世界の国旗と国章(25) スペイン
世界の国旗と国章マガジン
スペイン王国
正式名称(日本語):スペイン王国
正式名称(英語):Kingdom of Spain
公用語:スペイン語
首都:マドリード
位置
スペイン王国、もしくはスペイン国、通称スペインは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める議会君主制国家。首都はマドリード。総人口は約4859万2909人。スペイン本土以外に、西地中海のバレアレス諸島やアルボラン海のアルボラン島、大西洋のカナリア諸島、北アフリカの飛地領土のセウタとメリリャを有しており、モロッコ沿岸部にもいくつか領土があります(プラサス・デ・ソベラニア)。その他の主要都市部にはバルセロナ、バレンシア、サラゴサなどがあります。
西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランスとアンドラ、アフリカ大陸にあるセウタとメリリャではモロッコと陸上国境を接しています。現在、欧州連合加盟国においては人口率の高さが第4位となっています。
古代初期、イベリア半島にはケルト人、イベリア人、その他のローマ時代以前の人々が居住していました。ローマ帝国がイベリア半島を征服すると、ヒスパニア州が設立されることとなりました。ヒスパニアのローマ化とキリスト教化に続いて、西ローマ帝国の崩壊は、トレドを中心とする西ゴート王国を形成した西ゴート族を含む中央ヨーロッパからの部族による民族移動時代の先駆けとなりました。8世紀初頭、同半島の大部分がウマイヤ朝に侵略され、初期のイスラム王朝支配下では、アル=アンダルスがコルドバを中心とする半島地域の支配的な勢力となりました。北イベリアにはいくつかのキリスト教王国が出現し、その中でも特にアストゥリアス王国、 レオン王国、カスティーリャ王国、アラゴン王国、ナバラ王国、ポルトガル王国が有名でした。レコンキスタと呼ばれる南方への軍事的拡大と再人口化が断続的に行われ、イベリア半島のイスラム教派の支配を撃退し、1492年にキリスト教派がグラナダのナスル朝支配下の地域を奪取しました。1479年にカトリック君主の下でカスティーリャ王冠領とアラゴン王冠領が王朝統合されましたが、これはスペインにおける事実上の国民・国家の統一と見做されることがよくあります。
大航海時代、スペインは新世界の探検の先駆者となり、初めて地球一周を達成し、史上最大の帝国の1つを形成することなりました。同帝国は世界規模に達し、すべての大陸に影響を及ぼす他、主に貴金属を基盤とする世界的な貿易制度の台頭を支えました。18世紀、ブルボン家はスペイン本土を中央集権化することとなりました。19世紀、ナポレオン・フランス帝国に抗う形で起こした独立戦争後、その後の自由主義者と絶対主義者間の政治的分裂は、アメリカ大陸のスペイン領植民地の分離へとつながりました。これらの政治的分裂は、20世紀に内戦と共にようやく収束し、1975年まで続いたフランコ主義独裁政権を生み出すこととなりました。民主主義の回復と欧州連合への加盟により、同王国は社会的および政治的に大きく変貌する好景気を経験しています。黄金時代以降、スペインの芸術、建築、音楽、詩、絵画、文学、料理といった文化の数々は、特に西ヨーロッパとアメリカ大陸を中心に、世界中で影響力を持つようになりました。その広い文化的な豊かさを反映するかのように、スペインは世界第2位の観光地であり、世界で最も多くの世界遺産があり、ヨーロッパの学生に最も人気のある観光地ともなっています。
その文化的影響は6億人以上のスペイン語圏地域の国々にまで及んでいます。また、スペイン語は母語話者数が世界2位であり、分類される語群であるロマンス語の中では世界で最も広く話されている言語となっています(*4)。
スペインは世俗的な議会制民主主義と立憲君主制を兼ね備えた国家であり、フェリペ6世を国家元首としています。中国からは、主要な先進資本主義経済国家と見做されており、名目GDPとPPPの両方で世界第15位です。スペインは、国際連合(UN)、欧州連合(EU)、ユーロ圏、北大西洋条約機構(NATO)、G20の常任理事国であり、欧州評議会(CoE)、イベロアメリカ諸国機構(OEI)、地中海連合、経済協力開発機構(OECD)、欧州安全保障協力機構(OSCE)および世界貿易機関(WTO)に加盟しています。他、多くの国際機関に加盟している国家の一部として知名度が高い存在でもあります。
首都
マドリード
マドリード33歳ひとり旅🇪🇸都会なのに酒安めで最高なスペインの首都【ヨーロッパ#61】2022年12月21日〜23日(Youtube)
国旗
縦横比:2:3
制定日: 1981年12月19日
使用色:黄色(パントーン116)、赤色(パントーン:186)
スペインの国旗(la Rojigualda(赤とホザキモクセイソウの黄色))は、「血と金の旗」と呼ばれ、赤、黄、赤に並んだ横三色の中央・旗竿寄りに国章が配してあります。民間では普通国章のないものを使用します。国旗の黄の部分の幅は赤の部分1つの幅の2倍であり、比で表すと1:2:1となります。
