに対する領土の割り当ての勅許に際して使用された王子の紋章です。同時に、赤い背景の上の金メッキされた双頭の鷲の象徴が、クレムリンのファセッツ宮殿の壁に現れました。

ロマノフ朝の最初のツァーリ(ブルガリア・ロシアなどスラヴ語圏で使用された君主の称号)であるミハイル・ロマノフの下で国章が変更された。

ミハイル・ロマノフ
ヨハン・ハインリヒ・ヴェーデキント - Tretiakov Gallery, Moscowhttp://www.liveinternet.ru/users/stephanya/post127429068/, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=129906331によ

1625年、双頭の鷲が三つの王冠で装飾されました。この王冠は、カザン・アストラハン・シベリアの征服された王国、あるいは大ロシア(ロシア)・小ロシア(現在のウクライナ)・白ロシア(ベラルーシ)の一体性を示すものとして説明されました。今日、この王冠は全体として、あるいは下位区分(共和国・地方)としてのロシアの主権と一体性を象徴しています。

宝珠(Держава)と王笏(Скипетр)は主権と専制を意味する伝統的な象徴です。現在のロシアが君主制国家ではないにもかかわらず、ロシアの現代の国章にも保持されると決定されました。三つの冠を支える聖アンドレイ勲章の綬と、それに対応するモスクワの紋章を囲む聖アンドレイ勲章の頸飾を除去した意匠が、1993年に採用されました。また、プーチン大統領が2000年12月20日に国章に関連する法案に署名しました。

アイルランドの国章は1945年11月9日にアイルランドの正式な国章として制定されました。意匠は聖パトリックの青を地色にし、その上に銀色の弦を張られた金の竪琴が描かれています。

アイルランドの国章の竪琴は紋章でもあり、イギリスの国章の左下や、カナダの国章の盾部分の左中央部にも描かれています。

紋章記述は次のとおり。

この国章が、アイルランド王の紋章であることが13世紀から言及があります。これらの武器は、イングランドのヘンリー8世がアイルランド卿を終え、1541年にアイルランドを再び王国であると宣言したときに採用されました。1603年にイングランド、スコットランド、アイルランドが王冠連合されると、それぞれを統一した紋章に統合されました。

竪琴は1922年にイギリスから分離したときにアイルランド自由国の紋章として採用されました。1945年11月9日にアイルランドの国章として登録されました。

竪琴の描写は時間とともに変化しました。独立したアイルランド国家の紋章として1922年に復元されたとき、中世後期のゲーリック竪琴(アイリッシュ竪琴)であるトリニティ・カレッジ・竪琴がモデルとして使用されました。

紋章バッジや使用頻度の低いクレストやリースなど、いくつかの変種が存在しています。イギリスの王冠の下で1171か1541の間に存在していたアイルランドの中世レルムであるアイルランド卿は、別の紋章を持っていました(3つのゴールデンクラウンと白い境界線が付いた青色の背景に垂直に描かれています)。古代のミーズ王国の紋章の変種も、かつてアイルランドの紋章として使用されていたようです。

歴史

紋章学は本質的に封建芸術であるため、1169年にノルマン人がアイルランドに侵攻して、はじめてアイルランドの紋章が生まれたのは、芸術がイギリスやヨーロッパ大陸に普及してから数十年後のことでした。

ヘラルド・オブ・アームズの言及は、最初のアイルランドのキング・オブ・アームズの創設に関する1392年のことでした。イギリスの紋章院の下にあったアイルランドのキング・オブ・アームズは、1552年に独立したアルスター・キング・オブ・アームズとアスローン・パースィバントによって継承されます。1943年、アルスター・キング・オブ・アームズはイングランドのノーロイ・キング・オブ・アームズと合併し、ノーロイ・アンド・アルスター・キング・オブ・アームズを設立。アイルランド紋章官の事務所はアルスター・キング・オブ・アームズの後継者として設立され、アイルランドの紋章は1945年11月9日にアイルランド紋章官によって登録されました。

しかし、アイルランド王の紋章としての竪琴への言及は、最も古い中世の紋章のロールの1つで見つけることができます。Wijnbergenロールは1280年あたりからさかのぼるフランスの紋章ロールであり、オランダのデン・ハーグに保存され、アイルランドの王(le Roi d'Irlande)が「D'azure a la harpe d'or(金の竪琴のあるアジュール)」であるとされています。

