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自分史的なクリッピング史料
シュールなイラストをチョイス。こういう絵は大好きだ。若い人たちは一体どんなイラストが刺さるのだろうか? などと考えたりする瞬間もあるけどいかんせん、我が愚息たちとは明らかに趣味というか感性が違うのが明白になっている。特にアニメオタクだった長男とは全く感性の接点が見いだせないでいる。個人的にはオバケのQ太郎が大好きだったから。ドラえもんよりQちゃんの方がフィット感が強い。
さて昨日は何と言ってもフジテレビの10時間にも及んだ記者会見。壇上に上がったフジの役員たちは言わば針のむしろ状態の様子だった。メディアにおいての不祥事には本当に鋭い眼光が向けられるものだとつくづく感じる。各企業においてカリスマ的なシンボリックな経営者がいるのは事実だろう。そうしたシンボルに対しての批評・批判はとどまることをしらない。自分の会社はどうだろうか? と考える機会にはなっても、一番辛い思いをしているのは間違いなくフジテレビの社員の方々。被害者の方を除いて、今回の事態にもっとも納得していないのは彼ら・彼女たちだと思う。
2007年11月9日 日経流通 「生気象学」で売れ筋提案
気温変化➨人体への影響分析
経済的な記事ではあるけど、当時は自分にとって斬新だった。POSデータ分析会社と気象情報会社がタッグを組んで、地域ごとの気候変化に細かく対応した売れ筋商品情報の提案を始める、というリード文。気象の変化が人体に及ぼす影響を研究する「生気象学」の知見を組み合わせて、天候によって変わる売れ筋を読み解くというもの。
当時は確かにCVSでも棚割りの研究を日々行っているなど、非常に繊細の商品揃えを科学的に研究しているという話が多かった(勿論今ではもっと進化しているだろうけど)。ある意味仮説思考とも言えるだろうか。気象情報というのは、人の心象・身体において外部的要因ではあるものの、とても大きな要因であることは間違いない。かつて広告周辺の会社に勤めていた時、選挙の際に候補者は曇天な日ほど鮮やかな色のネクタイ(男性候補の場合)をしめて演説を行うと効果的と言われていた。その方が聴衆の心象に影響を与える度合いが大きいからと。
天気という情報は日々接しているだけに、時には防災などのリスク回避の為の大事な情報でもあるし、実際にはとても大きな役割を果たしていると感じていた。だからこそ実際のPOSデータと統合して分析することは有意な、新たな分析ができるのではないか?等と考えていた。その後、気象情報の領域は細分化され、健康との組み合わせ、海に特化した情報提供、或いは山の天気との組み合わせ等、非常に繊細な情報と化している。
POSデータから、意外と夏場に新陳代謝が低下した顧客におでんが売れ筋になり、それと合わせて買われる商品が何か等の分析ができるという例が示されている。なるほど。そこでデータ分析を行い、陳列や店頭販促物(POP)の有効な文章などを提案していくサービスだという。
これは本当に繊細な情報だと思う。何せ日本列島の全てが一律な気温、気象条件ではないので、細かな対応・分析を要するから。気象情報会社は天候と生体の関係を研究する生気象学の解析手法を応用するとして、気温の上昇や下降局面ごとに、身体が欲する塩分や糖分を分析。気象情報に適した地域の伝統食などを参考に、特定の気象条件で消費者が欲するメニューのレシピを開発すると。
これにより、食品スーパーにおける食材の陳列、ドラッグストアにおける飴やうがい薬、風邪薬の品揃えなどの提案を可能としているらしい。食品流通というのはデイリーだから、なかなか科学的で且つ可変的な要素を細かく事業に導入するのが難しいのではという個人的な意見も持っていた。確かにこの提案はある意味顧客本位であるから結局は売るためのものであるけど、流通というくらいだから、物流、調達までのチェーンを含めてかなり情報の適切な流通も結構大変、というディメリットも何となく浮かぶ。
ということで、気象と健康という領域を基本としながらの情報とか、なるべく汎用的な情報に徹することはできないかなぁと当時考えていた気がする。今では当たり前なんだろうけど。かつて大手コンビニでは地域のイベント・例えば地域周辺の小学校の運動会などに応じて弁当の種類や量を調整していたということもテレビで紹介されていたけど、それほど繊細な努力やら仮説を交えて業務を遂行していることに感心したもの。
商品情報というのはある意味その会社のメッセージを媒介しているのだろうけど、要は突き詰められた情報への信頼性というのは揺るぎはないものとなるだろうと思う。冒頭の不祥事の情報の公開においても、受け取る側の納得性が十分であったか(あるか)どうかによってその評価は変わるんだろうなぁと。気象情報が直接的に関係するとは思えないけど、真の情報にアドレスしたいという気持ちは現代に生きる者として全面的な渇望だと思う。