🇮🇳③ヨガ〜ガンジス川の火葬場にて
ー インド6日目 ー
あっという間に過ぎる日々。
今日は朝6時に起きた。
7時からヨガの予約をしたのだ。
日本では以前ヨガ教室に通ったり、ここ数年はYouTubeチャンネルを見ながら自宅でヨガをしたり、5月に行ったインドネシア(旅先)でもヨガクラスを受けるなど、
ヨガが趣味の一つになっていた。
先日予約をしたところ、
ヨガ教室が改装中のため、
今日はアパートの一室でヨガを受けることになった。
住所を調べ、リキシャで近くまで行ってもらうことに。
アパートなのか、古びたビルなのかわからない建物に入ると
早速駐車場にいたおじさんに呼び止められる。
203号室に入りたいんだ。
というと電話して確認が取れない限りここは通せない、的なことを言っている。
仕方なく、ヨガインストラクターへ電話し、事情を説明してもらうと無事に部屋まで行くことができた。
本当にアパートの一室という感じで入るのに戸惑ったし、もしかして、この駐車場にいたおじさんとグルなのでは!?とも思ったが、
悪そうな人ではなかったので、入ってみた。
海外に行ったときのこの人を疑ってかかる感じ、どこまで信用できる人物なのか見定めているような感じが、いまだに慣れない。
インドでは熱心に祈りを捧げる人が多く、この先生の部屋にも神棚のようなものを見つけた。
1時間ちょっと、みっちりとヨガを教えてもらう。
後半の30分ぐらいはひたすらに太陽礼拝を教え込まれた。
これは連続した12のポーズを取ることで、
一日の始まりに、太陽に挨拶し、その恵みに感謝するという意味が有るらしい。
簡単そうに見える動きだが、繰り返すとじんわりと汗をかき、
体中がほぐされ、巡っていく感じが心地よかった。
ヨガといえば先生の掛け声も重要なポイントだと思っている。
瞑想・呼吸の途中に先生が
「everything is slow」と言った言葉がなぜか「everything throw」に聞こえた。
「すべて捨てる」か。
英語の文法的には間違っているのかもしれないが、そう聞こえたのだ。
私には、すべての物事を一旦手放し、捨てろといっているように響いた。
いまの自分には捨てることが大事なのだと、
まるで神からのお告げのように深く心に刻まれた言葉になった。
教室のあとは先生がレモンティーを出してくれた。
またもや「睡眠薬入りだったらどうしよう」という思いが頭をよぎる。
以前タイでトムヤムクンスープを飲んだときに、強烈な眠気に襲われた経験から、睡眠薬に関しては、かなり用心深くなったしまう。
できる限り入口の近くのソファに腰掛け、レモンティーを頂いたが
結論何も起きなかった。
それどころか、先生は近くにあるインド料理屋まで教えてくれた。
レモンティーも美味しくてあっという間に飲み干した。
いい人だった。
ヨガ後、朝食を終えると、今日は新たな火葬場ハリシュチャンドラ・ガートへ赴くことにした。
火葬場の近くのガンジス川では沐浴する複数の人々。
雨季ということもあり、ガンジス川の水位もかなり高いように感じ、
川の水は濁りに濁っていたが、そんなのお構いなしに、入水し、頭からじゃぶじゃぶと体を洗っていた。
そこで、火葬場はこっちだよと教えてくれる現地男性に出会う。
ボコボコとした石の階段、不安定な斜面を登り切ると、そこには真っ黒な薪から煙が上がり死体を焼いているところだった。
人の肉が焼ける、独特な匂いがした気がする。
しばらくすると、花びらに囲まれた死体がちょうどガンジスの川岸から火葬場に運ばれていく瞬間に出くわし、そのまま火葬場までついて行って見ることにした。
親族や火葬場の人と思われる人々が薪を何十にも積み上げ、
そこに死体を置き、更に薪を積み上げる。
ガンジスの川の水を浴びた死体は、まるで生きている人が眠っているような感じがした。
白髪の小柄なおじいさんだった。
薪が積み上がると何かの液体を巻いたあと、
まるで藁焼きのように、日をつけた藁を薪の下にくぐらせる。
火葬場には何体かの死体が一同に燃やされており、
隣にある薪のてっぺんにある黒い塊は、人の頭蓋骨だったとその時に気がついた。
誰一人として泣いていなかった。
ただ淡々と火を燃やし続ける。
のぼってゆく煙に祈りを捧げながら。
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