自分史的なクリッピング史料
イラストの挿入を始めて少しでも誰かに届くように!と思ったわけではい。単にイラストが好きだから、どちらかと言えば、抽象的なというか、全てが詳細にかつ実写的に描かれているものではなく、雰囲気で好きなものを選んでいる。本当はその時のトピックスと合うものを選んだ方がいいのかなぁと思いつつ。イラストレーターの中でもわたせせいぞうのイラストがお気に入り。決して実写的ではないというところが好きなのだろうか。その私見は決して的確ではないのかもしれないけれど。
さて抽象的といえば、比較的抽象的な印象を持つ岸田首相が総裁選への不出馬を表明した。困難な時期にも当たったとは思うものの、今ひとつ成果らしいものがハッキリとしない。新聞紙上でも、その評価がパッとしないことばかりが記されている。時の人、というか政治家は往々にして、後から評価を覆されることも多いし、今すぐ判断してはいけないのかもしれないと思わされることも多々ある。とは言いつつ、やはり今の世論の人気という点では時流のアイドルと変わりはない。ある意味で宿命なのかもしれない。今後次の候補者たちの顔ぶれもはっきりしてくるだろうけど、どんな期待を寄せたらいいのだろうか?
2023年7月10日 日経 大機小機 いま、なぜ石橋湛山か
この頃、石橋湛山に関する記事が結構多かった気がする。この記事は1年前のものだけど、米中貿易戦争が激化し、半導体製造装置では、米国の要請で日本とオランダがそれぞれ7月、9月から中国を念頭に新たな輸出規制を設けようとしている、というリード文で始まる。ここで、言葉遊びを揶揄するようにこれまでデカップリング(分断)と呼ばれてきたものが、デリスキング(リスク低減)と名を変えて、米国の半導体メーカーは中国への輸出が許される不可解なことも起きていると。確かに不可解だ。
いずれにしても、経済のブロック化の動きが戦争に繋がるのは歴史の教訓と記し、日本も対米追従で中国やロシア包囲網に歩調を合わせようと経済安全保障に躍起になっていると。一方で、グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国の中には中ロとの緊張状態を高めるだけの政策に賛同しない国も多い。G7のメンバーでもあるマクロン仏大統領も北京に経済人を引き連れて、欧州は米中どちらにも追随すべきではないと発言した。
そうした中、国会において「超党派石橋湛山研究会」という議員連盟が発足したと記される。石橋湛山は戦前ジャーナリストとして武力による対外膨張政策を批判し、植民地を放棄し貿易立国として生きていくべきだという「小日本主義」を唱えたと。戦後に政治家に転身、鳩山一郎内閣で通産大臣に就いた。そして日中は、「融和し、交歓し、提携するのが地理上、歴史上、国際関係上、順であり自然である」として貿易を推し進めた。首相の座に就くと、米国との提携はよしとしながらも米国一辺倒という訳にはいかないと持論を展開。病気のために短期間でその任を退いた。日本で首相在任期間が羽田元首相に次いで2番目に短い(65日)というリーダーだったけど、こうして時間の経過と共に、その評価が見直されたということなのだろうか。
退任後も、ポスト冷戦を先取りした「日中米ソ平和同盟」を主張するなど、一貫してプラグマティズム(実用主義)の発想から平和への道を模索したとあるので、新たな議員による研究会はどんな研究をされるのだろうか。
外交は多元的に行うことで活路が見出せる。2023年8月には、超党派の日中友好議連が政府間レベルとは別の次元で議員外交をしようとしていると。民を持って官を促すというスローガンで日中関係が深化を遂げたようにと記されているけど、本当にそうなのだろうか?個人的には、かつて中国ビジネスでは本当に苦労したことが思い出される。筆者は今一度、経済界の積極的な民間外交に期待したいと結び、そして米中のはざまにあっても、民の力を持って自由主義のフラッグを守護者として守るべきだとおっしゃっているけど中国という市場があまりにも大きいだけに、民間での判断は無論、官とは違っても良いけれど、大くくりでは、中国という相手方をどのように捉えていくべきなのか?は本当に難しい問題だ。これは石橋湛山が隣国・中国の存在を冷静に見たその視点をピックアップされているのだろうけど・・・。
もう一度石橋湛山評論集(岩波文庫)を読んでみようかなぁ・・・。