人生はひもほどき
人生について、紡ぐという表現が用いられることが度々あるが、どうもあまりしっくり来ない。
市役所で住所変更の手続きをしている時、ふと感じたこと。
それは、人生とはむしろ、不用意に絡まってしまった糸を、器用にほどいていく作業の繰り返しなのではないか、ということ。
少し変わった子供と言われてきた。注意欠陥がどうだとか言われたこともあった。
転出転入の手続きも、半年ほど伸ばしに伸ばし、必要性に追い込まれた行ったものだ。これといった問題もなく、手続き自体はすぐに終わった。
これまで感じてきた、人生の難しさ。それは、ほどく作業が苦手、という性質に由来するのかもしれない。
大きな決断や変革、などなど、何かを建立する場面はもちろん人生には点在し、確かにその瞬間は、糸を紡いでいるような印象があるのだが、でもそれはほんの一瞬の出来事に過ぎず、その後の維持管理は、糸の絡みを適切にほどきながらケアする日々に落ち着くものだ。
進学、恋愛、就職のようなライブイベント、夢追い、車を買ったり、引っ越したり、旅に出る時だってそう。
我々は、何かしらの関係性や状況を、自由意志という名の下で立ち上げ続けないと生きていけないもので、そうした物事は発生の次の瞬間からは自分の一部として落とし込まれ、新たな学びや発見を伴いつつも、維持管理の側面も出てくるわけで。
もしかすると、何かしらの関係性や状況を建設するという行為も、それ以前にあった関係性や状況の糸をほどく作業の一環として発生したものなのかもしれない。いや、必ずその側面はある。
青天の霹靂のような出会いだって、整理して俯瞰してみると、それ以前の人生で、理想ではない形で絡んだ糸を、丁度よく紐解くためのカギを見つけたというふうに捉えられる。
風が吹く荒野の中に、自分という一本のポールがあって、そこには無数の糸が付随している。こちらの思わぬ所で糸が絡まり、解くことは当然の義務として与えられている。
丁寧な暮らしができる人は、この「ほどき」に対して抵抗が小さいのかもしれない。
何はともあれ、絡んだ糸をほどく作業は難しい。
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