コロナ後
コロナは2日で解熱した。
以前、初めて罹った時は4日ほどは熱が下がらなかったし、喉の痛みも尋常ではなく、体力の低下も著しかった。
そんな時参考になったのがこちらの漫画。
このコロナ日記と熱が出た日数も喉が痛くなったタイミングも全く一緒であったため、不安な闘病生活の心強い指針となった。
闘病生活の中で1番不安になったのが熱が下がらず喉の痛みも最高潮、息苦しさで夜中に目が覚めた時。
これまでの風邪でいくら喉が痛くても咳や鼻詰まりで苦しくても、この時のような息苦しさを感じたことはなかった。
呼吸ができないというより、息を吸っても肺が狭くなっていて空気が満たない感じ。
息をしていても空気を血中に取り込む機能が低下すれば酸欠になる…そういう仕組みを体感した。
これが肺炎…!?これがコロナ…!!なのか?(未検査)と思いながらも、ポルナレフがDIOの恐ろしさの片鱗を味わった時と同じく未知の恐怖を味わいながらも大事には至らなかった。
私が重症化しなかったのは運と免疫力が強かったからでしかない。
これで死に至るのもさもありなん…と思わされた出来事であった。
その後1週間ほど咳が出ていたため大人しく生活していた。
咳が治まってきたタイミングでランニングを再開したら、予想をはるかに上回る息苦さ。
久しぶりで体が鈍っている、筋力が落ちているからというより、純粋に肺に入る空気が少なくなっている感じがして、再びコロナの恐ろしさを感じた。
しかし息苦しかったのは最初だけで何回か走れば気にならなくなったので、コロナでダメージは受けたものの、大したことはなかった部類なのだと思う。
そして今回は2日で解熱し、喉の痛みも普通の風邪と変わらず重症化しなかった。
最初からコロナだと直感していたし、発症したところで重症化しないとも予想しており、まさにその通りであった。
私の免疫が前回の罹患で強化されたおかげかもしれないし、今回罹ったのがそういう株なのかもしれないし、それはわからないが、人類は未知の病原菌を克服しつつあるのではないかと身をもって感じた。
いくらこの夏再びコロナ大流行といえども、罹っても治るなら乗り越えていける。
とはいえ病原菌には勝てても、それでガタガタになった日本経済や文化的基盤はこれからもっと酷く崩壊していき今までの日本ではなくなっていくだろう。
実際、人生を賭けて愛そうと思っていた人との関係さえコロナによって顕在化したお互いの価値観の違いによって断絶した。
どんどんできることが狭められていき、息苦しかった。
コロナに罹っても罹らなくても、私は酸欠状態の金魚のように、精神的に瀕死の状態だった。
そこからやっと抜け出せたが、その後遺症でまだうまく息ができない。
胸いっぱい息が吸い込めない。
一度壊れた肺の細胞はもう戻らないらしい。
それでも残されたリソースでやっていくしかないのだから、また走り始めようと思う。
最初は息苦しくてしんどいかもしれないけれど、大丈夫、私は強い。
まだ走りたいし、走る能力もある。
落ち込んでるのは時間の無駄。
走れ、走れ、走れ!!
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