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自分史的なクリッピング史料

東京都ではカスハラ条例が成立し、来年(2025年4月)より施行されるという。尊大な客の態度にはらわた煮えくり返っていた店側、企業側の人たちも確かにいたのだろうか。今や○○ハラスメントは多様性を帯びている。ひとえに人間関係における余裕(いたわりや配慮も含めて)がなくなってきているのではないかと思う。なんだか寂しいところではある。色々なひずみが表面にいまさらながら浮かび上がってきている昨今ではあるが、これを回避しようと思うと、どうしても最低限のコミュニケーションで賄えないだろうかなどと、少々卑屈気味に考えてしまう。やはり歳なのだろうか。そんなことより、今後どうなっていくのだろうか?ということも気になる。

癒やしでもと思えば、東京ディズニーランドでのイベントなどが、コスチュームで仮装しながら見ず知らずの人たちがコミュニケーションができているという事実を聞くと、そうか、やはりこういう領域では利害関係なく、コミュニケーションは進むんだなぁとも思う。いわゆる今でいう「推し」の世界観なのだろうか。実はかなり近い身内がタカラジェンヌとして活躍している。その話をたまたますることがあると(めったにしない)本気で羨ましがられる思いをぶつけられることがある(勿論宝塚ファンである)。自分も一度観劇したことはあるけど、ファンとまでは到底至らない。

2024年9月30日 朝日   現場へ 被爆死の元タカラジェンヌ 園井恵子の青春

朝日の夕刊の全5回の記事。昨日で終わったのだけど、身内の話がきっかけというよりは、宝塚というエンタメの仕組みというか仕掛けには興味もあり新書などでその秘密を探る的な本も読んだことがある。個人的にはベルばらがキーワードだったりする。

今から79年前に広島で被爆した国策の移動演劇隊「桜隊」に元タカラジェンヌ・園井恵子がいたという紹介からこの記事は始まる。その演劇隊の一員であった園井恵子は被爆死したと。最近の映画では常盤貴子が園井役を演じたらしい。園井は1913年に岩手県で生まれ、家出同然で宝塚の門を叩いたと。そして宝塚で活躍後、俳優としての可能性を広げるために宝塚を退団し、映画でヒロインの役を射止めると、スターとなり、その絶頂期に原子爆弾の光を浴びたとある。俳優としての活躍は未だ未だ途上であっただろうから、周囲を含めて無念であったことだろうか。

次いで岩手県出身の原爆被害者団体協議会の顧問の方の様子が記されているけど、この方も通信兵として当時広島にいたらしい。爆心からは4㌔のところにいても、大地が揺れ、轟音が響き、悲鳴が聞こえたというから、壮絶な様相であったのだろう。生存者の救出に向かうもなすすべもなく、夜になると遺体から抜け出たリンが青白く燃えていたという。同郷のスターが地獄絵の中にいたと思うと胸が痛むとも。今イスラエルの問題が世界的にも問題になっているけど、やはり戦争の地獄というのは、絶対回避して欲しいと思うものの、その思いが全世界で蔓延することは難しいと以前からわかっていてもやはりやるせない。この園井の生涯を回顧することにも意味はあるとしてその顧問の方が記者に依頼したという。そしてもの第1回目の記事となっている。

戦争の悲惨さは、今さらだけど、少なくとも戦後世代にはなかなか実感として血肉になることがない(自分も含めて)。亡くなった父はよく戦争の話をしていた。横須賀が実家だったこともあって、米軍からの食糧支援についてもよく語っていた。その時は自分も中学生・高校生くらいの時だったので、やはりそれほどの興味を抱いていた訳ではなかったけど、最近は年齢を重ねたせいもあって、すくなくとも、もう少し理解を深めておきたいと思う気持ちが強くなり、こうした記事に反応しているのではないかと自分に言い聞かせながら記事を読んでいる。ちょっと「推し」の話とは感覚を異にするものだけど、記録に残しておこう。先ずはさわりだけでも。

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