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柿の実が連れてきた、母の愛のむこうがわ

大学生のころ、母からよく食べ物や生活必需品を詰め合わせた段ボールが送られてきた。いわゆる「仕送り」というやつだ。
大人になってしみじみと思う。あの仕送りの段ボールほど、手間と愛情のこもった贈り物はほかにない。

段ボールはいつも、大きくてずっしりと重たかった。
よく入っていたのは大学生がなかなか手に取らない季節の果物。それから私の好きなちょっといいお菓子とか、食べやすいレトルト食品とか、いくらあっても困らない洗剤とか。
私にとっては福袋や宝箱みたいなもので、ものすごく特別なものが入っているわけではないのに、開く瞬間いつも心が踊っていた。

あんなにわくわくできたのは、たぶんどれもこれも、母が私を思って選んでくれた品だったからだ。
好きだから、体にいいから、ちょっと値段が張って買いづらいだろうから。そんな、そこにいる理由がひとつひとつはっきり見える品々は、たとえただのインスタントラーメンであっても母の愛が感じられてほっこりとあたたかかった。

しかし、大学生時代は昔の記憶になりつつあって、普段は仕送りについてちっとも思い出さずにいる。毎年両親の誕生日や父の日、母の日にはプレゼントを送っているけれど、仕送りの段ボールが頭を過ぎることはない。

過去の仕送りをふと思い出したのは、夫の祖父母宅の庭でとれた柿を、段ボールに詰めているときだった。
その柿の木はとても立派で、2年ごとに何百個とあざやかなオレンジ色が実る。売り物と比べるとずっと小さくて不揃いで、種もあるが、かじるとしっかり甘いのだ。
結婚をして祖父母宅の近くに暮らすようになり、夫のおばあちゃんはその柿を、私たち家族だけでは食べきれないほど大量にくれた。

これは田舎の両親にもおすそ分けしない手はない。
そういうわけで、段ボールに柿を詰めたのだが、柿だけだと収まりが悪いので、ついでにお菓子やお茶なんかを同梱することにした。
全て段ボールに詰め終わってみると、なんともあの母の仕送りによく似ていて、記憶が呼び起されたというわけだ。

年を重ねるにつれ、どうしても日々の忙しさを言い訳にして、両親への連絡の頻度が減りつつある。
だからこういうおすそ分けは、立ち止まってちょっと両親を思い出す良い機会になってくれるのだと知った。きっと夫のおばあちゃんはそういうことをよく分かっていたのだろう。
きっかけがないと、何でもない日の贈り物というのは、なかなか実行できないものだ。

梱包作業をしたことで、毎月のように送られてきていた仕送りを作るのがいかに面倒くさかったのかを知ることができた。

まず、段ボールを用意するのが面倒くさい。ちょうどいいサイズを考えるのが大変で、どうしても手元になかったらスーパーにもらいに行かなければいけない。重たくなるからしっかりガムテープで補強するのも大変だ。

箱が手に入ったら、今度はそこにきれいに詰め込むのが面倒くさい。品物が潰れてだめになってはいけないので、柔らかいものを緩衝材にしながら工夫して詰めていく。
するとおかしな隙間ができたり、逆に入れたいものが上手く入らなかったりする。母はとても片付け上手なので、いつもパズルのように品物を組み合わせてきれいに梱包していた。

何を入れようか、と考えるのだって面倒だ。父や母は今どのようなものが好きなんだろう、と悩みながら買い物をするといつもより時間がかかるし、買いに行けばお金もかかる。
うっかり買いすぎて入らなかったり、逆に思ったよりもの足りなくて、ほかに何かないかとキッチンを探す羽目になったりもする。

最後に、出荷。今でこそスマホひとつで家まで集荷に来てくれるが、慣れない作業はやっぱり面倒くさい。しかも、あれこれ詰まった荷物はとんでもなく重くなっている。
母はたぶん、これをどこかに持ち込んで出荷していたはずだ。さぞ重かっただろうし、車で預けに行くのは手間だっただろう。

これらのすべてを、なんと仕事と家事と育児の合間にこなさなくてはいけないわけだ。
今でこそ定年退職した母だが、私が大学生のころはフルタイムの管理職としてバリバリ働いていた。弟もまだ高校生で地元に残っていたし、母はきっと、息をつく間のないほど忙しかっただろう。

母は少しもそんな顔は見せず、私が欲しいものを伝えれば喜んで次の仕送りへ入れてくれた。

母が仕送りの段ボールを作りあげるのがどれだけ大変かなんて、大学生のころはちっとも考えなかった。
ときには箱の中身が期待外れで、これならいらなかったのに、なんて思ったこともあった気がする。食べきれなくてそっと捨ててしまったり、人にあげてしまったりしたこともあった。
まったく、なんてわがままで贅沢だったのだろう。

仕送りが、母の愛でできているのは知っていた。しかしそこに、どれだけ時間と手間がかかっているのかも気づいていれば、もっと大事にできたはずだ。

今更ながら理解できたので、両親を大事に思う分だけ私も手間暇をかけ、せっせと両親の好きなものを買い集めて箱に詰めた。
食べ物以外に、娘に絵を描いてもらってメッセージも添えることにした。何が入っていれば両親が喜ぶか、一生懸命考えて、ようやくひと箱を完成させたのだ。

どんなものが入っていようと、受け取った母はきっと両手を叩いて喜んでくれるに違いなかった。
だって母は、段ボール詰めの贈り物を作りあげて送るのがどれだけ大変か、よくよく知っている人だから。


本記事は、女性向けキャリアスクール「SHElikes」の課題として、「家族と贈り物」をテーマに執筆した作品です。

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