竪琴は伝統的にダビデ王に関連していたもので、中世のロールにはまれなチャージであり、竪琴を備えた2つの紋章だけが19の初期ロールのコレクションにリストされています。三角形の図柄は、12世紀と13世紀にジョン王とエドワード1世によって中世のアイルランドの貨幣に登場しました。これらの図柄は粗野な竪琴であったか、アイルランドの硬貨を区別するための三角形の使用から竪琴が発達した可能性があります。竪琴がアイルランドの紋章であるという考えは、トリスタンの宮廷伝説における架空の人物、『le roi d'irlande』の言及に端を発している可能性があるとされています。あるいは、13世紀の有名な詩人の詩である『Tabhroidh Chugam Cruit mo Riogh』から派生したものかもしれないとされています。


その起源が何であれ、竪琴は1541年にヘンリー8世によって設立されたアイルランド王国の象徴として採用されました。ヘンリー8世の後期の統治、またはエドワード6世の息子の初期の統治のいずれかからのアルスター・キング・オブ・アームズの文書では、アイルランド王国の紋章だったと述べています。1603年に紋章は、イギリス、アイルランド、スコットランドのそれぞれを統一した紋章に統合されました。1922年にイギリスからアイルランド自由国が離脱したとき、竪琴は独立したアイルランド国家の紋章となりました。

今日、竪琴は、アイルランドの硬貨、パスポート、公式印章に使用されています。また、北アイルランド警察など、北アイルランドの多くの団体の紋章にも組み込まれています。竪琴は、ギネスやライアンエアーなどのアイルランド企業のエンブレムに、頻繁に使用されています。また、モントセラトやカナダなど、アイルランドやイギリスと歴史的に関連のある国々の紋章にも現れることがあります。1984年に、紋章官によって承認された近代的なデザインの見本は、国の紋章に関連するパリ条約第6条の3に基づいて、アイルランド政府によって世界知的所有権機関に登録されました。政府は竪琴の響板を右側にし、「左向き」の竪琴のみを登録しました。司法長官室は右向きの竪琴も登録する必要があると感じていたのですが、特許代理人は1870年代以降のギネスビール醸造所のロゴで、そのような竪琴の使用を妨げるかもしれないと助言しています。


聖パトリックの青

聖パトリックの青とは、アイルランドのシンボルであると考えられるいくつかの青系の色合いにたいして使われる名称です。英国の慣習においては、聖パトリック勲章と結び付けられる複数のスカイブルーの色調を指しています。アイルランド共和国の現在の慣習では、これはより濃い色調を示すこともあります。一方、緑色はいまではアイルランドの一般的なナショナルカラーとなっており、「聖パトリックの青」はいまだいくつかのシンボルで見ることができます。

アイルランド神話において、アイルランドの君主Flaitheas Éireannは青いローブを着た女性として描かれていました。ミゼ(Mide) の旗(flag of Mide)は青地でしたが、その図案がアイルランドの紋章として使われたとき、その地はセーブル(英: Sable/紋章学における黒色を表すティンクチャー)でした。

ヘンリー8世が自身をアイルランド王国の王であると宣言した際、その紋章は青地にハープでした。これはイギリス王旗(Royal Standard of the United Kingdom)の左下に今日でも見ることができます。


ロシア

正式名称:ロシア連邦
英語:Russian Federation

場所

UnixBased - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=123330022による

公用語

ロシア語

首都

モスクワ

Su Channelさんのモスクワ旅行の動画(2023年)


概要

ロシア連邦は、ユーラシア大陸北部に位置する連邦共和制国家です。首都はモスクワ。

国土は旧ロシア帝国およびソビエト連邦の大半を引き継いでおり、ヨーロッパからシベリア・極東におよぶ。面積は17,090,000 km2(平方キロメートル)以上と世界最大です。

ロシアは国際連合安全保障理事会常任理事国であり、旧ソビエト連邦構成共和国でつくる独立国家共同体(CIS)の指導国であるだけでなく、BRICS、G20、アジア太平洋経済協力(APEC)、上海協力機構、ユーラシア経済共同体、欧州安全保障協力機構、世界貿易機関(WTO)などの加盟国です。かつてG8加盟国でしたがが、2014年3月にクリミアの併合を強行したことでG8の参加資格を停止されました。

