しあわせの色を、ママにおしえてよ【第1話】
雨あがりの、金色
「ママ、朝だよお! 雨、止んじゃったよお!」
ここ数日の雨のせいで少しかび臭くなったカーテンの奥から、薄暗く小さなシルエットをゆらつかせて、幸が叫んだ。
私はかすれた声で言葉にならない返事をしながら、耳をつんざく彼女の声に、小さくため息をつく。
関東の梅雨入りのニュースをふと目にした日から、三日連続で続いた雨が止んだようだ。
娘の幸は、小さい頃から、雨が好きだった。
一歳の頃には、歩きはじめの幸を抱っこひもに入れ、私が大きな傘をさして保育園に登園しても、雨に触ろうとして大暴れ。お互いぐしょぐしょになって登園した。
五歳になった今では、黄色いカッパを着てお気に入りの水玉模様の傘をさして、カエルの長靴も履いてくれるようになった。
一丁前になったかと思いきや、絶対に手をつないでくれず、水たまりや天からの恵みにその身をささげる始末。雨具のかいもむなしく、やっぱり幸だけはぐしょぐしょになっての登園の日々だ。
昨日もまさにそんな日で、朝のミッション、「保育園登園」からすっかり疲れ切っていた私にとっては、「雨が止んだ」というその速報は喜ぶべきものだろう。
「もおー…………どうして、やんじゃうのっ!? ママ、雨がいい、雨がいい!!」
しかし、だ。
雨が止んだら止んだで、その翌日はこの調子。
晴れが続けば問題はないのに、前日の雨の記憶が新しい雨の翌日には、幸はいつも朝からどうしようもない涙を流すのだ。
「仕方ないでしょ。ママ、天気は変えられないよ。お空の上で神さまがきっと決めていることだから。ほら、今日はおひさまがきっと、綺麗だよ。がんばろうね」
少しでも前向きな話を含めて返事ができた今日の自分は、まだ調子がいい方かもしれない。そう思う。
自分の具合もサイアクなときにこの理不尽にあてられた日には、午後までお互いダメージを引きずるほど、大声の言い合いになってしまう。
今日はなかなか優しいよ、私。
自分に言い聞かせて、私は身体を引き起こす。
先週、三十歳を迎えたこの身体は、なんだか日に日に重くなるのは気のせいだろうか。
まだなにやらブツブツと天の神さまに文句をたれている娘を、カーテンの裏から引っ張り出す。
ああ、このカーテンもしばらく洗ってない。最後に洗ったのはいつだっけ。
毎朝、そんな思考が頭をかすめては、いやまた今度にしよう、と考えることを放棄する。
働く主婦にとって、朝は戦争なのだ。
「どうして、まきばのヨーグルトがないの!」
雨上がりの幸の不機嫌さは続く。お気に入りのヨーグルトを切らしてしまっていた私の作戦ミスはいなめない。これでおよそ十五分はロスするだろう。
「今日、帰りに一緒に買おうね。大きいパックのやつね。たくさん買おうね」
卵焼き器を洗いながら、コンロのみそ汁の沸騰具合を見極めつつ、私はなるべく穏やかに物事を進めようと努力する。そう話している間にも、私の手と視点と思考はめまぐるしく動き回り、とどまることを知らない。止まったら死んでしまうマグロも、恐らくこの私を仲間だと認めてくれるかもしれないと思う。
ある意味、私は立ち止まったら本気で死んでしまうだろう。
子育ても。仕事も。
全力で向き合わなければ意味がない。人生を全力で生き抜いてこそ、意味がある。
単身赴任で週末にたまにしか帰ってこれない夫。その大切な夫を信じているからこそ、私はここに幸と残った。
私はここに残り働き続けることで、自分が「母」としてだけではなく、自分自身でいられるから。
今働いている「この学校」の「教員」という立場にありつづけることに意味がある。そう信じたかったから。
私は自分の心にそう言い聞かせながら、この日々をなんとか生きている。
弁当に詰めたご飯に、ギリ食べれそうな具合に焦げた卵焼きと、そのまま焼いただけのウインナーをぎゅうぎゅうのせる。映えのかけらもない弁当の粗熱をとっている間に、幸を着替えさせる。
さて、せめてもの景気づけ。
夫の啓太さんに今年の九回目の結婚記念日でもらった、金のリングピアスを急いで耳に通す。鏡なんて見る必要もない、慣れたものだ。
「あ、ママのお気に入りだね! パパからのピアス、かわいいー」
