vol.1〜3までの記事で、地方都市の一つである浜松で編集者として働くことになるまでの経緯を、理想と現実との葛藤を含めつつ書いた。
では、そもそもなぜ地方で働きたかったのか。「ローカル」にこだわっていたのか。その理由は、私が過去に宇陀市で地域づくりを行う女性を取材した記事に詳しいので転載したい。記事の冒頭は当時の私の心境を書き写すことから始まっている。
取材当時私は29歳。大学院に進学したところで、まだまだ結婚や結婚後の生活について考える余裕のない時を過ごしていた。ただ、30歳を目前にして漠然と将来の不安を抱えていた。10年以上暮らしてきた東京ではあったが、このまま東京で結婚して家庭をもって子どもを育てながら仕事をするという未来に期待ができなかった。だからと言って、実家のある故郷に戻ることにもためらいがあった。「どこでどんな風に生きていきたいか?」と言う問いに対する答えには、このまま東京で、あるいは故郷に帰る以外の、何かオルタナティブな選択肢があるのではないか。ここではないどこかがあるはずだと夢見ていたのだと思う。
そんななか、少し年上の人生の先輩たちの選択を間近で見てきた。先の取材のように、地方移住をし、その地域の課題を見つけ、解決の糸口となると信じて様々なプロジェクトを立ち上げる人を、編集者の立場から何人も出会った。私が「地方で生きること」「地方で働くこと」に親近感や憧れ、新しい人生の選択肢を見出すようになった理由には、こうした地方取材やフィールドワークが深く起因していると言えると思う。
社会学者の宮内洋さんは、『“当事者”をめぐる社会学―調査での出会いを通して』の中で、「フィールドワークを行うものは、他者から話を真剣に聞き続ける中でも、フィールドワーカー自身がより一層、自分自身をも見つめることになる」と指摘している。私もその意味で松田さんのような移住女性を対象としたインタビューを通じて、自分と対話をしていたのだと思う。そして次第に地方移住へ期待を抱き、その意義と可能性を内面化していたのだ。