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「さぁ旅行へ行こう:最終日」 おこもり旅行から得たもの
金曜日の夜からの「おこもり旅行」を今日終えた。
遠くへ旅行するわけではなく、職場からも自宅からもすぐの都内への2泊3日。ほとんどの時間をホテルの一室で過ごした中で、私が得たものはなんだったのか。
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□ まず第一に、
非日常的空間を味わうことで、マンネリ化していた週末に活気を取り戻すことが出来たことが何よりも大収穫。リスクや規制を考えて、休みをできる限り省エネ化していった結果、心まで乏しくなってしまったことに強い危機感があったため、今回の機会で、新鮮な空気の入れ替えに成功したと思う。マインドを少しだけ前向きに戻すことに自然と繋がった。
□ 次に
ストレスの発散方法として最適だったこと。仕事ばかりでどこにも行かずに、文字通りの家と職場の往復(+スーパー)の生活だったことから、働いている意味が薄れてきていた。私にとって働く意味は、「幸せな時間を経験するため」だが、閉塞した空間で幸せを見つけられず、発散することが出来なかったストレス。それを、ホテルへの支払いや、朝昼夜ご飯を好きに購入すること、何なら定期券外の交通量までも、幸せな時間への対価として気持ちよく支払うことが出来たことが、発散に変わったこと。
□ あと一つは、上のこととの関連になるが、
受けたいサービス内容や、自分がその場でしたいと思うこと・欲しいと思うものにより当然支払う値が変わってくることから、「次の幸せの時間のためにまた一生懸命働こう」と気持ちの整理がつけられたことだ。この旅行の経験により私の幸せな記憶はまた更新され、また幸せを得たいと思うようになった。それを得るためには、泣き言ばかりでなく働かなくてはいけない。楽にお金を稼ぐ方法はないのだから。自分の目的のため、そのために働くことは決して悪くない。
ただ人によってはそれが「誰かと過ごすため」という家族や恋人などの、複数人の場合がほとんどなのだろうが、私はそれが一人なだけ。ひとりで過ごす時間が何より幸せと感じるのだからそれはしょうがないことで。
可哀想とか寂しいとか、自分勝手とか、色々な見解をぶつけられることも無くも無い。でも今はこのスタイルが自分に一番似合うものなのだと思う。
いつかは誰かと喜びを共感できればいいなと思うこともあるが、誰かの責任を背負うことはまだ出来ない弱虫だ。それでも
一人の幸せは決して悪く無いと思うのです。
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他人から見れば、どこか開き直り旅行と言われそうな時間でしたが、
私はとにかく幸せでした。
それだけで、
それ以上のことは望んでいなくて、
結果最高でした。
明日からもまた、頑張りましょう。ファイト社会人!