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8mmビデオをダビングして、18年ぶりに亡き父に会った話


『お~い、こっち見て。こっち見てよ~!』


パソコンの奥。
小さな私を必死に呼ぶその声を。



私はひとり、18年ぶりに耳にしていた。





「ねえ。このビデオ。ダビングできないかな」

オカンはいつしか、実家に帰るたびに私にそう言うようになった。
オカン(実母のことだ)は、かつて私の父が撮りだめていた8mmビデオを、大量に大切に保管していた。

実家に帰るたびに、私はふとそれを思い出し、「そうだね」と言いながら、調べるとなかなかコストもかかるようだと、きたるべきタイミングを見計らっていた。

つまり躊躇していた。

それでも今回思いきったのは、子どもたちに父の姿を見せたいと思ったからだ。


「じいじって、この人のこと?」


仏壇の前。父の遺影は、めちゃくちゃ満面の笑みでそこに静かにたたずんでいる。いつも、大きな口をあけて、豪快に笑っている人だった。その笑顔を見上げるたび、双子はふとそう言うようになったのだ。


私が高校2年生のとき。父は亡くなった。
ちなみに、義父は私たちが大学生のとき、亡くなった。

だから私たちの子どもは、「じいじ」という存在にあまりぴんときていなかった。

そんな彼らに。
「じいじ」を知ってほしい。
私の「お父さん」を、知ってほしい。
会ってみてほしい。そう思った。



──私も。
私も、またお父さんに、会いたい。



そんな想いから、私は8mmビデオをダビングしてくれる業者を探してみた。



ネットで検索すると、毎回トップに上がってくる業者。
それが【ダビングコピー革命】であった。

もっと手間がかかり、もっともっとコストもかかると思っていたダビング。
調べると、思いのほか手軽に頼めると知った。
中でもここでは、少し割高にはなるが「特急プラン」にすることで、いち早くデータを送ってもらえるというのだ。
私ははやる気持ちを抑えることができず、迷うことなく「特急プラン」で申し込んだ。まずは、実家の保管場所の手前に置かれていた、5本のテープの見積もりをおくる。
すぐにメールで返事があり、梱包して早めに送るように指示がくる。

早い。思ってた3倍仕事が早い。

私は急いで段ボールに思い出を包み込んで送った。

到着次第すぐに確認してくれたのだろう。5本中4本がダビング可能であると連絡がきた。

実に「お荷物受け取りました」のメールから、わずか2日後のことだ。

4本分のダビングで確定とし、そこでお金が引き落としとなる。

4本の8mmビデオダビングで6000円ほど。
急がずに依頼すれば、この半額で済む。
この6000円で、忘れかけていた思い出を即座に回収できることを考えたら、私にとっては安いものだ。おそらく、ここに0がもうひとつあっても、私は注文していた。
いや、うそだ。そうなったらわからなかった。それはあまりにアレだ。ちょっとアレすぎる。
つまり、ダビングコピー革命であれば、お安く、美しいあの頃の思い出を買えるということだ。なんともなんともありがたい。

30年前後昔のものだから、もっと再生できないものも多いかと思ったが、素晴らしい業者と丁寧な暮らしを続けていたオカンに感謝である。

DVDやBlu-rayに落とし込む選択肢もあった。が、すでに我が家にはDVDを再生するものがない……ということで、私はクラウドでの納品を依頼した。
この便利な世の中にも感謝である。(空を見上げながら……)


そして間もなく、データにて、私の元にそれは届けられることとなった。

申込から、わずか1週間という驚異のスピードであった。

私はあまりの早さに感情の準備をすることができずに、しばらく思い出をクラウドの彼方にそうっとしておいた。




そして。
夫がトレーニングに出ていて、子どもたちが思い思いの遊びをしている、とある日。


キッチンで隠れるようにイヤホンをして、私は心して、その思い出を覗いてみることにした。
誰かと見たら、素直に泣けないと思ったからだ。
でもひとり静かな夜に眺めて、それらに父の姿がなかったら。
私は立ち直れない。そんな気がしたからだ。




