自分史的なクリッピング史料
つい最近、TVでシークレットサンタについての実話を視聴した。主人公(実在の人物)自らの若かりし頃、不運の連続で金は尽きクリスマス時に無銭飲食を決行しようとするが、その店のレストランのシェフが20ドルをわざと落として「落し物ですか」と彼に手渡す。多分お金を持っていなかったことをわかっていた上で。その後、彼は慈悲に目覚めボランティアに走る。サンタを装い、だれかれ構わずクリスマス時に20ドルを配りまくった。後に成功者となってもそれを継続し、自分の余命がわかった時素顔を晒すがそれでも止めない。
本も出版されているようだけど、当然未読。でも心のあり方を学ぶノンフィクションのバイブルのようだ。
前置きが長くなったけど、今日は科学の話。
2011年8月7日 日経 ナゾ謎かがく 利他的行動、何が動機?
サンタといえば、利他的、慈悲的な実践者。日本ではタイガーマスクなのだろうか。かつて評判になった児童養護施設にプレゼントを贈るリアルなタイガーマスクも登場した。
自分にとって利益がないと思える行為をとるのはなぜか。こうした利他行動は脳科学や心理学からみると必ずしも「無償の行為」とは言えない(と記述)らしく、それを決めるのは「報酬」だそうだ。すぐに勘違いしそうだけど「報酬」は金銭や名誉ではない。
米カリフォルニアの研究員のコメント。「他人の褒め言葉も脳の中では報酬になる」と指摘している。この研究員は、機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)を駆使して調べたところ、" 褒め言葉 " は、食べ物、性的刺激、金銭といった報酬を得たときに動く「線条体」と呼ぶ部位の血流が活発化し、他人の評価は金銭的な報酬と同じであると脳は捉えると。
リチャード・ドーキンス博士らの主張によれば、「利他的」と見える行動も「利己的」なものだという、と続く。ということは、褒め言葉や他人からの高評価を自分の利益とするために利他的行動をとるという解釈になる。
ではタイガーマスク現象(匿名の寄付)はどうなのか?
社会の話題として取り上げてもらうことは報酬に値するのかもしれないが、「本人はそれを狙ったわけではない(本文)」だろうし、そうあって欲しいとも思う。前出の研究員は、自己満足でも金銭的報酬と同じ効果があるのではと推測している。
カギを握るのはドーパミン。分泌により快楽神経系にスイッチが入り、人は心地よさや快楽を感じる。
・利他行為→脳内の「報酬系」の神経回路の活発化→ドーパミンの分泌
という流れ。利他行為は気持ちがいいもの。
でも必ずしも利他行為がどんな人にとっても快感だとは限らない。強制されたわけではないものの、義務感からボランティアや寄付する人がいるのも事実だろうし、自治会でも赤い羽根募金は毎年ある。こうした時にでも、脳内で報酬系が働いているのかは今後の課題らしい(当時)。今は解明されたのだろうか?。当然温度差のある " 義務感 " の定義づけは難しく、人間の心理の追求は一筋縄ではいかないと結んでいる。
この記事を読んで、" 利他的 " なものの科学的な根拠を求める探索ということを知ったけど、日本では寄付という概念が西洋的なものとして取り扱われている空気があるだろうなぁと思う。また、" 人に優しく " 、と子育て時にはかけるものの、大人になれば " 公平な競争 " をと、敗者を当然のように生んでも構わないと雄叫びをあげる空気。どうやら脳内の研究と同時に日本の空気も研究した方が良さそうだと思った。