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結婚式の自分の歯に、今もほれぼれしている話

父の構えるカメラから、ひたすら逃げる幼少期を過ごしてきた。
理由は「自分の笑顔が好きじゃないから」

「おーい、こっち見てよ」

底抜けに明るかった父にそう言われても、かたくなにカーテンの裏から出てこようとしない小学生の私。そのカメラ映像を思い出すたび、やっぱり私は自分のことが好きじゃなかったんだよなあと思う。


大笑いすると、銀歯だらけの奥歯がとても目立った。
極めつけは、生えてきた歯があまりに小さく、前歯の横がスッカスカだったこと。長年のおしゃぶりの癖もたたったのか、前歯同士も生き別れたようにくっつかず、その深い溝が埋まらない。

毎日毎日、ほうれん草や鶏肉やえのきやネギ、その他もろもろの繊維という繊維を私のすきっ歯は挟み込んで離さなかった。
いつでも、なにかがここに挟まっている気がする。
大きな口で笑ったら、なに、その歯(笑)って、笑われるんじゃないか。
そんな少しの恐怖心は、知らぬ間に私の心を侵食していた。

さらに、ジュース・お菓子大好きエンド歯磨きテキトーだった私の歯には、年がら年中虫歯が発生していた。そして痛くなるまで我慢をしてしまう、謎の強がりな私。

いや、多分、歯医者が怖かっただけかもしれない。
というか、そうだ。白状する。白状します。

だ、だって……歯医者に行けば歯を削る。あの恐ろしい機械音に耳を支配されながら、ただただ苦痛に耐える時間が待っている……。
歯医者では、そんな経験しかしたことがなかったんだもの。

そしてその恐怖心はありながらも、結局「仕方がない……い、痛くなったらがんばっていこう!」という決意の繰り返し。なんにも成長できないままの小学校時代を過ごすのであった。


***


そんな私は中学生になってから、運命の出会いを果たす。

歯に痛みを覚えた、ある日。
部活がある日にも行けるからということで、新しくできた中学校にほど近い歯医者に通うこととなった。

初めて行った日のことをよく覚えている。
ドキドキしながら入ったその待合室には、美しい熱帯魚が泳ぐ水槽があった。内装がおちついたこげ茶色で統一されていて、とても清潔感にあふれていた。
受付の人に話しかけると、
「あ。こんにちは!」
そこには、同じマンションに住むお姉さんがいた。
「お名前見たけど、やっぱりそうだったのね~」
あまり話したことはないけれど、とても気のいい人だった。その優しさに、早くもたやすく包み込まれる私。

ここなら、緊張しないかもしんない。と、私は思った。
診察室に通されてからも、その期待は裏切られなかった。

倒れる椅子のどの位置に頭を置いたらいいの?とか。
治療されている間はどこを見ていたらいいの?とか。
ぐちゅぐちゅ、ぺっってしてねって言われるけど、どれくらいしたらいいの?とか。

歯医者のどうでもいいところで神経を使いすぎていた私も、そこでは優しく歯科助手の方がリードしてくれたおかげで、気にする必要もなかった。

「ああ。矮小歯わいしょうしなんだね」

はじめまして~でさっそく口を大きく開けた私に、あるいは側にいた父に向けて、先生はそう言った。
わいしょうし。なんでしょう、それは。
思いつつも、私はひとまず虫歯の治療を受けた。

その若くて恰幅のいい男性医師は、きわめて明るく話しかけてくれながら治療をサクサク進めていった。

「なに~部活してるの?何部?わかった、ダンス部でしょ!」
「あ~けっこう銀歯あるねえ。歯磨きどれくらいしてる?」

治療中で口を大きく開けざるを得ないので、
「ふぁふぉうぃうふぉんれふ(バドミントンです)」
「ああ、あひゃふぉひょうい~(あさとよるに~)」
とても回答にならない気もしたが、中学生の私は健気に会話を成立させようと努力した。
「なるほどね~!」と言われたり
「え?なんて?」と聞き返されたりした。そらそうだろう。

それでも私は思った。
すごく居心地がいいなあ、と。
そうして話しているうちに、あっという間に歯のバイ菌がさようならしていた。痛くもなかった。すごく爽快な気持ちだった。

