《週末アート》アバンギャルドからロシア・アバンギャルド
《週末アート》マガジン
いつもはデザインについて書いていますが、週末はアートの話。
アバンギャルド
アバンギャルド(仏: avant-garde)は、前衛的芸術を通して、社会、政治、経済的革命を実現しようとした動きです。もともとはフランス語で「前衛部隊」を指すことばで、そこから芸術の文脈において「革新的な試み」や「実験的な試み」を指す言葉となりました。
芸術や文学において、アバンギャルド(前衛)という用語は、「芸術のジャンル」「実験的な芸術作品」および「その芸術家」を意味したもの。
前衛芸術家は、芸術作品を通じて進歩的で急進的な政治を推進し、社会の改革を提唱する存在でもありました。フランスの銀行家、数学者、社会改革者であったベンジャミン・オリンデ・ロドリゲスの『芸術家、科学者、産業人』(The Artist, the Scientist, and the Industrialist)(1825年)というエッセイの中で、前衛という政治的用法は、社会、政治、経済の改革を実現するために「芸術の力は、実に、最も直接的かつ最も速い方法」だと述べています。
また文化において、前衛の芸術的実験が、社会的規範の美的境界を押し広げました。例えば、19世紀後半から20世紀初頭にかけて起こった詩、小説、演劇、絵画、音楽、建築におけるモダニズムの崩壊は、前衛芸術が起こしたものです。
美術史においては、前衛芸術の社会文化的機能は、ダダイスム(1915~1920年代)からシチュアシオニスト・インターナショナル(1957~1972)、アメリカ言語詩人たちのポストモダニズム(1960~1970年代)までの間をたどります。
ダダイスム
ダダイスム(仏: Dadaïsme/英:Dada)は、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動です。第一次世界大戦に対する抵抗や、それによってもたらされたニヒリズムが根底にあり、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想が含まれます。
シチュアシオニスト・インターナショナル
シチュアシオニスト・インターナショナル(Situationist International; SI, 国際状況主義連盟)は、前衛芸術家、知識人、政治理論家らによって形成された社会革命的国際組織です。1957年に結成、1972年に解散まで。
状況主義者の知的基盤は、アバンギャルドにあります。ゆえにその基礎にはマルクス主義的な社会変革の思想があります。
ポストモダニズム
ポストモダニズム(Postmodernism)は、近代から脱却することを目標に、20世紀中葉から後半にかけて、哲学・芸術・建築・評論などの分野で流行した広範な思想運動です。モダニズムで追求された合理性、理性に対する反発がポストモダニズムの主な動力となっていました。
アバンギャルドの歴史
フランスの軍事用語である「アバンギャルド」は、軍隊の主力に先行して地形を偵察する偵察部隊を意味していました。19世紀のフランス政治では、「アバンギャルド」という用語は、フランス社会の急進的な政治改革を主張する左翼の政治改革派を指していました。19世紀半ば、文化用語としてのアバンギャルドは、
「芸術としての政治」、つまり社会の社会変革を実現するための
美的・政治的手段としての芸術を提唱する芸術のジャンル
を意味したものでした。
20世紀以降、アバンギャルドという芸術用語は、小説家や作家、芸術家や建築家など、現代のブルジョワ社会の文化的価値観に挑戦する創造的な視点やアイデア、実験的な芸術作品を持つ知識層を意味するののとなりました。
1960年代のアメリカでは、前衛芸術家たちは、消費主義に対して、政治的・社会的に反対し、当時の問題に取り組む芸術作品を生み出そうとしました。
ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)やテオドール・アドルノとマックス・ホルクハイマー(heodor Adorno and Max Horkheimer)らは、大衆文化は、芸術作品の芸術的価値を空洞化すると述べていました。
ロシア・アヴァンギャルド
ロシア・アヴァンギャルド(ロシア語:Русский авангард)は、19世紀末以来とりわけ1910年代から、ソビエト連邦誕生時を経て、1930年代初頭までの、ロシア帝国・ソビエト連邦における各芸術運動の総称です。
第一次世界大戦前の初期においては、ロシア・アヴァンギャルドは、キュビスム(1907年)、未来派(1909年)、ネオ・プリミティヴィスム(1913年)など、同時代のモダニズム運動との共通性がありました。
1909年にロシア・アヴァンギャルドの画家、ミハイル・ラリオーノフが「ダイヤのジャック」(1909年 - 1911年)、1912年にロバの尻尾(1912年 - 1913年)を結成。
ダイヤのジャック
ダイヤのジャックとは、1909年にモスクワで結成された急進的な美術家集団で、ロシア語では «Бубновый валет»。グループ名は1910年の展覧会に向けて、事実上の指導者であったミハイル・ラリオーノフによって考案されたものでした。
「ダイヤのジャック」は、真に模範とするに足るのはポール・セザンヌただ独りで、その他の画家はブルジョワ趣味であり、余りにもくだらないと訴えていました。最終的に、グループの規範意識をめぐるメンバー同士の確執から、より急進的な「ロバの尻尾」が結成されました。
ロバの尻尾
ロバの尻尾(ロバのしっぽ、ロシア語: «Ослиный хвост»)とは、美術家集団「ダイヤのジャック」のうち、最左翼メンバーを結集して発足したロシアの美術集団で、同時代の立体未来主義運動に影響されていました。