幸はこれをつけるたびに、私に向かってそう言ってくれる。
こんなに不機嫌な朝にも、この瞬間だけはニコニコしたりして。
うん、やっぱりコレ、いいよね。私も幸に笑いかけながら、よし、と自分の髪をひとつに高く縛りつけ、ラストスパートをかける。
梅雨に入ったばかりでも、世間は異様な暑さが続いていた。雨上がりの今日はさらに暑くなるはず。半袖と、転んでも膝を守れるように長ズボン。自主的に着替えるのを待っていると時間がなくなるので、「これから保育園に行く」という現実を前に、人形のように生気をなくした娘を、それこそどこぞのお人形のごとく着替えさせる。
「ママ、明日は雨がいいよお」
幸の肩まで伸びた艶やかな黒髪を櫛でとかしながら、そうだね、ママも神さまにお願いしておこうね、と約束した。
さて神さま、明日は晴れでも雨でもなんでもいいですが。この子の機嫌が朝から最高でありますように。
こっそりと私は、胸の中で神さまに追加のお願いもしておいた。都合の良いときばかりは、私も神を信じる気になる。
その後、やれ髪ゴムはいつものピンクじゃないと嫌だの、三つ編みがちょっと崩れたからやり直してだの、この服はやっぱり違うから青にしようだの。あーだこーだと言われながらも、自分の身支度も最低限整えて、嫌がる娘を連れて家を飛び出した。
幼児クラスに上がってから。理由をつけては、保育園に行く時間を遅らせようとしたり、休みたいと言い出すようになったと感じる。でも、行ってもらわねば、私も働き続けられない。
朝はとにかく幸のご機嫌伺いに全力をそそぐ。これしかない。
タイムは七時三十七分。
まあ、いつも通りか。七時三十分を切るのはやっぱり無理かな…………。
私は始業からの三十分、時短勤務を利用している。保育園までの移動をどれだけ早めに換算しても、どうしてもこの調子なので八時半業務開始に間に合わない。娘が五歳になったらそろそろ落ち着くから、バリバリ働こう。そんな意気込みは空を切った。
ああ。まだしばらくは時短解除は厳しいかもしれない。
でも、きっと落ち着いたその矢先には。子どもがいても、夫が単身赴任で忙しくても、働いて働いて、役職手当をきっちりいただくんだから。
私の決意は固い。
今朝のコンクリートからは、昨夜の雨の残り香がただよっていた。
「ママ、見て。地面がキラキラだね! 雨がふったから、だね。ねぇねぇ、地面が金色に見えるでしょ、ママ?」
大好きな雨の残り香に包まれて、彼女が前を向いて歩きだす。
家を出る直前で着替えた青いTシャツが、空の青に溶けそうだ。
こんなところで私は、立ち止まれない。
幸。ママ、頑張るからね。
地面に輝く雨のきらめきに目を細めながら、私は彼女の言葉に頷いて手をつないだ。
その灰色は限りなく、黒に近く
「幸ちゃん、おはようー! お母さま、いってらっしゃい!」
この道20年以上だというベテラン保育士である担任のアヤ先生は、いつもの笑顔で幸とともに私の背中を見送ってくれた。
「ありがとうございます! よろしくお願いします」
私は「仕事」モードの顔を張りつけて、その声に元気よく応えてから保育園をあとにする。
単身赴任の夫のおかげなのか、選定基準は私にはわからないが。幸は駅前にある、この地区ではかなり人気の認可保育園に、生後六か月から通園している。子どもと別れてからすぐでも、電車に飛び乗って仕事へと切り替えができるのは、すごくありがたい。
電車の乗り換え口に最も近い定位置に並んで、ワイヤレスイヤホンを装着。その流れでスマホも取り出す。今日の気分に合わせたしっとりとした流行りの洋楽を選んだものの、小さなイヤホンから流れるその音楽は、今の私の心の奥までは響いてこない。
滑り込んできた電車に乗り込んで、私は後ろから誰もスマホ画面をのぞけないような位置に立つ。
『発達障害 特徴』
『発達障害 5歳 サイン』
『自閉症 成長過程』
『ADHD わかったのはいつ』
スマホでつらつらと文字を打っては、流れてくる情報たちを追いかける。
どこかの医者の記事の抜粋。Youtube。経験者が語るあれやこれやの、SNS…………
やっぱり……そうなの?