まず、1本目。
ビデオタイトルに「長崎 里帰り」と唯一タイトルが書かれていたものだ。

今は亡き、祖父も映っている
思っていたよりも鮮明で、綺麗な映像だ

こんなに綺麗に映るとは。
私は即座に、その映像の鮮明さに驚いた。

これは祖母の一周忌の年の、お盆の帰省だろうか。
オカンは長崎出身で、農家を営むめちゃくちゃデカい戸建てに住んでいた。
その仏間もでかい。その大きな仏間やたくさんの部屋という部屋に、親戚一同が大集合していた。

カメラは、広い家をうろうろと回る。アップになったり、ぼやけたり。まだ操作になれていないような感じだ。


───『あれえ。こうするはずだけどなあ。おかしいなあ』


奥から、誰かの声がする。
…………これ、お父さん、なのかな?
随分若い人の声がする。
ううーん、でも、違う人かな……。

映像は今から28年前。ピンとこないのも、無理はない。
なにやら実感がないまま、私はそのまま再生する。


カメラは、いろんな部屋や、集合している子どもたちを順番に映していく。私のふたりの兄も映っていて、兄たちはカメラに気づくとすぐさま変顔をした。その当時の幼さに思わず笑ってしまう。
カメラマンのその人は、なにしてんだあ、とガハハと笑った。


そしてそのうち、小さな花柄のワンピースの女の子が映りこんだ。



その子が振り向いた瞬間。わかった。
小さい頃の、私だ。

素朴で、もちろん化粧なんてせず、癖っ毛を思うがままに放置している、こんがり日焼けした、小学生の私。
ちょうど、今の次女くらいだ。

このワンピースを覚えている。お気に入りだった。
傍らに次兄が立っている。
よく見えないが、ばっちりと変顔だ。

ああ、懐かしい。
小さい私は、そのカメラから逃げ回る。
今よりもずっとずっと内気で、恥ずかしがり屋で、写真も嫌いだった私。

そして、カメラマンは必死に、私を追いかける。




『お~い、しいも! こっち見て。こっち見てよ~!』





その声が、私を呼んだ。


その瞬間。
それまで不確かだったものが、私の中で鮮明に蘇った。




────ああ。
お父さんだ。
…………お父さんだ…………。



お父さんが、私を呼んでる。

私のこと。
大切そうに、呼んでる。
こっち見てって。言ってる。



「ああ……お父さんだ………」



私は、鼻の奥をぎゅうとつままれたような熱さをおぼえた。
そしてあっという間に、映像が涙でにじんで見えなくなった。



キッチンでひとり。
イヤホンを今一度耳にねじりこんで、何度も何度も巻き戻して再生した。


『しいも~』


父は私を、何度も呼んだ。


聞こえてるよ。
聞こえてる。


私は心の中で、その度に返事をした。





正直。
私は父に溺愛されていたと思う。
そういう自負がある。


私を呼ぶとき。
父は語尾を伸ばして、うしろに「💛」をつけて、いつも私を呼んだ。
私は当たり前のように、その言葉の端々から、いつも愛を感じ取っていた。


私たちの間に、「あなたを愛している」という言葉はなかった。そんなことは言われたことがない。
それでも。



私は家族に愛されている。



その確信が、この胸の中に今も残っていた。
それがあふれ出して涙にかわって。確かな温度を伴って。
音もなく、頬を流れていった。


そうだった。
お父さんは、私のことを、こうやって呼んだよね。


私は思い出に包まれながら、流れていく映像をこっそりと眺める。

お墓参りでの花火

長崎では、お盆になるとお墓の前で花火をする。
そして大量の爆竹やロケット花火をかまして、盛大にうるさくして過ごす。
散々花火で騒いだ挙句、その場でお弁当を広げ、まるでピクニックのように親戚一同で会食をする。

