犬が死んだ
実家の飼い犬が死んだ。シーズー、15歳8か月。
僕は現在、31歳。人生の半分を共にしたと言っても差し支えない。
そして、僕の人生の16歳以降は周囲と嚙み合わないものだった。
以前にも述べたかもしれないが、高校は進級に必要な日数をギリギリでパスしている。
その時、そばに寄り添っていてくれたのが犬だ。
ただ、ずっと一緒にいた。横に犬がいて、よく吠えて。
部屋の片隅で寝転ぶか、僕の横にひたとくっ付き、よく寝息もたてていた。
高校卒業の18歳までの日々がただ終わり、大学生活。
地元から遠く離れた東京の大学に進学。そして帰省するときの犬の有難み。
一晩夜行バスを耐えきった後の、朝の犬の香ばしい匂い。
犬に「ただいま」と言って、初めて地元に帰った実感が生まれた。
大学は休学した。色々あった。
ゲームセンター、コンビニの夜勤をしていたが、とにかく犬と一緒にいた。大学時代の友人は留学したり、インターンシップに行っている。
僕はゲームセンターのメダルコーナーで、ひたすらメダルを回収する。メダル詰まりを解消する。あとは家でアニメを見て、ギターを弾く。そして犬を撫でる。
大学に復学し、卒業後は無職になった。
その後、通信制の大学で教員免許を取得。しかし、教員採用試験も受けず、フリーターになってコンビニの夜勤を再び。
朝の6時に帰宅する頃に、犬は起きてくる。
その犬に「ただいま」と言う。犬は日中も寝る。僕の布団に潜り込む。
人の体温なんて久しく感じる機会はなかったので、生きているものの温もりを感じるのは唯一犬だ。
教員免許を取得し、地元の高校で常勤講師をする。実家までバイクで1時間とかからなかったので、犬によく会いに帰った。両親とももちろん話すが、犬と一緒に昼寝をすることが多かった。それが一番安心感があった。ただ、犬といた。それだけ。
なんだかんだあって、29歳の時に教員に正規採用された。
犬は両目が見えなくなっていた。
しかし、俺の声は分かっていたし、俺は帰省の度に散歩に連れて行った。
犬に会うために帰っていたようなものだ。そして、昼に横にくっ付いて眠る犬を撫でながら「あと何回会えるのか」と考えると涙が出た。
今年の正月休み、実家を出る際、犬の頭を撫でながら
「あと何回会えるか、これが最後やったとしたら。この小さい頭の、この皮膚越しの頭蓋骨の触り心地、こいつは今生きている。俺も生きている。俺は、生きている。こいつに次も会えるのか。俺は、この生き物を愛している。俺は俺の持てる愛があるのなら、全部やってしまっている。大事だ。この命は大事だ。こいつは俺の生存を支えてくれている。●●●ちゃん。」
そして実家を発った。その1か月後、母からラインが来た。犬が突然死したと。
俺は、これまで人に支えられていないと感じてきた。両親はいて、俺を助けてくれるし、支えてくれる。しかし、何というか。第三者、別のところから、俺を支えてくれる存在がなかったと思ってきた。
世話になった先輩は亡くなったし。
けれども、犬がいた。犬が俺とただ一緒ゆく。
この撫でる感触は、俺を支えてくれている。
今はいないが、俺はどうする。
犬は家族といえば、家族だが。第三者的な相棒だった。
高1の引きこもりがちの時に、急遽現れて、俺の一人の時間を邪魔し続けた。吠えて、俺のヘッドフォンを噛みついて千切り、そしてトイレを覚えずにあちこちにまき散らし。
犬に文句を言いながら、なんやこいつ、なんかええなと。
思い切り一緒に時間を過ごした。無駄な時間を過ごし続けた。
今思えば、最高に贅沢な時間だ。
犬、犬がいなくなった俺。俺はどうしようか。
頑張っていきますと言って、見守ってくださいと言うか?
もちろん、仕事は頑張ります。この仕事は俺がやりたいことだから。
けれども、なんというか。
完全に孤独にぶちこまれてしまった。俺は俺の生存を確保するために、何かしらの空間を生まないと、多分このままじゃ危機だ。
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