これまでもこれからも永遠のヒーロー
物心ついた時には当然のように巨人戦を見ていた。大好きな内海投手を見たくて東京ドームへ通った。そして今は日ハム、というよりも「野球ファン」になってしまった私だけど、シーズンの終わりが見えるとCSや日本シリーズへのワクワク感と同じくらい寂しさを感じて涙を流してばかりいる。何年見てきても選手の去っていく後ろ姿には素直にさようならが出来ない。
今日亀井選手の引退セレモニーが行われた。言うまでもなく、テレビの前で泣きまくった。永遠にチームにいてくれと何度も思った。
毎年キャンプに入るたびに「あ、今年も応援できるんだ」と安心してきた。それは亀井選手だけじゃなくどの選手にも同じことを感じる。とにかく引退が浮かぶけどその字がニュースに上がらず、キャンプ中の姿を見るとホッと一息つく。「あと何日でシーズン始まる!」と待ち遠しくて、カレンダーにカウントダウンをする。それが恒例の行事。
「引退」の字の破壊力は大きい。何度だって見てきた背中・背番号。何度だって聞いてきた登場曲に応援歌。私にとってそれぞれが青春でしかなく、選手が引退するとファンの中の一つの歴史も幕を閉じる。その寂しさはなんと言えばいいのだろうか、難しい。稲葉や稀哲、小笠原、賢介、矢野・・・今年で言うと斎藤佑樹。巨人、ファイターズ関係なく、その度に同じ気持ちを抱えた。
それでも小学生だった私が今26になることが当然のように、選手も20年同じように時が過ぎる。ガラケーがスマホに変わり、平成が令和になったように。気がつけば自分よりも遥に年下の選手の応援をするようになっていたけど、子供の頃確かに夢中になって大好きだったヒーローたちの姿は、今でもこの目に焼き付いている。大好きだった後ろ姿は消えていない記憶も褪せていない。いくら一つの歴史が自分の中終わっても、それはいつだって引っ張り出すことができるし、思い出して力をもらい、ファン同士で熱く語り合うこともできる。
その度に「幸せだったな」と心の底から思うのだ。きっと今日の亀井選手の「9」を忘れる事はない。たくさんの思い出をありがとう、それと同時にこれからも永遠に私たちファンのヒーローでい続けてくれることにまた、ありがとうと言いたい。
「気持ちの記録」だけに始めたこのnoteを読み返すことはなかったけど、今日だけは野球に関しての記事を振り返ってみら。そうしたらどの瞬間の私も野球が大好きで選手が大好きで、そして野球が大好きな私が大好きだった。こんなにも好きなことに出会えたことが、私にとっては何よりも幸福なのだと思う。その喜びをくれるスポーツに、選手に盛大の感謝を。
亀井選手、17年間お疲れ様でした。ありがとう。
寛ちゃんも!
現役生活お疲れ様でした。ありがとう。
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今までの野球記録の一部。またいつか、読み返そうと思う。約20年野球ファンだけど、いつかこの気持ちがぷつりと切れてしまう日が来るのかもしれない。もしそうなっても、今までの気持ちがなくなるわけではない。私は何度も野球に救われてきたのだから。
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そう言っても、これからも野球ファンの人生を歩みたい、それが本心なのだ。たくさんの感情を味わって経験して、そして野球ファンのまま幸せを噛み締めて死んでいきたい。