と思ったらシュッと指で画面を彼方へ飛ばして。
ほらね。やっぱり幸は違う。こんなことしてないし。
娘に該当しない情報を発見しては、ほっと胸をなでおろす。
一喜一憂しているうちに、二十分の電車の旅は終わりを迎える。
…………大丈夫。大丈夫。
私は言い聞かせながら、人波にのって改札口へとなだれ込んでいく。
***
「幸ちゃんの様子を、少し見ていただけませんか?」
今年の梅雨が始まる、少し前。アヤ先生から、お迎えのためクラスの部屋に入るところを引き留められ、別室に案内された。
先生たちが事務作業をする部屋の隅っこで見せられたのは、電子タブレットに収められた普段の幸の様子だった。
お遊戯会に向けての練習中。みんなは並んで、足を肩幅まで広げて立ち、声を揃えて歌っていた。
一方、幸は…………
まったく、話を聞いていなかった。
みんなが披露する歌の練習をしている中で、大声でまったく違う歌を歌ったり、注意されたらふてくされて、その場で寝そべっている。
『さっちゃーん、お身体おこしてくださーーーい』
歌を指導している先生にやさしくなだめられて、やれやれと言った様子で起き上がる幸。しかし今度は教室の隅っこにいって、なにやら壁に向かってお話している。
正直、私にとってはそれはいつもの光景だった。このあと、褒めるかなにかで釣るかして、どうにかこうにか移動させるまでの流れも予想できた。
私がその映像を見せられて衝撃だったのは、他の五歳の友人たちは、きちんとみんなで並んでお行儀よく指示を待っていたことだ。
五歳って。こういうものなの?
マイペースな娘だなあと思っていた。
同じくマイペースで、同じく一人娘として。ゆっくりゆっくりと育ってきた私は、親になってからも他の子どもたちの成長速度を気にしたことがなかった。
子どもって、こんなものだよね、と。
しかし私は、そこで気づかされてしまった。
お迎えでいつも会う二歳児クラスの子たちと、私の五歳になる娘がやっていることは、ほとんど同じだということに。
アヤ先生は私に向かって言った。
「幸ちゃん。いつもがんばっています。一生懸命話も聞いてくれます。ですが、この調子になることも多いです。もしかしたら、『みんなでいっしょに』という、周りのタイミングを見てなにかを行ったり、指示を受けて行動にうつす集団行動は難しいのかもしれません。
まだ今は、五歳ですから、成長もどんどんしていけるでしょうし、我々も彼女がうまく行動できるように努めます。ですが、このままで小学生になったときに、小学校の教室ではそのようなサポートを受けていくことが難しいと思うのです。
これは私のこれまでの勘によるものも大きいのですが…………一度、かかりつけ医に相談されてもいいのではと思っています」
アヤ先生は、極めて穏やかに、映像の中の幸をやさしく見つめながら、そう言った。
彼女が、非常に気を配って言葉を選んでくれていることは十分にわかった。幸もすごく懐いている。私も信頼している。
でも。
――――いったい、なにを相談するのですか?
