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世界の国旗と国章(23) フィンランド

世界の国旗と国章マガジン

今まで消化したい国とフィンランドの位置

フィンランド

正式名称(日本語):フィンランド共和国
正式名称(英語):Republic of Finland
公用語:フィンランド語、スウェーデン語

位置

NuclearVacuum, Ssolbergj - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8105130による

フィンランド共和国、通称フィンランドは、北ヨーロッパに位置する共和制国家。首都はヘルシンキ。バルト海東岸に位置する国の一つであり、国境は、北はノルウェー、西はスウェーデン、東はロシアと接しています。南はフィンランド湾を挟みエストニアと相対しています。

国体の変化が激しい歴史を持つ国家であり、王制から共和制へ変換された国々の一国として知られています。

ロシア帝国が第二次ロシア・スウェーデン戦争後にフィンランドを併合してフィンランド大公国にした1809年まで、スウェーデン王国に属していました。

のちにロシア帝国がロシア革命で崩壊して1917年に独立。

独立後、フィンランドでは4つの戦争が行われました。1918年のフィンランド内戦、ロシア革命で成立したソビエト連邦と冬戦争(1939年 - 1940年)、第二次世界大戦(独ソ戦)に伴うソ連と継続戦争(1941年 - 1944年)、ソ連と講和後のナチス・ドイツとラップランド戦争(1944年 - 1945年)です。それぞれの戦争において、共和国の軍隊は、軍の最高司令官であるマンネルヘイム元帥によって率いられました。冬戦争と継続戦争により幾らかの土地をソ連に奪われるも、ソ連に併合されたバルト三国と異なり独立を維持しました

マンネルヘイム元帥
sa-kuva - http://sa-kuva.fi/neo#, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=25766502による

首都ヘルシンキは露仏同盟以来、ロシア帝国の主要都市であるサンクトペテルブルク方面へ西側諸国が投資や往来をするための前線基地となってきました。フィンランドで成長しているもう一つの重要な都市エリアは、ヘルシンキの北約180 kmにあるタンペレです。同じく直近の旧領ヴィボルグはサイマー運河の出口でしたが、現在はロシア領で、ノルド・ストリームの経由地となっています。ロシアと欧州諸国の間にある地政学的な重要性から、度々勢力争いの舞台や戦場になってきました。

外交・安全保障やエネルギー政策を巡り東西の綱引きが行われています。

西側の技術によるオルキルオト原子力発電所とソ連の技術で建設されたロヴィーサ原子力発電所の両方を運用する唯一の国であり、オンカロ処分場が2020年に開設されれば世界初の使用済み核燃料の最終処分場となります。情報産業も政治と関係しており、公職経歴者が民間企業の幹部になる例として、エスコ・アホは首相経験者でノキア取締役を務めています。

人口や経済規模は小さいが一人当たりGDPなどを見ると、豊かで自由な民主主義国として知られています。フィンランドは2014年のOECDレビューにおいて「世界でもっとも競争力が高く、かつ市民が生活に満足している国のひとつである」と報告されました。

フィンランドは収入、雇用と所得、住居、ワークライフバランス、保健状態、教育と技能、社会的結びつき、市民契約、環境の質、個人の安全、主観的幸福の各評価において、全ての点でOECD加盟国平均を上回っています。

同国は1995年、欧州連合(EU)加盟国となりました。2020年の積極的平和指数で欧州連合で第1位にランクされました。

2022年、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて北大西洋条約機構(NATO)への加盟申請を行い、2023年、トルコが承認したことでNATO全加盟国の承認が完了し、同年4月4日にNATOに加盟しました。


国名

フィンランドは「フィン人の国」の意味で、スオミはフィン人の自称です。「スオミ」の語源については多くの説が提唱されており定説はありませんが、同じウラル系の「サーミ」や「サーミッド」(サモエード)と同源とする見方があります。

「フィン」についてはタキトゥス『ゲルマニア』にある「北方に住む貧しいフェンニ人」が最古の現存する記述であります。「スオミ」については古くはフィンランド南西端、バルト海沿岸にある都市トゥルクを中心とする限られた地域を指す単語でしたのが、のちに国土全体を指す単語に変容し、そこに住んでいたスオミ族の名がフィンランド語の名称になりました。トゥルク周辺は現在では「本来のスオミ(Varsinais-Suomi)」と呼ばれています。「スオミ」は、フィンランド語で「湖沼・沼地」を表す単語「スオ」(suo)に由来すると言われています。


首都

ヘルシンキ

ヘルシンキ33歳ひとり旅🇫🇮物価も街並みも北欧で一番穏やか【ヨーロッパ#12】2022年7月18日〜21日(Youtube)


国旗

SVG ベクトル化: Sebastian Koppehel - https://finlex.fi/fi/laki/ajantasa/1978/19780380 https://finlex.fi/fi/laki/alkup/1993/19930827 https://encycolorpedia.com/002f6c, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=343054による

縦横比:11:18
制定日: 1920年
使用色:白、青
デザイナー 原案:アクセリ・ガッレン=カッレラ
最終版:エーロ・スネルマン、ブルノ・トゥーッカネン

フィンランドの国旗 は、20世紀初頭から使用されるようになった国旗。場合によっては、siniristilippu(「青十字旗」の意)とも呼ばれます。白地にキリスト教を反映しているとされる青のスカンディナヴィア十字を描いた旗。政府公用旗は、市民旗に四角形のフィンランドの国章がスカンディナヴィア十字の交点の部分に配置されています。