ロシア・アバンギャルドには、「構成主義」「ロシア未来派」「立体未来主義」「ネオ・プリミティズム」なども含まれます。
構成主義
構成主義:(英:Constructivism)(露:Конструктивизм)。1910-20年代のロシア(ソヴィエト連邦)で起こった芸術運動。ウラジーミル・タトリン(Vladimir Tatlin)が鉄板や木片を使った自身のレリーフを「構成」と呼んだことから、構成主義と言われるものとなりました。
伝統的な絵画や彫刻をブルジョワ芸術として否定し、鉄やガラスといった工業的素材でつくられた抽象的かつ立体の作品が多いのが特徴です。19年から20年にかけてタトリンによって制作された《第三インターナショナル記念塔》は、ロシア革命後に煽動用の記念塔として設計されたもの。
地上400メートルの螺旋状の高層建築は、実現されることはなかったが、構成主義の思想と社会的機能とが結合された作品でした。1920年には国家の指導のもとインフク(芸術文化研究所)やヴフテマス(国立高等芸術工房)がつくられ、構成主義は美術や建築だけでなく、デザイン、舞台美術、写真など、すべての造形分野で支配的な様式となっていきました。
1921年、インフクに在籍していた「客観的分析の労働グループ」メンバーのアレクサンドル・ロトチェンコ、ワルワーラ・ステパーノワ、リュボーフ・ポポーヴァ、アレクサンドル・エクステル、アレクサンドル・ヴェスニンら5人の作家が「5×5=25」展を開催。
スターリン政権以降は、抽象美術を否定する社会主義リアリズムが推奨されるようになり、構成主義の作家たちは国外へと活動の場を移してゆきました。
ロシア未来派
1910年代に興隆したロシア・アヴァンギャルドの潮流。多くの詩人、作家、画家たちが新しい芸術を志向するという意味の名称。1912年、ヴェリミール・フレーブニコフ、アレクセイ・クルチョーヌィフ、ウラジーミル・マヤコフスキー、ダヴィド・ブルリューク、ヴァシーリー・カメンスキー、ベネディクト・リフシッツらによるペテルブルクの詩人グループ「ギレヤ」が「未来人」を意味するロシア語“будетлянин/budetljanin”(ブジェトリャーニン)を名乗ったのが始まり。
立体未来主義
立体未来主義またはクボ=フトゥリズム(Cubo-Futurism)とは、1910年代前半のロシア革命直前に、ロシア、ウクライナで展開された芸術運動です。
立体未来主義に分類される主要な画家としては、ミハイル・ラリオーノフ、ナタリア・ゴンチャロワ、リュボーフ・ポポーヴァ、カジミール・マレーヴィチ、オリガ・ロザノワなど。
西欧のキュビスムおよび未来派とロシアのネオ・プリミティズムを融合させた作品傾向で、ロシア特有の「イコン」や土着的主題を強く表れています。
イコンとは、イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像。
ネオ・プリミティヴィスム
ネオ・プリミティヴィスムは、「ルボーク」と呼ばれる手彩色の木版画やイコン画(聖像画)、子どもたちの表現などのロシア独自の民衆的な表現に触発された20世紀初頭のロシア絵画の動向。
ヨーロッパのアヴァンギャルドの動向を強く意識していたロシア芸術の状況下で、鮮やかな彩色表現、単純化された形態、即物的な形象などの特徴を持つロシア固有の土着的な表現は、直後に起こるロシア・アヴァンギャルドとも深い関わりを持つ動向でした。
この動向を代表するナタリア・ゴンチャロワ、ミハイル・ラリオーノフ、ウラジーミル・ブルリュークとダヴィド・ブルリューク兄弟らがプリミティヴな様式の肖像画や静物画を勢力的に手がけたのは、1907、08年から12年にかけて。
シュプレマティスム
シュプレマティスム(Suprematism)とは、ロシアにおいてカジミール・マレーヴィチ(Казимир Малевич)が主張した、抽象性を徹底した絵画の一形態です。
1913年にサンクトペテルブルクで、カジミール・マレーヴィチが、初めての抽象表現として、白い正方形の中の小さい正方形の対角線上の半分を黒く塗りつぶしたロシア未来派のオペラ「太陽の征服」の舞台美術を担当しました。
ロシア・アバンギャルドの建築
アバンギャルド運動は少々遅れて建築分野にもおよび、社会主義革命によって新生するユートピアの都市・建築が夢見られました。有名な建築物には、モスクワのナルコムフィン・アパートなどがあります。
ウラジーミル・シューホフらの作品の他、ウラジーミル・タトリンの「第三インターナショナル記念塔」(1920年)(上記)、ヴェスニン兄弟の「労働宮殿計画」(1923年)、エル・リシツキーの「空中オフィス計画」(1924年)など、西欧で勃興しつつあったモダニズム建築をよりラジカルに採り入れ、意欲的な計画が続々と現われました。
コンスタンチン・メーリニコフの自邸なども、二つの円筒を抱き合わせて垂直に立て、六角形の窓をボツボツ到り貫いた住宅で、レンガ造ですが、表面が真っ白なモルタルで平滑に仕上げられ、円筒の単純な幾何学的形態が際立つデザインでした。
まとめ
「アバンギャルド」は、なんだかんだ反ブルジョワ≒マルクス主義と強い関連、結びつきがあり、ブルジョワ的な芸術に対する反駁と急進する資本主義への反駁を「既存をぶち壊す」という前衛姿勢で挑む芸術を、プロパガンダとしても使った動向でした。
芸術的な動向に政治的な意図も介入してハイブリッドに発展した運動だったとも言えます。
しかしにもかかわらず、アートにおいても建築において多くの重要な試みや思想が発生しました。多すぎてうまくまとめきれていないとも感じています。
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