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世界の国旗と国章(20) ハンガリー
世界の国旗と国章マガジン
今まで紹介した国とハンガリーの位置
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ハンガリー
正式名称:ハンガリー
英語:Hungary
場所
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首都
ブダペスト(Budapest)
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Coa Hungary Town Budapest big.svg and Flag Hungary Town Budapest.svg: Madboy74derivative work: Fry1989 - このベクター画像には、次のファイルから取得または適用された要素が含まれています:, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19504537による
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https://magyarcimerek.hu/395-budapest, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19479920による
ブダペスト33歳ひとり旅🇭🇺激安フォアグラと混浴温泉に悶絶ワインもあるドナウの真珠【ヨーロッパ#21】2022年8月11日〜13日
ハンガリーの国旗
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縦横比:1:2
制定日:1956年10月12日
使用色:赤、白、緑
ハンガリーの国旗は、三色旗であり、現在の旗は1956年から用いられています。13世紀ごろから赤白の二色旗を用い始めていましたが、いつから緑が加わったのかは不明。
赤い色は力、白い色は誠実、緑の色は希望の象徴。
ハンガリーの国章
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使用者:ハンガリー
採用:19世紀
1990年7月3日
クレスト:聖イシュトヴァーンの王冠
盾:(右)3つの丘の上の王冠と二重十字架、(左)赤と銀(アールパード朝)のストライプ
使用:紙幣、政府の建物、公立学校
ハンガリーの国章は1990年7月3日に制定されました。1990年までの社会主義的紋章を廃して、ハンガリー王国時代の国章を復活したもの。
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Sándor Légrády - 投稿者自身による著作物(23 May 1957). "1957. évi II. törvény a Magyar Népköztársaság Alkotmányának módosításáról.". Magyar Közlöny 13 (57): 329. (Wikisource), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19810958による
構成
盾は2つに分割されており、左に13世紀のアールパード王家の紋章、右に12世紀以来伝統的なハンガリー王国の紋章が置かれています。左側には13世紀のアールパード王家が用いた赤地に銀の四本縞の紋章が置かれています。
右側には、赤地に銀の二重十字(総主教十字)と緑の3つの丘が描かれています。このデザインはハンガリーが支配していたスロバキアの国章にも踏襲されています。
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Tlusťa - Čl. 9. ods. 1 Ústavy Slovenskej republiky, § 2, ods. 1 zákona NR SR č. 63/1993 Z. z. o štátnych symboloch Slovenskej republiky a ich používaní, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=846468による
この三色の構成は現在の国旗の色のモチーフでもあります。国旗において、赤は戦いによって流された血、白は河川、緑は山々の象徴とされています。
盾の上には聖イシュトヴァーンの王冠が置かれています。この王冠は単なる権威の象徴ではなく、聖遺物でもあり、ハンガリー建国の記念品であり、ハンガリーそのものの象徴でもあります。
正面上のバンド部分および、正面のエナメル画はキリスト。中央左には大天使ミカエル、右には大天使ガブリエルの絵、左端に聖ゲオルギウス、右端に聖ドミトリウスが描かれています。正面の青い宝石はアクアマリン、赤い宝石はガーネット。
12世紀頃のハンガリー王国の紋章は、赤い盾に銀でビザンツ帝国に由来する改宗のシンボル、ペイトゥリアーカルの十字(二重十字)を描き、聖イシュトヴァーンの王冠を被せたものでした。この頃、王冠の上の十字はまだ直立していました。
