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LGBTと文学賞とわたしの無知と決意
いちとせしをりさんの記事を読んで、わたしは「ハッ!!!!!!!」とした。
“女”と名の付く文学賞で、体は男性で心は女性の方は、
・応募すら認められない
・応募しても読んでもらえない
・受賞資格もない
だなんて、わたしは一度も考えたことがなかった。わたしはLGBTの方にも当然応募資格はあるものだとばかり思っていたのだ。
だから、わたしは文学賞の応募要項に“女性限定”などと書かれてあるのを見た日には、
「ってことは、応募者が半分近く減るから、それって入賞しやすくなるってこと⁉ ラッキー!」
と喜んでいたくらいだった。実際には誰でも応募できるところにしか応募していないのだけれど、それは、LGBTの方の応募資格を認めなかった文学賞に抗議してではなく、ただ単にたまたまそうなっただけであった。
わたしは何て自分勝手で浅はかだったんだろう。
言葉を生業にしたいと考えている自分は、言葉を大切にし、誰が読んでも悲しまない文章を心がけているつもりだったのに。
それに、わたしの半生には身近にLGBTの方がいた。
大学の同じ学科の学生、同じ職場の上司・先輩・後輩。
わたしはその方々を理解し、差別していないつもりだったのに。
世の中に、“女”と付いた文学賞を見て、複雑な思いを抱く人、主催者に問い合わせをして悲しむ人、ダメ元で応募して落胆する人がいるなんて、わたしは今の今まで気づかなかったのだ。
だからわたしは、今後“女”と付いた文学賞や募集要項に“女性限定”と書かれてある文学賞に応募したくなったときは、
わたしも「LGBTの方に応募資格はあるのか。」事前に問い合わせをして、“不可”と返事がきたら、応募しないことにする。
わたしは自分が文学賞に入賞する実力がないことは痛いほど分かっているし、わたし一人が問い合わせをしたり、応募しなかったからといって、何の影響もないくらい小さな力だと思う。
でも、やっぱり、わたし自身が納得できないことや説明ができないことに加担してはダメだ。
いちとせしをりさんの記事は、毎回、わたしの中の無知を気づかせ、新たな決意をさせてくれる。
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