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7月。「母だから無理」は、区民プールに沈めてきた
5児の母、shiiimoです。
このセリフを、すごく久しぶりに書いた気がする。
6月末。まだまだ明けそうにもない梅雨に嫌気がさしながら。
仕事して、子どもの世話をして、ああやっと寝たねとnote書いてお酒を飲んで。バドミントンの試合に出て負けて。反省会でまた酒飲んで、浮腫んだ顔でまた仕事へいく。そのうちに歳をとった。
私。この生活で十分だって思っていた。
7月に入っても、それは変わらなかった。
ただ、私の周りのnote界隈はどことなくざわついていたように思う。
「創作大賞」
7月の締め切りが近づきはじめたころから、様々な方のチャレンジ、そしてその想いがはっきりと「創作大賞」を意識していることを感じた。
noteを始めてすぐの頃。その「創作大賞」の話を知った私は思った。
「へえ。そんな夢みたいな話があるんだ。noteドリームだね」
つまり、縁のない話だとタカをくくって、遠くから傍観する人間を装うことに決めていた。とか言いながら。たまに「よく書けたんじゃない?」そう思った記事には、ハッシュタグの創作大賞をつけてみた。
まあ、もし夢のような話があるのなら……
そんなことを思いながらも。
毎日、子どものことに頭を悩ませては、その感情をnoteに押し込んだ。
それで、精一杯だ。と。言い訳し続けた。
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それらをいただくたびに、私の「母noter」としての心は満たされた。
子どもたちの不登校。発達障害。
それらに悩んだりすることもあったが、みんなの優しさに救われた。
なんてここは居心地がいいのだろう。それは本当に本心。
そう。これ以上は望まない。
そんなことを思っていた私は、衝撃的な作品を目にしてしまう。
彼女を密かにファンとして追いかけていた私。
タイトルを目にしてわかった。
彼女はきっと「あの」ことについて書いている。それも半端な気持ちではなく。
心して、読む必要があった。
みんなが寝静まった頃。しんとした部屋の中で読んだ。
心の中には、なんともいえない感情が渦巻いた。コメントになにかを残しておきたくて、でも、できない。と悟った。
私は、彼女の過去の苦しみの、その対極にいる人間だ。ちなみにそれは、どちらが上とか下ではなく、横軸の話。
私はいわゆる「子だくさん」の母として、その自分でnoteを書いていた。
noterとしての私のそれが、アイデンティティだと思っているからだ。
一方のめぐみティコさんは、「めぐみティコ」というエッセイストだった。覚悟を決めて、彼女はこの記事を残してから、そう名乗るようになった。
「創作大賞をとりに行く」と言った。
「紙の本を出す」と言った。
きっとそれは可能になるだろう。彼女の文章を読んだ誰もが、それを確信しているのがわかった。それは私も同じだった。
彼女の魂の叫びに、思いをはせた。
一体どれほど命を削って書いたのだろう。そう思った。
そして私は、この記事にコメントすら残せないと思った。
それは、私が「子だくさんの母」だから。正直、それもある。
どんな言葉をかけたらいいかわからない。私が彼女に何を言っても。
安っぽく響いてしまう。
何より。
「私にはこれだけの覚悟が伴っていない」
そう感じたからだ。
私はコメントを残すのをやめた。
代わりに、向き合おうと決めた。
「shiiimo」という自分自身に。
「もうこれで十分、やりきったのだ」
と、かつて小説でちょっとした賞をとった自分をいつまでも引きずり、
誰に対してなのかわからない弁明を繰り返しながら、
5人の母である自分にかまけて、
「忙しいからもうこれ以上は難しい」と
始まる前から諦めようとしていた。
まだ、私の物語を始めてはいなかったのに。
作品を拝見した翌日。子どもたちが楽しみにしていた区民プールに行った。
びしょ濡れになって遊ぶ子どもたちを眺めて、私は「母」として、おぼれないように、誰かにぶつからないように、走らないように。夫と手分けして子どもたちを見守っていた。
泳ぎを練習する小学生の娘たちと、水中にもぐって息を止めている最中。
どさくさにまぎれ、
「母だから無理」と言い訳する自分を、プールの底に沈めてきた。
私は「創作大賞」と「めぐみティコ」というエッセイストとの出会いをきっかけに。もう時間もなくなっていく中で、それでも。
自分を削って。
「shiiimo」として作品を生み出したいと決意した。
とはいえ、当然生活もある。時間は正直、足りてなかったかもしれない。
でも、私は、大変勝手ながら、命を削って記事を書いた彼女に恥ずかしくないものを自分も書きたい、と考えて。居ても立っても居られなかった。
「母だから」と言い訳する自分は、今や区民プールの底だ。
しかし私は、小説にしたって、嘘は書けない。自分とはあまりかけ離れた話を想像では補えない不器用な人間。だから、この主人公は母としての自分に近しいとは思う。ただ、けして自分ではない。
でも、書きながらなぜか涙が止まらないこともあった。早く救ってあげたい。そう思って書いた。
私はきっと、本性では、主人公のような報われない気持ちをどこかで抱えていたのだろうか。
書いていたものは違うけれど。めぐみティコさんもこんな風に涙を流しながら。自分を削って、生み出していたのだろう。いや。きっと、その重みははるかに計り知れない。それもわかっていて、これを今書いてる。
深夜に、そんな想像をしながら。自分の生み出した作品を救い上げる最後まで、駆け抜けた。
作品を生み出した私は、彼女に畏敬の念を示したくなった。彼女が「エッセイストになる」と宣言した記事で、「応援します」と残した。
彼女はすでに静かに、熱く、まっすぐ、先の先を見据えていた。そう感じた。
なんてかっこいいオンナなのでしょう、「めぐみティコ」とは。
ますます、ファンになった。
私は明日、また同じ区民プールに行ってくる。
そこで私はまた、「母としての私」に戻る。
5児の母としてのnoteを、また始めていく。
新しい目標も自分なりに立てた。
でももう、底に沈んだ「母だから無理」の自分は置いていく。
ひとりのクリエイター「shiiimo」として、これからもまっすぐに進んでいきたい。彼女のように。
あなたにきっかけをいただいた一人の「オンナ」として改めて。
あなたの夢を応援します。めぐみティコさん。
あなたのように、私、まっすぐには宣言できない。
でも、いつか肩を並べたい。
その想いは本気です。
どうぞ、これからもその熱い想い、聞かせてください。
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