13世紀にアールパード王家が、赤地に4つの川(ドナウ川、ティサ川、ドラーヴァ川、サヴァ川)を表す4本の銀の縞を置く「アールパード・ストライプ」を紋章としました。アールパード・ストライプは現在盾の左に描かれています。
14世紀に二重十字の下に緑の3つの丘と小さな金の王冠が描き加えられるようになりました。この丘は、タトラ山、ファトラ山、マートラ山の三山を象徴していると考えられています。この紋章は現在盾の右側に描かれている。タトラ山脈と大ファトラ山脈は現在スロバキア領内となっており、マートラ山地だけがハンガリー領内にあります。
18世紀に聖イシュトヴァーン王冠の上の十字が傾きました。理由は不明。これは現在まで踏襲されています。17世紀に実際の聖イシュトヴァーン王冠頂上の十字架が曲がったことが原因かもしれない。
19世紀に、ハプスブルク家のもと、現在の国章のスタイルが完成しました。
1849年、革命の中で、コシュート・ラヨシュによって紋章から王冠が取り外されます。
1949年、ソ連の支配下で、麦の束に麦の穂とハンマーが交差する上に共産主義の赤い星が輝く社会主義的な国章デザインを制定。
1957年、ハンガリー動乱を受けて、国民感情緩和のため、麦の穂とハンマーに代えてハンガリー国旗の赤白緑に塗られた盾が麦の束の中心に置かれました。
1990年、19世紀の紋章を復活。
聖イシュトヴァーンの王冠
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聖イシュトヴァーンの王冠またはハンガリーの聖冠(英語: Holy Crown of Hungary)は、現存する王冠の中で唯一の聖なる象徴(holy attribute)として知られる王冠です。
ハンガリー王国の戴冠の証として数えられ、12世紀以降ハンガリーの王が代々引き継いできたものです。宝珠はアンジュー家のカーロイ1世の紋章が描かれたものですが、冠を含めた他の証はすべてイシュトヴァーン1世にちなむものです。
この王冠は聖イシュトヴァーンの王冠の地(ハンガリー、クロアチア、リエカ周辺)からの持ち出しが禁じられています。ハンガリー王はこの冠を受けない限り、正式な戴冠を受けたと認められません。ハンガリー史上の50人以上の王がこの冠を受けてきました。この冠を受けなかったのはヤーノシュ・ジグモンドとヨーゼフ2世の2人のみ。
聖イシュトヴァーンの王冠が聖冠(Szent Korona)と呼ばれるようになったのは1256年から。14世紀頃から、王家の権力は単純に君主に象徴されるものではなくなり、明確で客観的な事物である冠が象徴としての役割を持つようになりました。言い換えれば、ハンガリー王国は王を飾る王冠を求めるのではなく、王冠に合う王を求めるようになったといえます。
1401年のハンガリー公式印章は「ハンガリーの聖冠封」と銘打っています。更にハンガリー王国の国旗・国章及び1990年以降のハンガリーの国章においては、聖冠が意匠として描かれています。またハンガリーにおいて聖冠は法源としても扱われ、ハンガリーの法制にも影響を及ぼしています。
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パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=515686
アールパード王家
アールパード朝は、ハンガリー王国の最初の王朝。9世紀末にマジャル人を率いてパンノニア平原に定住させた大首長(ジュラ)アールパードを祖としています。11世紀初めにハンガリー王国を成立させ、14世紀初頭に断絶するまで約300年続きました。12世紀末から13世紀初頭にかけては、ハールィチ・ヴォルィーニ王国の王(ガリツィアおよびロドメリアの王)やハールィチ公国の公も出しています。
ハンガリーの概要
ハンガリーは、中央ヨーロッパの共和制国家。西にオーストリア、スロベニア、北にスロバキア、東にウクライナ、ルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国。首都はブダペスト。基本的には中欧とされていますが、歴史的には東欧に分類されたことがあります。
国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がります。
ハンガリーの歴史
割愛。
ハンガリー動乱
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CIA - https://www.flickr.com/photos/ciagov/8113980088/in/set-72157631830870415/, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23559912による
ハンガリー動乱は、1956年10月23日よりハンガリーで起きた、ソビエト連邦(ソ連)や勤労者党政権の権威と支配に反対する民衆による全国規模のデモ行進・蜂起および、ハンガリー政府側がソ連軍に要請した鎮圧によって市民約3,000人が犠牲となり、20万人以上が難民となり国外へ亡命したとされる事件。
参照
*1 Wikipedia 日本語
*2 外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hungary/index.html
*3
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