🇮🇳⑤最終日〜日本へ。旅をしたことで見えてきたもの。
ー インド最終日 ー
早いもので、インドも最終日を迎えていた。
昨日下したお腹はタージ・マハルから出るとすっかり治っていた。
何が起きていたのだろう。
今日の、いや正確には日付を回った翌0時過ぎの深夜便でハノイへのトランジット経由し、日本へ帰国する予定となっていた。
そのため朝からアーグラからニューデリー行きの寝台列車で移動。
今回の旅はほぼ移動をしていた記憶がしている。
(インドは広いので日程には余裕を持って行くのがおすすめです)
アーグラの駅で、インド人の男の子に
「もしかして日本人ですか?」
と話しかけられる。
日本語の流暢さに驚くも、
彼らはインド人と日本人の女の子のカップルだった。
話を聞く限り、同じ飛行機の便で帰るらしく、
また空港で会えるかもですね、と言いながら別れる。
彼女はインドが好きで
既に3回目の旅になるらしかった。
彼とは日本で出会い、今回一緒にインドへ来たそう。
お互いに学生同士のカップルは仲睦まじく、
眩しかった。
ニューデリーにつき、最後のカレー納めはエアロシティという近代的なビルのフードコートで食べた。
ここには、綺麗な雑貨や洋服、レストランなどが入っており、インドにこんな綺麗な場所があったのかと驚くと同時に、
汚いインドを旅してきたので、Tシャツに柄ズボンというなんとも情けない格好をしている自分が恥ずかしくなった。
おしゃれな格好をした日本人の姿もちらほら見た。
そうこうしているうちに、
出発の時間は刻一刻と迫る。
空港につき、チェックインを済ませ、出国ゲートをくぐる。
セキュリティチェックでは、パスポートをカバンの中に入れた状態で荷物を検査に出してしまい、
身体検査時にパスポートを求められ、
手元にない、鞄の中にあるんだ、と
何度も空港スタッフと言い合いになりながら、
ヘトヘトの気持ちで30分以上かけ、
ようやくゲートを通過できた。
町中で何もお土産が買えなかったので、空港で何か紅茶でも買おうと楽しみにしていたのだが、
セキュリティチェックで時間が押したせいで、
ほぼ何も買えずに終わってしまった。
ここでもインドを感じ嫌気がさす。
飛行機の中でも、
携帯の音楽を大音量で流すインド人や、
彼女の隣に座りたいがために、
空席になっている私と彼女の間の席に図々しく着陸間際まで座るインド人、
それを注意もしない客室乗務員に腹が立ちながら帰ることになる。
「this is india」
といったイスラエル人の
彼のことばが何度も頭の中にこだましていた。
トランジットを経て、
日本に着陸したのは翌日朝8時。
まずは空港スタッフの優しさに感動。
トイレの清潔さに感動。
空気の綺麗さに感動。
ああ。帰ってこれたのだ。この日本へ。
と感じた。
深夜便のフライト、ハノイでの長時間のトランジットで空港のベンチで一夜を過ごすなど、
かなりの疲労感の中、腹だけは空いていた(正確には日本食を欲していた)ので、
その足で魚料理が食べられる定食屋さんへと向かい、
明太子ごはんを2杯もおかわりした。
うまかった。
うまーーーーと叫びたいくらい美味かった。
外へ出ると、
今までの景色から一変した空気が流れていて、
あれは夢だったのかしら、と本気で思った。
この数日間。
自分が感じた空気、匂い、景色はすべて幻だったのではないかと思った。
いま、夢から醒めたのだ。
ー 終わりに ー
生きているとはどういうことだろう。
生きるとは。
人も牛も山羊も野良犬も
すべてが道の上にいて
そこには何の優劣もない気がした。
自転車もリキシャもバイクも人も
みんなが道路を歩いている
信号なんて無い。
人は生まれて死んでいく。
そんな当たり前の現実を体現しているかのような旅だった。
「everything throw 」
すべての物事を捨てたとき
ありのままの自分になれるのだろうか。
インドに行く前、ある人に
「インドは呼ばれて行くんですよ」と言われた。
私は何に呼ばれていたのだろうか。
良いことばかりを書きたいわけではない。
隙あらばぼったくろうとしてくる精神性、
砂埃にまみれた汚染された空気、
安心して眠ることができない不衛生な宿など、
前述の通り、彼らのエネルギーに何度も何度もため息をつく旅であったのは事実だ。
インドの人の生きるエネルギーの強さを感じながら、
何度も生きていることを確かめて
確かめさせ続けられる旅だった。
帰国して何が変わったのかと言われると、そう大きな変化はないと感じている。
旅に出たからといって自分自身が大きく変わることなんてないとは分かってはいるものの、
自分の中にしっかりとインドが芽生えた気がしている。
多くを持たず、人と比べず、
日々を淡々と生きていくときこそ、
人間の本来の生命力が強く息づいていくのだと思った。
20代の頃から行きたいと願ったインドは、
私に生きることについて、身を持って教えてくれた気がした。
〈終わり〉
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