知っておきたいデザイナー№1: IBMのロゴを作った、ポール・ランド
ビジネスに使えるデザインの話
ビジネスにデザインの知識はけっこう使えます。苦手な人も多いから1つ知るだけでもその分アドバンテージになることもあります。noteは毎日午前7時に更新しています。
知っておきたいデザイナー×7
グラフィックデザインに関わっている方なら、勉強やら調査やらで巨匠も現代に活躍しているデザイナーについても知っていることが多いわけですが、そうではない方には著名なデザイナーと言われてもだれも思いつかないのではないでしょうか。おそらく、佐藤可士和さんが日本でもっとも有名なデザイナーでしょう。ついで、Nendoの佐藤オオキさんかもしれませんが、佐藤オオキさんはプロダクトデザインの方で、佐藤可士和さんとはちょっとフィールドが異なります。偶然、お二方とも苗字が佐藤ですね。
アートの世界にもいえるのですが、デザインの世界にもある人物の影響が他者に強く及ぶ場合があります。たとえば、ディーター・ラムス氏のデザインは数十年たって、アップルの製品デザインに大きな影響を及ぼしました。
ということは、著名なデザイナーの仕事をなんとなくおさえておくことで、星座が完成していくように、デザインの世界の全体像が、過去と現在という縦軸と世界という横軸のなかで、徐々にみえてくるのではないでしょうか。ドットを結んでいくとデザインの評価する力も増え、且つ考案する力も増えていきます。わたしは、デザイナーではない方々のデザイン知識の底があがることで、企業のアウトプットが格段に上がっていくのではないかと思っています。そんなわけで、この人は知っておきたい!というデザイナーをこれから7名順に紹介していきます。今回は、晩年?は怒りっぽくなった巨匠、ポール ランド氏。このシリーズは金曜日にアップしていきます。
ポール・ランド
ポール・ランド(Paul Rand)は、アメリカのアートディレクター、グラフィックデザイナーです。IBM、UPS、エンロン、モーニングスター社、ウェスティングハウス、ABC、Nextなどの企業ロゴをデザインしたことで有名です。イェール大学のグラフィックデザインの名誉教授。 1972年にニューヨーク・アートディレクターズ・クラブのホール・オブ・フェイムに選出されています。
生涯
ランド氏は、1914年8月15日(第一次世界大戦が始まった年。日本は大正3年)、ニューヨークのブルックリンにペレツ・ローゼンバウム(Peretz Rosenbaum)として生まれました。 幼い頃からデザインに親しみ、父の経営する食料品店の看板や学校行事のために絵を描いていました。ランドは、カッサンドルやモホリ=ナギの作品を『Gebrauchsgraphik』などのヨーロッパの雑誌から学び、デザイナーとしてはほとんど独学だったと語っています(*1)。(しかしパーソンズ・ザ・ニュー・スクール・フォー・デザインとアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに通っていました。)
ランド氏は、様々な新聞や雑誌にグラフィックを提供するシンジケートでストックイメージを作成するアルバイトから始まり、授業と仕事の合間に、ドイツの広告スタイルであるSachplakat(ザッハプラカット)*やグスタフ・ジェンセンの作品に大きく影響された、かなり大きなポートフォリオを溜め込みました。ランド氏は、ペレツ・ローゼンバウムという名前からユダヤ人であることがわかってしまうため、名字を「ポール」と短くし、「ランド」は叔父から受け継ぎ、マディソン・アベニューにふさわしい名字にしようと考えました。ランド氏と友人、モリス・ワイソグロッド(Morris Wyszogrod)は、「彼は、『ポール・ランド(Paul Rand)
』という、ここに4文字、ここに4文字があれば、いいシンボルになると考えたんだ。そこで彼はポール・ランドとなった」と述べています。
20代前半には、ランドが、自由に制作させてもらうことを条件に無償で制作した『ディレクション(Direction)』誌の表紙デザインを筆頭に、国際的に高い評価を受ける作品を生み出していきました。 ラースロー・モホリ=ナギ氏は、ランド氏を称賛し、次のように述べています。
