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アルティメット他者依存

いったいどういうことだってばよ!という心のナルトを抑えていただいて

私は現在も他者依存してしまう自分に苦しめられている

まずは他者依存ってなんなんだいというところから


私の他者依存

他者依存と聞くと「人に何でも頼りっきり」なイメージもあるかもしれないが、私に関していうとこれとは異なる。
友達から「自立してる」だの「なんでもできる」だの言われるくらいには身なりを取り繕うことが可能である。
実際、料理や裁縫が趣味だったりと女性らしさのようなものを兼ね備えているのだが表面的な欠乏部というより奥底まで知らないとわからない欠乏部が多いため「守ってあげたい」とか「助けてあげたい」という感情が生まれず、モテないらしい。(考察 by 仲のいい友達数人)

で、わたしの依存してしまう部分というのが”弱い部分”=”精神的な部分”である

具体的に見ていきたい


ある意味唯一の依存

正直上の記事を読まれた方は「ああ、あれね」という感じかもしれないが一応説明しておこう(何分、この記事は長い。本当に長い。)

簡単に説明すると

中学から同じ高校に進学した唯一の親友が体調不良から不登校に
責任を感じていたところで割と強豪の吹奏楽部副部長に就任
重なるようにして親友の通信制高校への転校が決定
あまりのショックと責任感にパニック発作頻発

という出来事に真剣に初めに向き合ってくれた吹奏楽部の顧問に依存した(している)


依存のきっかけ

シンプルに彼が初めに話を聞いてくれたというか、
私が死ぬ気で隠していたのだが土足で踏み込んできたというか

まあそれがよかったのだが

当時からこの話をすることはぐちゃぐちゃの傷口をむりやり自分でほじくる自殺行為であったので他の人には話すことができなかった

当時の私にその時負担をよりかけたなら本当に道端で死んでいたと思う

だから私には話す相手が彼しかいなくなって、彼と過ごす時間が増えて、そういう意味で一番安心できる場所になってしまった。

初めに依存に気が付いたわけ

ナチュラルに年末年始の休みです。一週間が耐えられなかった。

さっきも言ったように彼以外親にさえ話すことができなかったから、パニック発作の話もできず、発作をおこしかけても一人部屋で寝たふりをしてやり過ごすしかなかった。
七日間、過呼吸にならないように息を殺してベットの上で過ごした。
当時はご飯もロクに食べられなかったし、何分体力が落ちていたので歩くこともきつかった。
ずっと心臓がバクバクして横隔膜が圧迫されている感覚があったので常に緊張状態。吐きそうな七日間は今までで一番長かった。

それまでは彼と話してモヤモヤを少しでも解決したり、もう過呼吸になってしまってキマる感じでその場しのぎで解決していた。
(キマるというのは何というかパニックになってしまって、体ごと緊張を解いてしまうことで無理やり安定した状況に持っていくという感じだが超短期的対処なうえ、クセ?になるので本気で辞めたほうがいい)

それができなくなった年末年始の休み、最高に私は彼の存在を求めた

ただ、私は副部長として部員に恰好が付かないとという意識もあったのでこの件について連絡を取ることがなかった

しかしながら、24時間彼に会えることを願い、カウントダウンを初日からしていた。

実際休み明け彼に会って、ほっとしてしまった自分にもうだめだなと感じた。


依存に気付かれる

当たり前だが、顧問は私が彼に依存していっていることに気が付く。
きっかけは多分文化祭である。

詳しくは書かないが
開会まえに発作を起こす→担任と保健室で二人きりにされる→脱走
→顧問とバッタリ→保健室に連れていかれる→担任みて大パニック
→担任は教室に戻って顧問と午前中二人きり

という事件が起きた
(当時保健室の先生が休みだった&顧問が担任持ってなかったなどが重なる)

このときあまりにも私が顧問をご指名したのでさすがにまずいと思ったのだろうなと思う


引き離し大作戦①

顧問はわたしがほかの人を頼れるように少し冷たく
「同期に事情を話せるまで部活に参加させない」と言った

部活に参加できないということは顧問と話せないに近いので私は頑張りたかったが、頑張れる状態でもなかった。

結局二日かけて泣きながら話したのだが、あまりにも限界すぎる私を見かねたのか、優しいだけなのか彼はまたいつもの彼に戻った。


引き離し大作戦②

彼は顧問という立場としてもちろん厳しいことも伝えなくてはならない。

そういう意味で私の授業の出席が6月ですでに足りなくて単位が危ういとか、そういう嫌な話もしなくてはならない。

嫌われ役というところだろうか。

彼は自分自身の空きコマに保健室に来て私が来ていないかチェックしにきたりだとか、欠席できる回数を各教科担任に聞くまで部活させないだとかそういう厳しい縛りを私に課してきた。

なのにわたしは嫌いになるどころかそんなところまで感謝してしまっていた。
それくらい弱っていた。


引退

話はとんで、私は部活動を引退した。
受験?はみんなより早くというか部活を引退した次の日に決まっていたので副部長としての引継ぎやOBOGとしての連絡先を担っていた。

連絡先を担えば顧問と話せるから。


依存②

これを私が依存と呼ぶべきなのかわたしが決めることではないが、わたしは彼もまたわたし(たち)に依存というか適応していたように感じた。

後輩から「あいつらならできる」とか私たちと比較されるという話は耳がちぎれるほど聞いたし、OBOGのやるべきことはわたしに仕事全振り(先生がやるべきことも)してきたり明らかに例年と異なる対応が多くみられた。

正直、わたしにはOGのやるべき範疇を超えた仕事が降ってくることが多々あって違和感を感じていた。

彼はできるから頼んでると言っていたが実際のところはどうなのか私には知る由もない。


依存から抜け出したい

そんなこんなで引退から一年以上が経っても私と彼の不定期的な依存関係が存在していた。

引退から一年半ほどたったあるお手伝いを終えて私はこの依存から抜け出す覚悟をした。

二つ大きな理由がある。

一つ目はわたしは彼とすべての人間を比較して恋愛ができなくなっていた。
出会ってから五年ほど経つ相手と出会ってそこらの恋愛対象を比較するのがまずおかしな話ではあるが、わたしは無意識のうちに比較してしまっていた。
しかも彼に会うたびその気持ちが更新されるので半永続的であった。
これで何度もチャンスを逃している。

二つ目は関係の異常さを他人に指摘されたからだ。
大学の友達に「なんでそこまでやるの?」と言われたとき答えられなかった。正確に言うと自分の中で答えはあったのだが、その答えが到底論理的だとは思えなかった。

気づいたのがそこまで全くなかったわけではなく見ないふりをしてきたが時間とともに焦りを感じたのだろう。


依存からの脱出

どうしたかというと物理的に距離を置いた。以上である。
強い信念が大事である。

ちなみにいまだに彼のことを考えれば指がしびれるし、写真だけで気持ちがいっぱいなのだが。


今後の展望

多分、人間に依存せず生きろということは難しい。
だし、わたしは依存前科があるのでもっと難しい。

依存しそうだと思ったら私はその人ひとから離れてしまうことが多い。
また依存してしまうことが怖くてたまらない。

でもわたしは乗り越えたいと思っている。強く。

作った短歌


好きな人に好きだといえない この気持ちが愛か依存かわからない


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