起源はカルロス3世が海軍旗として海軍軍人アントニオ・ヴァルデス・イ・バザン(Antonio Valdés y Fernández Bazán)による12の異なるデザインから選んだものでした。1978年に憲法によって国旗として制定されました。憲法には「国旗は上から赤、黄色、赤の水平縞の三色旗である。黄色は赤の2倍の幅とする」とあります。1981年の勅令によって赤と黄色が厳密に定義されました。黄色はヨーロッパでは伝統的に染色に使用されているホザキモクセイソウ(キバナモクセイソウ)の黄色(ウェルド・イエロー)です。
国章の柱(ヘラクレスの柱)に巻き付いた帯には国の標語であるラテン語「PLVS VLTRA(Plus Ultra、「より彼方へ」の意)」が記されています。新大陸発見以前は「Non Plus Ultra(ここは世界の果てである)」と記されていました。
国章
使用者:スペイン
採用 1981年10月5日
盾:Quarterly: Castile, León, Aragon, and Navarre; enté en point: Granada; inescutcheon Bourbon (Anjou Branch)
サポーター:Pillars of Hercules with a top of supporters: Dexter An Imperial crown (Holy Roman Empire, Austrian version); Sinister A Spanish Royal crown
モットー:古仏: Plvs Vltra「もっと先へ」
スペインの国章は、フランコ総統統治下の国章から変更され、1981年に制定されました。この国章はスペイン国旗にも描かれています。
スペインの国章は盾の中にそれぞれスペイン王家、スペインの王冠、立憲君主制を表すシンボルが描かれています。そしてその盾を支えるサポーターとして、スペインの歴史・地理的な情勢を象徴するヘラクレスの柱が使われています。
ヘラクレスの柱
ヘラクレスの柱(英語: Pillars of Hercules, スペイン語: Columnas de Hércules)は、ジブラルタル海峡の入口にある岬につけられた古代の地名。
北のヨーロッパ側の柱は「ジブラルタルの岩」(Rock of Gibraltar)と広く受け止められていますが、南のアフリカ側の柱については諸説あり、その中で有力な候補とされているのが、セウタのモンテアチョ(Monte Hacho)、モロッコのムーサー山(Jebel Musa)です。
ヘラクレスに課せられた12の功業の1つに、大洋オーケアノスの西の果てに浮かぶ島エリュテイアに住むゲーリュオーンの飼う紅い牛をエウリュステウス王のところに連れ帰る仕事(ヘーラクレースの10番目の功業)がありました。エリュテイアへ向かう途中、アトラス山を横断しなければならなりませんでしたが、ヘラクレスは山を登る代わりに、近道しようと考えました。それで、かつては巨人だった巨大な山をその怪力で砕くことにしました。ヘラクレスは不滅の鎚矛または棍棒(神話によってさまざま)を使って、山を真っ二つにしました。その結果、大西洋と地中海がジブラルタル海峡で繋がりました。以降、分かれた2つの山をひとまとめにして、ヘラクレスの柱と呼ぶようになりました。
門としての柱
ヘラクレスの柱は、地球の異なる地域に通じる門あるいはゲートとして、あちこちで言及されています。カルタゴ提督ヒミルコ(Himilco)はMuddy Sea(柱の南西にある浅い台地)領域の調査に遣わされ、その報告書に次のようなことを書いていました。「波と波の間の谷にたくさんの海藻が育ち、それは茂みのように船の航行を遅らせる(中略)海獣たちがあちこちでのろのろ動いていて、のろのろ進む船団の間を、巨大な怪物がだらだらと泳いでいる」(Avienus)。この描写は「泥の海」というよりはサルガッソ海のようでした。
プラトンによると、失われた王国アトランティスはヘラクレスの柱の向こうにあったとそうです。
ヘラクレスの柱はスペインの旗印にも描かれています。この図案は、神聖ローマ帝国カール5世(スペイン王カルロス1世)の有名な紋章に基づいています。「プルス・ウルトラ」というラテン語のモットーは、ヘラクレスの柱を地中海のゲートとしてより、他の世界への入口としてとらえたいという願望を示しています。これは神話に出てくる、世界の果てを示す柱に刻まれた警句「Non Plus Ultra(Nec Plus Ultra)」(この向こうには何もない)の反語のようでもあります。さらにそのモットーは、スペインがかつて海の向こうに所有していた領土も示しています。
ダンテの「地獄」
ダンテ・アリギエーリは『神曲』地獄篇の中で(第26歌)、オデュッセウスがヘラクレスの柱(かつては世界の西の果てと考えられていました)を通過したと書いています。オデュッセウスは自分の目的は未知の知を得ることだということで、部下を危険にさらすことを正当化します。5ヶ月の航海の末、オデュッセウスは煉獄を発見しますが、竜巻に遭い船は沈没してしまいます。
ドル($)の記号に関するエピソード
通貨のドルの表記はコンピュータ上ではSの表記に縦棒が一本となっていますが、紙幣などでは二本の表記である場合が多くあります。この二本での表記はヨーロッパとアフリカをつなぐ二つの柱であったヘラクレスの柱(ジブラルタとセウタ)を表すという説があります。
スペインの歴史
割愛
メモ
なし。
参照
*1 Wikipedia
*2
*3
*4