フィンランド政府公用旗
Axel Gallén-Kallela - Drawn by Vzb83 using the picture of coat of arms at [1]. The colours are Pantone 294C for blue, 186C for red and 123C for yellow, as defined by [2], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=551079による

この政府公用旗の旗尾に燕尾型にしたものが軍旗として使用されます。更に大統領旗も制定されており、こちらは軍旗の左上の白い部分に、自由十字勲章にちなんだ自由十字が配置されています。スウェーデンの国旗のように、フィンランドの国旗は、スカンディナヴィア十字を基にした旗です。

この国旗は、フィンランドがロシア帝国の(フィンランド大公国)から独立を宣言して成立したフィンランド王国で採用されました。これは、多くの愛国的なフィンランド人達が自分たちの国のための特別な旗を欲していた際に制定されました。ただし、このデザイン自体は19世紀に行われています。この国旗に使われた青の色は、フィンランドにある数千の湖と海と空を、白が国土を覆う雪を反映しているとされています。この色の組み合わせは、100を超えるフィンランドの州旗、軍旗、自治体旗に使用されています。


国章

投稿者自身による著作物, based on image from The Finnish Heritage Agency. Colours are Pantone 186 C for red and 123 C for yellow as defined in the Finnish flag law, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=560472による

使用者:フィンランド
採用:1978年

フィンランドの国章とは、現在のフィンランドの国章を指すが、広義にはその前身に当たる国家の国章をも含めた総称です。歴史ある「グスタフ1世の紋章」をあしらったものが代表的な意匠。

上に示したのが現在の国章ですが、これはグスタフ1世の紋章の流れを汲むライオン像を核としてデザインされています。赤一色のフィールドに描かれているこの金のライオン・ランパントは、戴冠していること、右前肢(右の前脚)だけが防具を装着して剣を振りかざした人の腕に置き換わっていること、両脚で刀を踏み付けていること、以上3つの伝統的造形を特徴としています。加えて、フィールドに散りばめられた9ひらの銀の薔薇の花も、ライオン像と同じ歴史を誇る意匠です。

現在の国章が公式に制定されたのは比較的最近の1978年ですが、件のライオン像は1580年より前に作成されていています。

北欧の国章にみられるライオン

西欧ではライオンが描かれている紋章が多く、いくつかの欧州の国家では国章にライオンが描かれています。北欧諸国では12世紀後半のデンマークの国章に初めてライオンが描かれました。

デンマークの国章
このSVG 紋章には、次の紋章から取得または適用された要素が含まれています:​, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10851483による

12世紀初頭、フィンランドの地はスウェーデン王国によって属州とされました。最初にスウェーデンでライオンを使った紋章はスウェーデン王族のエリク10世とエリク11世の紋章で、それぞれ2頭、3頭のライオンが描かれていました。フォルクング朝の最初の王であるヴァルデマール王も、自らの紋章に3頭のライオンを描ています。3頭のライオンの背後には、たくさんのハートの模様が描かれています。

フィンランド公国時代

最初のフィンランド公であるベネディクトと二代目のヴァルデマールの紋章にも、王冠を被り、後ろ足で立ったライオンが描かれています。この紋章は現在のフィンランド国章とよく似ていますが、まだ剣を持っていませんでした。

剣を持った腕

1577年あるいはその少し後にフィンランドとカレリアの大公(後にフィンランド大公に改称)の号を得たスウェーデン王ヨハン3世の時代に、ライオンは大公の紋章と密接に結びつけられました。

大公の紋章はイェータ・ライオン(フォルクンガ・ライオンが原型)とカレリアの国章を組み合わせたものだと考えられています。この結果、ライオンは一本の腕で剣を掲げ、落ちている剣を踏みつけるというデザインになっています。

一番良く知られている大公の紋章はウプサラ大聖堂にあるグスタフ1世の墓標に刻まれたものです。

グスタフ1世の墓碑に刻まれた自身の紋章(ウプサラ大聖堂、スウェーデン)
英語版ウィキペディアのGrimneさん - en.wikipedia からコモンズに移動されました。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4016309による

それはヨハン3世もしくは彼の異父兄のエリック14世が考案したと伝えられています。どちらが考案したかは正確には分かっていませんが、エリック14世は紋章学に興味を持っていたことが知られています。

この墓標はフランドルの建築家・彫刻家で、スウェーデンでも活躍したギヨーム・ボイエンによって制作されました。彼は1562年にアントワープで仕事にとりかかり、10年後には国王夫妻の彫像が完成したものの、彼の金銭問題が原因で、石棺は1583年までウプサラに運ばれませんでした。

完成したのは1591年。墓碑にはスウェーデン国章とフィンランド国章に加え、南北フィンランド、タバスティア、カレリアなど11州の紋章が描かれています。ギョーム・ボイエンの仕事はとても素晴らしい物でしたが、それは、ライオンがフランスの紋章において特徴的だったということが一因として考えられています。おそらく彼は国王の仕事を受ける前にライオンの紋章を多く作成していたと考えられています。

紋章には戴冠した金のライオンが剣を右前足で持ち掲げ、後ろ足でロシアのサーベルを踏みつけている様が描かれていますが、これはグスタフ1世とヨハン3世がロシアとの戦いに苦闘していたという経緯が関わっています。

ライオンの周りには、9個の薔薇がちりばめられています。これは単なる装飾であると考えられていますが、フィンランドの歴史的な9つの州を表しているという仮説も存在しています。


フィンランドの歴史

割愛。後ほど追記します。


メモ

なし。



参照

*1 Wikipedia





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