この流れを小さいころに経験していたので、それが当たり前のように思っていた。
が、それは地元神奈川県ではどうやら違うらしいということを、当時の私はもうしばらく後に知ることになる。

軽トラが来ているのに、おかまいなしである

しばらく、この花火と爆竹で大騒ぎする様子が映っていた。
私は怖がりで、花火も爆竹も苦手で、若かりし頃の母にずっとくっついていて、終止不機嫌ですごく嫌そうにしていた。(笑)


帰り道の車内で


長崎に帰省するとき。私たちは父の運転するワゴンで、神奈川の端っこの自宅から、車で丸2日間くらいかけて帰っていた。
当時はその旅が楽しくって毎年楽しみにしていたが。今思うと、運転手は父ひとりしかいないのに、2日間運転しっぱなしで、よくぞ長崎に行き来していたものだ。私は到底マネできない。
後部座席を倒して、3人でゴロゴロしている様子や、夜に並んで眠っている様子が残っていた。

寝ている我が子をつい撮ってしまうのは、いつの時代も変わらないようだ。



フェリーに乗り込む前の映像。
あるいはそのあと。

残りの3本。
そのうち2本は、小学校の運動会の様子が残っていた。父たちが必死に場所取りした桜の木の下でご飯を食べたり、当時の流行曲にのせてダンスをしたり、兄たちが騎馬戦や組体操をしていた。

今となっては、こういう競技自体も貴重映像かもしれない。

でも、たいてい撮影しているのは父なので、肝心な父の姿はやっぱり映り込まない。

まあ、声が聴けただけでもうれしいけどね。

私は思いながら、最後の1本を流した。





すぐに流れてきたのは、私の七五三の姿だった。

あまりにも今の私にそっくりな、母の後ろ姿

私は、この晴れ姿の自分よりも、オカンのこの後ろ姿にくぎ付けになった。
同じ神社で、長女・次女の七五三のお参りをした私。
そのときの私の姿に、あまりにもそっくりだったからだ。




長女の七五三のお参りに向かう、私と長女
前に義母、その前にオカンがいる
このとき私のお腹に、三男もいる


私。オカンにすごく、似てきたんだなあ。


うれしく、少し恥ずかしい気持ちになりながら。
私はお詣りに向かうひとつの家族を見守った。


受付を済ませて、ご祈祷が始まるまでの時間。手持無沙汰になったのか、興味本位か。カメラの奥から、長兄の声が聞こえてきた。どうやら、カメラを回しているようだ。

『しいも! こっち!』

声変わり前の長兄が、私を呼んでいる。私はそれに気づいているのかいないのか、フラフラとあたりを見回している。


そのうち、その様子を見かねた大きな背広の人物がやさしく、私の肩を抱いた。




『ほら、しいも! は~い! 映って、映って!』





恥ずかしがる私の、となり。

そこには
私の隣で笑顔でしゃがみこむ、懐かしい姿があった。


180cmの高身長。
アメリカンフットボールで、大学時代にラインとして活躍し、チームを全国優勝に導いたそのずっしりした体格。
純日本人なのに、そうは見えない色の黒さと歯の白さと彫りの深さ。


