自分史的なクリッピング史料
オリンピックも漸く終わった。海外で開催されたオリンピックにおいて、過去最高の金メダル獲得数だったというから、その活躍ぶりには目を見張るものがあった。特に女子レスリングは全階級でメダル獲得だから、これは表彰ものだろう。試合後のインタビューで、その期待が大き過ぎるが故に、謝罪まがいの発言をする選手もいたけど、そんな必要はない。皆の夢を背負っていたというのは確かかもしれないけど、その夢は勝手に託されたものなので本人がそれをも含んで、その時のベストが尽くせたかどうかが大事。連日深夜のライブ中継を観入っていた人も多いだろうけど盆休み明けには日常に戻るのだろうか。
それにしてもこの余りの猛暑に食欲も減退気味。歳を重ねるごとに、妙にそーめんが好きになって来たりして。料理にも時折チャレンジしているけど、あくまでレシピ通りに作れるかどうか、あるいはレシピ通りに実際美味しく感じられるのか、等考えさせられることは多い。総じて料理というのは奥が深いもの。道元の『典座教訓』なんかも読んだりして精進料理に興味を抱いたり、角川ソフィア文庫の「日本料理のコツ」「西洋料理のコツ」を読み結構な蘊蓄を貯めたりしながら、結局、より簡単にでも美味しく調理できないのか??などと考えてしまう。包丁さばきもだいぶ上達したけど、やはり自分が思い描いた味にはなかなか到達できない。
2024年8月13日 朝日 取材考記
レンジ活用でおいしく 手間抜き料理 胸張って
つい最近の記事だけど、朝日新聞女性記者のコラム。彼女の冒頭リード文でも「どんなに料理が好きでも、年齢を重ねたら、台所に長時間たつことや火を扱うことが難しくなる時がくる」で始まり、「それでも、栄養があって、自分好みの食材と味付けで「おいしい」と思えるものを食べ続けたい」と続けている。まさにその通り!と思いながら、ついついクリッピング。
彼女は電子レンジ調理の魅力について連載したとあり、確かにそれらの記事もクリッピングしてある。記事を通して、電子レンジ調理も立派な一つの手法であるということを問いかけたかったと書かれている。またタイトルを「料理がしんどいあなたへ」としたのは、読者に手紙を書くような気持ちを分かち合えたらという気持ち、思いを込めたとある。流石に男の自分は、そこまで切羽詰まった気持ちで料理をしたことはなく、かといって、男だから料理をしなくても良いと思っている訳でもなく、もし自分の得意料理がいくつかあったらなぁとは思っている。それでも自分なりにチャレンジしながらやってみたいと思う。
この女性記者さんは、育児をしながらの調理機会において、正直辛い時期もあったと世の奥様方と同じような苦労をされた様子。そうした中で、半調理済みのミールキットを試したり、レトルトを食べたりすることもあったと記していて、今じゃこうした商品も相当クオリティーが上がっているので十分美味しいし、便利な世の中にはなっている。もちろん、自分好みの味に行き着こうとすれば、自ら調理することにまさるものはない。そこで、一から作るにしても、何とか楽な方法はないかと模索したとある。そして色々な方法を試す中で、トースターやレンジを活用する技に行き着いたと。鍋とフライパンからの脱却。それはそれで立派な調理方法だと思う。
そんな時、女性記者さんは、知人と食事作りについて話をしたとき、自虐的に「手抜きだから」と言ったところ、「手間抜きだよ」と返されたとか。その言葉に感動したらしい。結局配膳されていざ食べれば、そのプロセスをいちいち気にする人はいないだろう。食べることは生きることと、おろそかにはしたくないという気持ちは誰もが持っているのでは。時間的な制約、経済的な制約などありながらも、工夫をしながらおいしく食べる方法があるのなら、その方法にすんなりと依存するのも考え方一つ。この記者さんのまとめは、多くの人に「手間抜き料理」を知ってもらえたらという気持ちが連載記事に宿っている。
道元は「典座教訓」で調理すること、食べ方の作法、片付けなどすべてにおいて仏道の修行の一つであり、いわゆる料理係のお坊さんも立派な修行を重ねていることを説いた。精進料理の本なども所蔵しているけど、そのテキストを読むと、食べ物に対する考え方も違ってくるようで、結構いや妙に関心を寄せてしまうのは、男の蘊蓄大好き病だろうか。でもクリッピング資料の中で料理に関するものは、やはり読んでいて美味そうだなぁ!とついつい感じるのは、食い意地が張っているのかもしれない。