核拡散防止条約により核兵器の保有を認められた5つの公式核保有国の一つであり、世界最大の大量破壊兵器保有国です。

国防費は2010年以降増加の一途を辿っています。常備軍のロシア連邦軍は地上軍・海軍・航空宇宙軍の3軍の他、戦略ロケット軍と空挺軍の2つの独立兵科で構成されています。運用面では地理的に分割された軍管区に権限が委譲されており、それぞれに統合戦略コマンドが設置されて3軍と通常兵器部隊を指揮しています(戦略核兵器部隊は指揮権外)。現役軍人は約90万人ですが、2022年ロシアのウクライナ侵攻に伴う大量の戦死傷・捕虜や動員で変動しており、さらにロシア政府は2026年にかけて軍の定員を150万人へ増やす計画を進めています。

政治体制は、ソビエト連邦の崩壊に前後してソビエト共産党による一党独裁制が放棄されて複数政党制に基づく選挙が行われるようになりましたが、2003年以降は事実上ウラジーミル・プーチン率いる与党「統一ロシア」の一党優位政党制になっています。複数政党制や選挙は一応存在していますが、選挙から反体制派候補を排除するなどプーチン体制に有利な政治制度が構築されており、政治的意思を表明する機会が乏しい。「法の独裁」による統治を目指す強権的体質が内外から批判されており、エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主主義指数は、世界134位と下位で「独裁政治体制」に分類されています(2019年度)。

言論の自由に関しても、国境なき記者団による世界報道自由度ランキングは149位と下位です(2020年度)。特に、2022年のウクライナ侵攻以降は「広範囲に検閲を行うなどしてニュースや情報を完全に支配している」と非難されており、2022年は155位、2023年は164位と大幅に順位を落としています。

領土や軍事力に比べてロシアの経済は国際的地位が低いものの、2014年時点の名目GDPは世界第9位(発展途上国に有利になる購買力平価では世界第6位)でした。鉱物およびエネルギー資源は世界最大の埋蔵量であり、世界最大の原油生産国および世界最大の天然ガス生産国の一つです。しかし、資源依存の経済体質であるため、原油安の時期は経済が停滞します。加えて2014年にクリミア併合を強行したことにより、欧米から経済制裁を受けてさらなる打撃を受けています。2022年にはウクライナへ侵攻したことでSWIFTからの排除など、さらなる経済制裁を受けています。

2023年時点ではロシアは世界第2位の仮想通貨のマイニング大国であり、ブロックチェーン技術を使用した国際決済(BRICS PAY)の推進や、新たな機関を設立する計画を進めています。

人口はロシア連邦国家統計庁によれば1億4680万人(2017年時点。ソ連時代の1990年には2億8862万人でした)であり、世界第9位、ヨーロッパで最も多い人口です。最大の民族はロシア人ですが、ウクライナ人やベラルーシ人やトルコ系のウズベク人、またシベリアや極東の少数民族なども存在し、合計で100以上の民族があります。公用語はロシア語ですが、少数民族の言語も存在しています。宗教はキリスト教徒が人口の60%を占め、その大半がロシア正教会の信者です。イスラム教徒も人口の8%ほどおり、仏教徒も存在しています。

地理としてはロシアの国境は、北西から南東へ、ノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、ともにカリーニングラード州と隣接するリトアニアおよびポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、ジョージア、アゼルバイジャン、カザフスタン、中華人民共和国、モンゴル国、朝鮮民主主義人民共和国と接しています。海上境界線としては、日本とはオホーツク海・宗谷海峡・根室海峡・珸瑤瑁水道、アメリカ合衆国アラスカ州とはベーリング海峡を挟んで向かいます。ロシアの国土面積は17,075,400 km2で世界最大であり、地球上の居住地域の8分の1を占めています。国土が北アジア全体および東ヨーロッパの大部分に広がることに伴い、ロシアは11の標準時を有し、広範な環境および地形を包含しています。


ロシアの歴史

割愛。


メモ

なし。


参照

*1 Wikipedia 日本語


*2 外務省

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/index.html


*3


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