自分史的なクリッピング史料

一昨日は、オリンピックの出場権をかけたNL女子バレーボールの視聴と応援。惜しくもカナダに大逆転を許すという結果に。でも昨日、オリンピック出場が決まった。何より。カナダ戦は改めてスポーツがメンタリティーのものであることを実感。TVで観ていて、明らかに第三セットから雰囲気的に負けのムードが充満していた。では、どうすれば、絶対勝つ!というメンタリティーに到達できるのだろうか。自信、確信、絶対。こういう言葉には時に憧れを抱くものの、それを獲得することが難しいこともよく理解している。世の中的には99.9%の検挙率を誇る日本の検察機構。検事たちの醜聞が時折聞こえてくるけど、本当に冤罪などないのだろうか?と最近は疑いの目から入るケースもあるのでは?と思いつつ。

2024年6月12日 朝日 「『検察なめんな』不穏当だったが・・・」
無罪事件の国賠訴訟 証人尋問 担当検事 取り調べ釈明

まさにTVドラマ的な記事。学校法人の土地取引を巡る業務上横領罪で大阪地検特捜部に逮捕・起訴され、無罪となった不動産会社元社長が国に賠償を求めた裁判。その初日。取り調べが問題視された2人の検事が証言台に立ったで始まる。

冒頭で、無罪となった元社長の部下の取り調べの録画映像が法廷で再生されたとある。そう今では録画映像の記録は当たり前。にもかかわらず、検事の取り調べの態度は非常に厳しいものであったと。結局その部下は元社長を共犯だと証言するに至ったけど、この映像を元に「共犯」証言は否定され、無罪につながったと記されている。出廷した検事は、机をたたいたのは元部下が悪びれる様子もなく平然とうそを言ったから、「検察なめんな」と発言したのは、真摯に取り調べに向き合って欲しかったから、などと釈明したらしい。本当にドラマのような光景が思い浮かぶ。

不穏当だったとは認めるものの、やむを得なかったとも言っている。元社長の検事が次に登場し、自分が弁護士だったら絶対黙秘なんて言わないと話した理由につき、「言い分をちゃんと言ってもらいたかったから」と釈明。詭弁もいいところな感じがする。検事にとっては起訴することが絶対で、そして根拠のない確信が常に潜在的に持ち合わせているのではないだろうか。勿論、取り調べの態度だけで批難されるのは少々一方的なのかも知れない。

この様子は当事者にでもならなければ、なかなか自分ごととして考える深さというか、濃さというか、そういうものが自身の中で沸騰することはない。どこか他人事になってしまう。でも誰にでも起こりうることだと想像できれば、もう少し沸騰具合が違ってくるはず。こういう記事を読むと、ひたすら残念という気持ちと、間違えたことには素直にごめんなさいと言える社会環境があればいいのに。でも競争社会の中では、安易に負けを認めると、大きなしっぺ返しがくることもしばしば。でも裁判って終局的な結論をもたらすものだから、やはりそこでのミスは許しがたいと誰もが思うはず。

こんな思いを抱きながら、明日のTBS日曜劇場「アンチ・ヒーロー」の最終回を観るのが楽しみになってきた。やはりドラマなどのフィクションで、少なくとも、こうした納得のいかない出来事を晴らしてくれることを期待してしまう小市民的な心。でも正義ってなんだ?と考えることは自己にとってとても大事だと思う。きっと元社長さんも、納得のいかないだけではなく、正義とは何か?を問い詰めた結果の国賠訴訟だと勝手に思いたい。

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