「あなたのね、この前歯のとなりの歯を、矮小歯というんだよ」

男性医師は、目の前のモニターに矮小歯の説明画像を映して説明してくれた。そこには、私の歯の形にそっくりな写真がいくつもあった。

ポラリス歯科さんの「矮小歯」説明画像
私の歯はこれよりさらに細く小さかった。
ちなみに通っていたのはここではないのであしからず

「もし、この歯が気になるようであれば、一回、矯正をして、歯の隙間を埋めてから、インプラントを被せる方法があるよ。とっても綺麗な歯になるよ。もちろん、すぐにはできない。時間はかかるし、お金もね。かかるけど………」

歯のすき間。気になる?
男性医師は、押し付けではなく、とても穏やかな声で、確かめるように私に聞いた。
私は父の顔を横目で見た。父も私を見ていた。心なしか神妙な面持ちの父に気づきながらも、私は小さい声で「うん」と頷いた。
お父さんごめんね、と少し、思いながら。

「そうか。そうだったんだね」

父は私の返事を聞いて、少し驚いたように言った。
私はそれまでは、非常におとなしくって、あまり意思を示さない人間だったから。

帰りに、受付のお姉さんに「ありがとうございました」というと「またね」と言われた。
私は笑顔で歯医者を後にした。
それは人生ではじめてのことだった。


***


私の歯列矯正生活がスタートした。
そしてその日から、朝と晩だけしていた歯磨きを、しっかり朝昼夜、各10分行った。
矯正の器具には専用の歯ブラシを使用し、歯ブラシを3本使い分けながら、丁寧に磨くことを心掛けた。学校のお弁当の後にも、持参したマイ歯ブラシで念入りに歯磨きをした。そのうち、矯正で磨きにくくなったはずの私の歯には、虫歯ができなくなっていった。

こんなんとか


こんなんとかを使っていた

矯正ワイヤーをキツくした日には、動かされていく歯がギシギシと痛んだ。固い素材は噛むこともできず、豆腐ばかり食べていた。そのたびに、母が少しでも食べやすいメニューを考えてくれた。

私の歯がきれいになる未来に向けて。
これは親が私のために投資してくれたもの。
私はその気持ちを大切にしたいと思った。
自分の歯を通して、私は父と母からの愛情を一心に受け取った。


矯正に向けて歯のレントゲンを撮ると、私の歯には、「歯茎の中で眠るように真横になり、これから乳歯を押しのけ生えるはずなのにやる気が感じられない奥歯がいること」と、「そこにあるはずの奥歯が一本行方をくらましており、存在していない」という事実も判明した。これまでの人生をともに過ごしてきたこの口内には、多くの問題が混在していたのだった。
ここで診察をしてもらわなければ、知ることもできなかった問題。

それらの問題を、少しずつ時間をかけて、この歯医者で解決してもらった。

乳歯を抜き、歯茎を切開して、奥歯を引き起こす手術をした。
奥歯がない箇所も、強制的に残っていた歯を抜いて、ブリッジをかけた。
矯正がクライマックスになると、矮小歯を削り、インプラントを被せた。

どれもこれも大変なものだった。
でも、この歯医者で行われることすべて、ときに痛いことはあっても、怖くはなかった。
受付で最近の部活の話をしたり、歯科衛生士さんに「歯磨き上手ね」と褒めてもらえたり、男性医師に治療中に何度も話しかけられてフガフガ応えたり。
その歯医者は私のホームになっていた。

こうして私はこの世の真理に気づく。

「歯医者は怖くない!虫歯を発生させることがいけないのだ!」

ということに。(もっと早く気づいてほしかった真理)


あまりに居心地がいいもんで、高校生になった私はデート中にも歯医者に行った。むしろ歯医者がメインだったので「歯医者デート」だ。

「あ、ウワサの彼氏だ~!」

受付のお姉さんは笑ってくれた。歯医者に彼氏を連れてくるなんて前代未聞だろうが、みんながニコニコ出迎えてくれた。男性医師に至ってはわざわざ診察室から出てきて挨拶をしてくれた。

「じゃあ、コレでも聴いて待っててくれ。行ってくる」

自分の名が呼ばれると、私はMDプレーヤーに入れたレミオロメンのアルバム「HORIZON」を彼氏に託し、待合室に彼を残し治療に励んだ。いい気なもんだ。

治療を終えて戻ると、
「すごくいい曲だったよ~」
と彼はのほほんと感想を伝えてくれた。いいやつだ。


***


「お~い、仕上げするぞ~」

現在。
毎晩の大仕事として、子どもたち5人分の仕上げ磨きが待っている。
それに協力してくれるのは、我が夫。
あの日、歯医者デートでレミオロメンを強制的に聴かされながら私を待っていた彼氏は、懲りずにその後もそんな日々に付き合ってくれ、今や夫であり父となった。

