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心のリストカット
フラッシュバックとは体のいい心のリストカットだと思う。
フラッシュバックが起こるたびに心の傷をえぐり返し、心に刻む。
心にもないことは口にしないと決めている。
あの時こうしていたらだとかそういうことは口にしない。
でも心のどこかでは思っているからふと
あの時こうしていたらどうなっていたのかな
と思うことはある。
高校卒業から間もなく三年が経とうとしているのに
わたしは床や階段の冷たさとか音楽室の床のざらざらした質感とか裸足で歩いた土足の廊下を明確に覚えている。
覚えている、というかわすれそうになるたび思い出させるフラッシュバックが存在する。
口には出さないけれど思っているタラレバというのには
あの時に部活をやめてればとか
あの時あの人に助けを求めていればとか
あの時死んでおけばとか
あの時失踪しておけばとか
重さはそれぞれ。
でもどれも本心であり、少し行動に移った
感情である。
今日はどうも眠れそうにないから話を具体的にするならば、
親友と私はいまだ連絡を取っていない。
彼女から連絡が来ることがないのは彼女の返信に私が返せなくなってしまったせいで、彼女はまた病をこじらせてる可能性があるから彼女のせいにすることはできない
だからと言って私だけに彼女に連絡を取る責務があるかといえば答えはノーである。なぜなら私にも病があって連絡を取ることに高いハードルを感じているから。
誰も責められない。
顧問は必ず連絡を取り続けるように私に言った。
あいつには無理だお前の仕事だと。
それが私のなかで重圧になっている。
顧問はかつて親友が転校する際私に二人で話す時間をくれた。
わたしはいつもの取り繕ったわたしとして、副部長のわたしとして親友と話をした。
親友と親友としての私は話をしていない。
いつからだろうか。副部長になってからかもしれない。
わたしはやっぱり部活をやめるか、副部長を引き受けないべきだったのだと思う。
そしたら私は親友と親友のままでいられた。
もう私の将来に親友と親友の私でいられる未来はない。
卒部した今もう、親友と会えるのは取り繕った私だけ。
そんなわたしと親友は会いたいだろうか。
そんなに会いたかったら連絡を寄越すだろう。わからない。
わたしと親友は親友なのにお互いのことを全く知らない。
どっちもツンデレで不器用で言葉足らずだから何も知らない。
一緒に過ごした時間のことは誰よりも知っているけれど
一緒に過ごしていない時間のことは何も知らない。
わたしは彼女がどんな病なのかをしらないし
わたしも彼女に伝えていない。
伝えたら彼女が自分のせいだと責めることが怖くて
伝えられない。
だから今はこうして彼女のことを想って筆を執ることが最大の愛情表現であり、これはラブレターなのだ。
いつか彼女に会うことができたらいいと思うとともに
いまはこうしてラブレターを書くことで精一杯な私を許してくれないだろうか