私はそう聞きたかった。
でも。怖くて聞けなかった。
ただその事実に対して、そうですね…………と、あいまいに笑っておくしかできなかった。
先生。だったらハッキリ言ってくださいよ。
発達障害じゃないのかって。言いたいんでしょう。
でもそんなの、ここでは証明できないじゃないですか。
幸はマイペースでも、人に危害なんて加えない。
それじゃあ、だめなんですか。
このままの彼女じゃいけないんですか。
先生。
アヤ先生。
私はどうしたらいいんですか。
次々に湧き出てくる灰色の感情を私は、生唾とともにごくん、と飲み込んだ。
私の中に広がる感情は、限りなく黒に近しい灰色で、気持ちが悪くなる。
「ごめんなさい、今日は夫が帰って来る日なので、急がないと………夫にも、相談しておきますね」
嘘だった。夫は今夜は帰ってこない。
私は逃げるように、事務室を後にした。
いつもの部屋にいる、幸の笑顔が目に入る。
手には1枚の紙を握りしめていた。
「あ、ママ! みて! 今日、アジサイ塗った。真っ赤にしたの。ママ、赤が好きでしょ」
そのとき、私は幸にうまく笑ってあげられただろうか。
記憶がない。
ねえ。幸。
アジサイなのに、どうして真っ赤なの?
あなたにはこの世界が、何色に見えているの…………。
そんな虚しい感情だけが宙に浮いていたのは、覚えてる。
その日から、私は「発達障害」について調べるようになった。
いや。
自分の娘が「発達障害ではない理由」を、ひたすら追い求める日々がはじまった。
***
出勤してすぐに、職員室の自席でまずはPCを開いてメールのチェック。
今度、授業に特別講師として招待する大学教授から、当日の説明予定資料が届いていた。
PDFを開きながら、講義予定時間の九十分に収まりそうかどうか目を通す。
授業は一限あたり九十分。それ以上の講義になると、内容にもよるが学生は急速に集中力をなくす。この一コマに収めていただけるかどうかが重要になる。
無駄に長すぎる講義資料に、やはり九十分という制限時間を想定されていない気がして、私は資料の削減と講義内容の見直し依頼を、メールにしたためる。あくまでも相手は特別講師。このあと、大学の講義の入っていない時間帯に、あわせて電話でもお願いをしておこう。
「木下先生、ちょっと」
上司に呼ばれ、いったんPCをロック画面に戻し、奥に鎮座する上司の隣に立つ。
「お願いしたい伝票があって。非常勤の田中先生にお願いされたセキュリティ実践の教科書、保存用と授業用で二冊。伝票作成と、小口で木下さん、払っておいてくれる?」
これなんだけど。と、上司が教科書の検索結果を印刷した紙を提示する。
「承知しました。いつまでに?」
「来月に授業が開始なんで、できるだけ早めにって」
私は、2度目の「承知しました」を言ってから自席に戻る。
授業に入る量はすっかり減り、こんな事務処理ばかりをこなすようになった。
「IT」「情報」を基軸とした専門学校の教員として、ここに配属されて八年が経過していた。
大学卒業後、新卒として専門学校を運営する学校法人に就職した。学生たちがさまざまな職種を志すこの場所で私が配属されたのは、それまであまり触れたこともないようなジャンルの学校だった。
それでも、私は諦めなかった。
「自分は頑張れる人間である」ことを、誰かに認めてほしかった。
そして、教師のひとりとして教える立場になる以上、自分にも自信をもちたかったようにも思う。
国家資格である「ITパスポート」「基本情報技術者試験」を、慣れない仕事をこなしながら、学生に負けじとひっそりと受験して、社会人1年目に合格した。
社会人でも、合格率はけして高くない資格だ。検定試験直前には寝る間も惜しんでがんばったその経験は、私に少しの自信をもたらした。