「ハイハイハイ!!!」
「やるやる~!!!」

パパの膝にくるか、ママの膝にくるか。今夜も争奪戦がはじまる。
たいてい、パパっこの双子男子はパパの膝を取り合っている。

「ぼくが先だったよ!」
「ちがう、ぼくが先ってさっき、パパに言ったもん!」

この毎晩のやり取りに辟易する夜もある。
というか、そんな夜の方が割合は高い。
8割くらい思っている。つまりほぼ毎晩思っている。
メンドクサイわあ。と。また5人分やるのかあ。と。
でも私たちはけして歯磨きをやめない。

少しでも気を抜けば、「なんか歯が痛いかも」という、子どもから言われたくない言葉トップ3くらいにはランクインする言葉が出てくる。
その言葉が出たころには、わりと虫歯菌が深くその陣地を侵攻していることもしばしば。
やつら、子どもだからって容赦ない。何度も我が口内にその侵略を許しちまった私にはわかるのだ。
だからこそ、私たちはけして、子どもの歯磨きを仕上げること。そして、歯医者に子どもを5人連れで行くことに息切れしつつも、定期検診を諦めない。(と、ここに宣言いたします)

子どものかかりつけ医でおススメされた子ども用フロス。
いまや、小学生姉妹と5歳双子は、歯を「シーシー」言わせ、
自分で使いこなしている。
歯医者さんでもらえる歯ブラシが良すぎたのでまとめ買い。
さすがに買いすぎてむしろ歯医者さんに売りたい。
でもたくさんあると、新しい歯ブラシに変更することをためらわないので、いつでもきれいなものを使える利点もあることは発見だった。



仕上げ磨きをする我が家のリビングには、結婚式の写真が飾ってある。
私も夫も、ものすごくいい笑顔をしている。
私は歯をきれいにしたことで、自分の笑顔が好きになった。
笑ったとき、この歯並びがきれいに見えることが、今とても誇らしい。我ながらこの歯並びには今でも、ほれぼれしてしまう。

夫もめっちゃわろてます

父には、この完成した美しい歯並びを見せることはかなわなかった。
矯正も完成に近づく頃、父は天国にいってしまったから。
父の中の私は、歯がスカスカで虫歯だらけの私のまま。
あの頃の私も今思えば、悪くなかったけど。
今はもっと、自分を好きになれた。
これは間違いなく、あの日。私が男性医師の「気になる?」の言葉に「うん」と静かに頷いたその気持ちを、父がしっかりと受け止めて、私の未来に投歯してくれたおかげだ。


私は今夜も、双子のパパの膝取り合い合戦を横目に、静かに母の膝にやってきた次女の歯磨きを仕上げる。
私の遺伝子のせいだろうか。いつまでもやめられない指しゃぶりもあり、前歯の位置がずれ始めている。彼女は虫歯もできやすい。これまでに2回、治療してきた。

「これからまだ、歯は動きますよ。でも、もし今後気になれば、相談してくださいね」

先日、4か月に一回の定期検診に連れて行ったときの、歯科衛生士の方の言葉を思い出す。


私は結婚してから、地元を離れた。
だから、かつて自分が足しげく通ったあの歯医者には、通うことはできていない。
でも、今住んでいる地で幸いにもとてもいいかかりつけ医に出会うことができ、すぐに子どもの歯のことを相談している。
だから。
いつでも子どもの未来の歯に向けての準備は、できている。


ねえ。
歯が痛くなったら、すぐにママかパパにいってね。
ママたちが仕上げもするけど、一生懸命自分でも歯磨きをしようね。
そして、歯並びが他の子と違う気がして、気になったそのときには。
こっそりでもいいから、教えてね。


あなたたちがこの先も今のように、思いっきり笑っていられるために。
未来への投歯をたっくさん、させてね。



1歳三男の噛みしだかれた歯ブラシを新しいものに替えて、ふふ、と、まだ見えない未来に向けてのため息を吐いてから。私は5人目の仕上げ磨きに向かった。






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髙塚しいも|5児の母
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