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自分史的なクリッピング史料

今週は大好きな大相撲の年内最後の場所。横綱・照ノ富士は休場が続き、3大関に頑張ってもらうしかないけど、中日まではソコソコの盛り上がり。新大関、大の里がちょっと心配ではあるけど。最後まで面白い取り組みが続くことを願っている。昨日、北の富士さんが亡くなったということが報道された。北玉時代も柏鵬時代に次いで、よくテレビで観ていた。玉の海が急逝した時には、現役の横綱が・・・とちょっとショックだった。11月場所が終わるともう年末。そう、もう年末なのだという意識がふつふつと湧き上がる。そして明日には、大谷のMVP受賞なるかもわかる。

さてそろそろ読書の秋を通過し、巣篭もりの冬を迎えようとしている。流石に、ここ2、3日は寒い。でも読書は継続的なものだから相変わらず、積極的に今は積読本を数冊、並行的に読み始めている。

2020年3月21日 フロントランナー 藤原書店社主 藤原良雄さん

このシリーズの記事のクリッピングは、2008年7月26日、ナチュラルアートの鈴木さんの記事から。各年末に間引いてしまっているので、やはりストックはここ数年の記事のクリッピングが多い。今では名だたる経営者、起業家として名をはせる方々も相当掲載されている。

昨今、書籍の値段も上がり、文庫ですら余裕で1000円というハードルを超えてきていて、なんだか、新品にこだわらなくてもいいかという思いがある。今から4年前の記事だけど、書店主の掲載に目が惹きつけられたのだ。

編集者も経験されている藤原さんには独自の書店経営哲学があるのだろう。「少部数、高定価」により、売上の確保と流通コストを抑制することで、商売の基軸を据えられている。

冒頭でそんな姿勢が紹介される。フランスの歴史家、ブローデルが16世紀の地中海世界を描いた名著「地中海」(全5巻)を1991年、邦訳本第1巻として約600ページ、8800円で販売。1万部も売れたそう。これは当然、読者サイドでは、高くても読みたい本ということの証だ。藤原書店では、返本率がおおよそ80%の本もあるという状況で、その率を20%台を目標としている。

ベストセラーよりロングセラーをという方針。思想家イリイチや社会学者ブルデューの学術書は版を重ねているとのこと。藤原さんは、「作品が生まれた時代や社会的背景に想像力を働かせると、その本の価値が分かる」とコメントされていて、ご自身は、大学時代、硬派な本を好んで読んだ様子だ。

大学卒業後、1973年に「新評論」に入って、「マルクス主義の唯物史観に代わる新しい歴史観はないか」と模索する中で、フランス・アナール派歴史学と出会ったと記されている(流石に全てふむふむと理解している訳ではないけど、流れはなんとなく分かっているつもり)。どうやら、地理や人口統計などを総動員して歴史の全体像を捉える方法論だと。

藤原さんは1989年に独立。2006年に「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」を出版。新型コロナ禍では問い合わせが相次いで、重版が決まったとある。先見の明とは言わないけど、そうしたニーズが潜在的にあったという本質的なところなのかもしれない。2019年に出した「国難来」は政治家・後藤新平が、関東大震災から半年後の1924年に東北大で催した講演録で、政治の腐敗や危機感のない国民を憂えていて、今の日本にも通用する内容だと記されている。藤原さんは、「出版とは時空を超えた言論の場。社会に問題を提起する文化活動だ」と述べらていて、かっこいい。気骨感満載だ。

次のページではインタビュー形式の記載に移る。学生時代に読んだ著者たちに、ある意味しつこく手紙を出して、ようやく会うことができ、最初は原稿の依頼などはせず、とにかく話をすることから始めたと。

そうして日本の精神構造を描き続けた野間宏さんと出会う。会った時の緊張感、野間さんから、「ドイツイデオロギー」(マルクス哲学の深層を掘り下げた本)を読んでみろと言われ、ど緊張の中、きっと頭は真っ白のなったのだろう。相当焦った様子が描かれる。問題意識をもって読書しなければならないとつくづく思ったとも回想されている。そして野間さんは、自分自身を世界から切り離すのではなく、自分自身と関連づけて見ようとしていたとも。野間さんの大作「狭山裁判」では、人が人を裁けるのかと、裁判の欺瞞性を徹底的に批判していたと。そしてその全文を収録した「完本狭山裁判」を藤原書店から1997年に出版している。上・中・下巻、限定1000部、38000円で完売させたとある。

そしてインタビュアーは、藤原さんが新評論の編集長時代に手がけた「崩壊した帝国、ソ連における諸民族の反乱」(ダンコース著)の邦訳出版は衝撃的だったと振り向ける。すると藤原さんは、同社の社長が旧ソ連にはシンパシーを抱きながらも、民族問題を分析して崩壊を予見する本の出版を許したことも度量が立派だったと回顧している。

藤原さんは売るために本を作っている訳ではなく、多くの人に読んでほしいと願い、部数の多寡を競うことは馬鹿げているともおっしゃっている。価値観を問い直す問いだ。

その後も色々なジャンルに視線を向けて、社会学者の鶴見和子さん、石牟礼道子さん、金子兜太さん、森繁久弥さんなど、読んで欲しいと思うような作品を創り出してきた。この記事の掲載時には、アイヌ伝統刺繍・古布絵の作家で詩人の宇梶静江さんの作品を出したばかりとも記されている。また、藤原さんはある人の問いかけ(右寄りの作品も出すのですね、という問い)に対して自分は右でも左でもなく、そんなイデオロギーで物事を判断する時代は終わったとも語っている。

そしていよいよインタビュアーの最後の質問。「内的なものに突き動かされて仕事をする、そういう人でなければ編集者は務まらないのですか」という問いに対して、要は覚悟なのだと。自分の思いを押し切れるかどうか、ぶつかった時には辞める覚悟すらあるか、そこに本物の本質があるとおっしゃっている。こうした態度はどの仕事でも通用するものだとは思う。何も編集者に限ったことではない。でも多くの人は長いものには巻かれろ的な態度に変更するケースが多い。そして、藤原さん的には、出版界に若い編集者が育っていないことこそが大問題だと結んでいる。

どんな仕事でもそうだけど、今ではかなり作業も細分化されてある意味では効率的ではあるけど、結果責任が曖昧になるケースが多い。そうした責任は上がとればいい的な発想もあるんだろうけど、一人で最後まで完成させるという気概がベースにあって良いと思う。編集者っていう仕事は、とても魅力的な仕事に思える。さて、今後出版業界、書店、こうした苦境に長く直面している人たちに変革とは何かが突きつけられているんだと思う。でもドラスティックな変革は案外いやむしろ外側から刺さってくるのかもしれない。





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