担任制の専門学校であるこの学校で、私が教壇に立ち、授業に出て行くようになったのは三年目から。
「アイちゃん」
当時の学生は私のことをそう呼んだ。
若い先生は少なかったので、学生にも当時は重宝されていたようにも思う。担任として、ときに相談できる友人の1人のように。私は学生たちに心から寄り添った。
専門学校には、その道で実際に働いてきた、知識も経験も豊富な先生ばかり。
その中で、情報の勉強をしたことのない私だったからこそ、できることを尽くした。
二進数計算。ここでは初心者は必ずつまずく。黒板で数字の移り方を解説しながら、放課後には希望者に補講も行った。
アルゴリズム。クロック周期。相補演算…………
参考書では当たり前のように使われているけれど、きっと意味が理解できない学生もいる。
自分なりの言葉に落とし込みながら、「ITを身近なものに」「授業が面白く」「自分でもできる」と思わせながら、寄り添った。
そして、私が担当したクラスの基本情報技術者試験の平均合格率が、全国平均を超えたとき。
「木下先生。なんだか、サマになっていますね」
上司はさりげなく、私のそばにやってきてそう言った。
その手には賞与の給与明細。
「ありがとうございます!」
私はその明細と言葉を受け取りながら、そう答えた。
明細には、それまでとは比較できない賞与額が記載されていた。
見てくれている。
頑張れば。実績を残せば。数字に貢献すれば。評価をしてもらえる。
私は、改めてこの仕事に向き合う決意をしたのだ。
それから三年の間に、学生時代から付き合っていた夫と結婚して、すぐに子どもに恵まれた。
自分の身体から分身ともいえる愛しい娘が誕生し。育児の時間は幸せだったことは間違いない。
けれど、相変わらず夫は単身赴任。生後三ヶ月までの育児休暇を取得したのちには、また月に数日帰ってきては、すぐにまた遠くにいってしまう日々が戻った。
夫の両親はすでに他界。そして私の両親はすでに遠方に小さな平屋をたて、静かに余生を過ごしていた。けしていい関係でもないと思っているので、遠方から呼び寄せてまで頼るという思考もない。
こんな日々の中で、私は。
自分の頑張りを、もっと、認めてくれる人がほしかった。
でも、私には育児ではそれが叶わないと痛感したとき。育児休暇を経てから息をつく間もなく、焦るように職場に戻った。
生後六か月の泣き叫ぶ娘を保育園で引き渡しながら。
「幸のために、ママ、頑張って来るからね!」と、彼女に言い聞かせるようにささやいて、仕事に向かった。
でもそれは。
いつだって「誰か」に認めてほしかった私が、私に言い聞かせていたにすぎない。
焦って職場に戻っても。
保育園の洗礼を受け、嘘みたいに年中熱を出す娘。病児保育室に入れず、誰にも頼れない私は、ひたすらに有休を消化していく。
授業に穴をあければ、苦労するのは周りの教員。そして生徒も振り回される。
毎週のように授業の代講依頼をするのも申し訳なくなり、授業はだんだんと減らしてもらっていった。私が言い出す前から、意識的に減らされていっていたのも、本当はわかってる。
代わりに回って来る、経理処理や非常勤講師の窓口業務。学生の相談窓口。
本当は、私がこれをやる必要なんて、ないのに。
私ができる仕事は、これじゃないのに。
これまでの頑張りを否定されている気がして、私の心は奥底深くまで落ち込んだ。かつて、仕事を教えていた後輩たちは、着々と経験を積み重ね、あっという間に役職も追い抜いて遠くに遠くに前進していく。
それでもすべてに気づかないふりをした。
私が輝きたいのは、この場所なんだ。
私はここでもう一度、輝けるんだ。
そう、今でも信じたかったから。
第2話へ続く