本当にそっくりだったので、私たちは父のことを、「小さいKONISHIKI」と呼んでいたくらいだ。
ほんとに。一体、なんのはなしかわからないが。




「……映ってた……」


私は巻き戻して、停止ボタンを押した。
そして何度も何度も、その姿を見つめた。



そこには。たしかに、父がいた。
今の私と同い年ほどの父とオカンが。


そわそわと順番を待つ、父
堂々としている、オカン
ボケっと地面を見ている、私


「何を観てるの?」

そのうち。
長女が私の様子を見に来た。
私は、涙を悟られないようにしつつ、そっとこの映像を見せた。


「あ!ばあばだ。若い~。変わんないね」
「この小さい子、ママなの? え~~かわいい~」


自分の知らない時代の家族の姿を見て、長女は楽しそうだ。

「この、ここに映るのが、じいじだよ。ママの、お父さん」

私は映像を巻き戻して、じいじを見せた。

そうなの?と、長女は、きっと思っていたよりも大きな大きなじいじを眺めた。


『しいも~』


映像の奥で、私の名前が呼ばれる。
大切そうに。
それを聞いて、私の娘が、笑う。
うれしそうに。


「あはは、すっごい、呼んでるね」
私を見上げるその顔は、私に、よく似てきた。



「……そうだね。すごく、呼んでるよね」


私も笑った。
また鼻の奥がツンと熱くなるのを感じたけれど、私は、泣かなかった。
この日私が泣いたのは、悲しいからではないと、わかっていたから。




もう一度会えるなんて。
もう一度、名前を呼んでもらえるなんて。
あの日の自分を、今の子どもたちに見せることができるなんて。



亡き父に。
また。会えるなんて。




父に最後に名前を呼ばれてから、18年が経つ。
その歳月が。
私の涙をあたたかいものへと変えてくれたのだ。






「ふふ。そうだった。そうだったね……」



その日。子どもたちを寝かしつけたあとで。
我が家のリビングで、私はオカンと、父の映像を観ていた。

「新しいもの好きだったからね。このビデオもすぐに買ってさ。なにかと回してたよね」
「うわーーー、この神社も変わんないよね」
「あ、〇〇おじさんだ。こっちは〇〇さん。そうそう、〇〇さんも来てたよね。あら、この子は誰かな……わかんないわ〜すっごい人数なんだもん……」


長崎編や、運動会編。いっしょに古い映像を見つめながら、オカンと私は父の声に耳を傾ける。


『しいも〜』


たびたび私を呼ぶその声に、オカンは顔をゆるめた。


「ふふ……そうだった。そうだったね……」


オカンはそう言って、ビールをひとくち、飲んだ。



私たちはその夜。泣かなかった。
ひたすら笑って、その映像を懐かしく眺めた。
おそらく、いろんな感情を留めながら。




私とオカンは、素直じゃない。
というか、素直じゃないオカンに、私が似たのだと思う。
弱さをあまり人に見せられないところも、そっくりだ。
だから私にはわかった。


オカンはきっと、心の中で泣くことを決めたのだ。
娘には見せない涙が、きっとあるはずだから。




だからこれは、今度パソコンごと、贈ろうと思う。


そしたらきっと。


オカンも素直に、まっすぐに。
愛する人と再会できるはずだから。




最後に少しだけ残っていた、
次兄の誕生日の夜。
手作りケーキを切る、若かりしオカン。
このエプロン、今も家に残ってる。



諦めかけていた思い出。
もう出会うこともないと思っていた人との再会。

「ダビング」

といえば、ひとことで済んでしまう業務なのかもしれない。


でも、この手段がなかったら。
私は自分が「あっち側」に行くまで、きっとその声を聴くことは叶わなかった。


だからこそ。
今回こうして再び現世で巡り会えたことに、感謝したい。





ねえ。お父さん。



忘れて、ないよ。忘れてない。
ほんとだよ!


正しくは、思い出した。
こんな声だったね。って。
バレたか。へへ。



────だって。



お父さんがあっちにいくのが、早すぎるんだよ。




でもさ。思い出せたよ。
だからもう、大丈夫。
つらいときは、また観るね。
いや別に。
幸せだよ? 幸せだけどさ。
悲しい夜は、やっぱりあるよ。



そんな夜に。また、会いにいかせてね。


ねえ、そしたらまた、私のこと。
いつものように、呼んでくれるよね?


愛されてるって。思い出させてくれるよね。


うん。
だから私。
大丈夫。
がんばるからね。



まだしばらく寂しくさせるけど。
待ってて。
待っててね。


また、その映像を通り越して。
あなたに会いにいく、その日まで。










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髙塚しいも|5児の母
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