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エッセイ | 全然子どもが好きじゃない

双子が生まれ、3児の母となって数か月が過ぎた。
最近こうしてnoteなどでも「3児の母」と名乗ることが多いが、そのたび新鮮に驚く自分がいる。

私に子どもがいる。それも3人。
まさかこんな未来が待っているとは、人生って本当に、何が起きるか分からない。

だって私は全然子どもが好きじゃない。
自分の子どもが出来るまで、子どもを「かわいい」と思ったことがなかった。そういう感覚、分かってくださる方も多いんじゃないだろうか。

若い頃は特に、親戚や上司の赤ちゃんを見せられてもどう反応したらいいのかちっとも分からなかった。絶妙に嘘が苦手でもある私は安易に「かわいいですね」とも言えず、わー赤ちゃんだ、こんにちは、なんて言葉でごまかしていた覚えがある。
同じ独身の同僚女子たちがキラキラの笑顔で「かわいい!!」を連呼しているのを、心の底から感心して眺めたものだ。

ただ、かわいいと思えない=きらい、という訳ではない。子どもというのは尊くて無垢で大切な存在だとはずっと思っていた。
それでもやっぱり、手放しでかわいいと思える日はなかなか来なかった。

そんな私でも不思議なもので、自分の子どもはつくるのが当然と思っていた。
結婚式を終えると妊活をはじめ、なかなか授かれないと分かるや高度不妊治療もたっぷり経験した。
相変わらず子どもをかわいいと思えたことは無かったけれど、ずっと子どもは欲しかった。出来ないかもしれない、と分かると余計に欲しくなった。
多分、子どもが好きだからではなく、子どもがいないと世間体が気になるとか、せっかく結婚したんだからとか、そういう打算的な気持ちも多くあった。

そうして苦労して上の子が生まれた時、顔を見てすぐ「かわいい!」とはやっぱりならなかった。赤ちゃん大好き!なんてかわいんだろう!とか、そういうハッピーな気持ちはちっとも押し寄せてこなかった。新生児室に並ぶたくさんの小さな赤ちゃんを見ても、いっぱいいるんだなぁ、くらいの感想しか浮かばなかった。

それでもやっぱり、尊いと思った。
採卵して受精して移植して、出産時には母体の不具合もあって、たくさんの壁を乗り越えた奇跡の連続の果てに無事生まれてきてくれた赤ちゃんは、明るい未来そのものに見えた。
それがまして私の遺伝子を受け継いでいるのだ。これはもう奇跡どころの話ではない。大切に大切に、守り抜かなければいけないと強く思った。

そこから始まった初めての子育てはそれはもう大変で、特に寝ない・動き回るタイプの長女を育てるのは物理的にもとても手がかかった。長女が赤ちゃんの頃の記憶なんてほとんど吹っ飛んでいる。
しかし、たっぷり自分の子どもと触れ合ううちに段々と自然に「かわいい」と思えることは増えていき、今現在、下の双子のことなんてもう泣いても喚いていてもウンチをしていてもかわいいとしか思えない。

相変わらずよその子どもにはあんまり興味が無いけれど、自分の子どもと同じく希望の塊である彼らを敬意をもって「かわいがらせて頂く」のもだいぶ得意になったように思う。
単純に、子どもの相手に慣れたということでもあるだろう。

子どもが好き?と聞かれたら、私は今でも「好きじゃない」と答える。
それでもわが子への愛はあるし、わが子はかわいいし、子育てって信じられないくらい楽しい。

子どもが好きかどうかって、多分母親になるのにあんまり関係ない。やっぱり妊娠出産はもっと本能的で、遺伝子的で、どうにかなるようになっているような気がする。
ともあれ、子どもが好きじゃないからと言って妊活を投げ出すような選択をしなくて良かったなと、3人の尊い子どもたちを見るたびにしみじみ噛みしめる毎日だ。


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