ランド氏は、1950年代から60年代にかけて制作した企業ロゴで有名ですが、初期のページデザインの仕事のころから、名声をかちえていました。1936年、ランドは『アパレル・アーツ』(現『GQ』)誌の記念号のページレイアウトを任され、「ありふれた写真をダイナミックな構成に変換し、……ページに編集上の重みを与える彼の驚くべき才能」により、ランドは正社員となり、さらに『エスクァイア』、『コロネット』のアートディレクターのオファーを受けました。当初、ランド氏は、これらの仕事が要求するレベルに自分はまだ達していないとして断りましたが、1年後に決断し、23歳の若さで『エスクァイア』のファッションページを担当することになりました。
ランド氏は、上記の通り、企業ロゴでとても有名で、名作を残しています。ランド氏は、ビジネスにおいてデザインが効果的なツールであることを納得させる力を持っていました。またランド氏の存在と功績は、グラフィックデザイナーの地位全体を向上させました。
ランド氏は1956年にIBMのロゴをデザインしました。そのロゴは、単なるアイデンティティではなく、企業と人々の意識に浸透した基本的なデザイン哲学として、捉えられました。IBMのストライプのロゴは、1972年に制作されました。ストライプは、IBMのマークをやや軽くし、かつよりダイナミックにする「ハーフトーン技法」として導入しました。
ストライプのロゴは、8本のストライプと13本のストライプの2種類がデザインされました。8本ストライプはIBMのデフォルトロゴとして、13本ストライプはIBMの役員用ステーショナリーや名刺など、より洗練されたデザインを必要とする場面で使用されました。
1960年に作成されたウェスティングハウスのトレードマークは、ミニマリズムの理想を体現していると同時に、「ロゴは、極限までシンプルかつ抑制されたデザインでなければ生き残れない」というランド氏の指摘を体現したものでした。ランド氏は年齢を重ねても活動的で、80年代から90年代にかけても重要なコーポレートアイデンティティを制作し続けました。1つのデザインに10万ドルという噂もあったほど。後年の作品の中で最も注目すべきは、スティーブ・ジョブズ氏に依頼されて制作したNeXTのロゴ。ジョブズ氏は、ランド氏を「生きているもっとも偉大なグラフィックデザイナー」と評していました。
晩年、ランド氏は、デザインの仕事と回顧録の執筆に専念していました。1996年、癌のためコネチカット州ノーウォークで82歳で死去。ベス・エル墓地に埋葬されています。
注釈
Sachplakat(ザッハプラカット)
ザッハプラカット(プラカートシュティルとも)は、ドイツ語で「ポスター様式」という意味で、1900年代にドイツで生まれたポスター芸術の初期様式です。この様式の特徴は、フラットな色彩に目を引く大胆なレタリング。 形状やオブジェクトは単純化され、中心的なオブジェクトに焦点を当てた構図。アール・ヌーヴォーの複雑さから離れ、より現代的なポスター芸術の展望を広めました。
モダニズムの影響
ランド氏が永続的にベースにした思想は、モダニズムの哲学でした。ランド氏は、ポール・セザンヌからヤン・チヒョルトまでの芸術家たちの作品を賞賛し、彼らの創作活動とグラフィックデザインにおける重要な応用のつながりを常に引き出そうとしていました。
ポール・ランドがデザインしたロゴ
まとめ
ポール・ランド氏は、モダニズムからの影響を強く受けていました。それは、まだデザインの黎明期であったからこそ、芸術に参照するものをもとめてのことだったのでしょうが、2つの大戦を経て、世界は新素材を使った合理的でありながら、美しさも求める時代として成熟しようとしていた時期とうまく合致したのではないでしょうか。
いっぽうで、ランド氏のデザインにはつよく共通するランドらしさがあります。これはクライアントが主体というよりは、クライアントのソリューションをランド節で解決するというニュアンスもあるように感じる、その表れにも見えます。そのあたり、アート由来の思想を持つランド氏らしい傾向かもしれません。
ちなみに彼がロゴをデザインしたNextやウェスティングハウスは今はもう存在していません。そこから、デザインが提供できるソリューションというものが経営の下位で機能するものだと実感します。
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参照
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