安息
(あの日からもう3ヶ月)
人間は身体のなかに、臓器とは別に壺のようなものを抱えてうまれてくるのだという。そのなかには「真気」というものが入っているらしい。いわゆる生命エネルギー、「気」というやつで、うまれたときは満杯。少しずつ使いながら生きていって、からっぽになると死んでしまう。
真気はとてもデリケートで、文字通り〈気を使いすぎる〉ともちろん減るし、びっくりしたり、肉体的にも精神的にも激しいショックを受けると、壺から大量にだだだっとこぼれてしまう。それはたいへんもったいないことだから、真気を無駄にすることのないよう、刺激はなるべく避け、おだやかに生きるのがよろしい―。
昔、何かの本で読んだこんな話を思い出したのは、12月に入るとすぐ、あれ、なんだかもう今年の分のエネルギーがちっとも残っていない、と感じたからだ。残り少ない今年のうちに片付けておきたいことがあれこれ頭に浮かぶけれど、なんせ肝心のエネルギーが在庫切れである。じたばたせず、ただ時間に身をゆだねて過ごそうと決めた。自分のなかの〈外に向かうために使うもの〉の全部を、早々にしまい込んで、ぴったりと扉をしめておいた。そういうものたちにも、たまには長めの休息をさせてやりたい。なにより急な〈真気駄々洩れ〉を、私は起こしてしまったのに違いないのだから。
11月の半ばに、ショックなニュースがあった。小学生の頃から私の心のアイドルだった人が亡くなったというニュース。信じられなかった。それから毎晩ライブ映像を観ずにはおれず、観れば涙が出てしかたがない。通勤電車でも曲を聴かずにはおれず、聴いてはやっぱり涙が出た。こんなことは初めてだ。
大人になってからはずいぶん長い間彼の音楽から遠ざかっていたけれど、何を隠そう、私はいまだに目尻がきゅっと下がっている一重まぶたの男性ばかりを好きになる。男前かどうかは意見が分かれるとしても、人の好さについては誰もがひとめで認める、そういう顔。これは、彼の面影が深く影響している何よりの証拠と言っていい。
理想の男性像としてだけではなく、彼のピアノが、声が、本当に大好きだった。
ピアノのレッスンが嫌で嫌で逃げ回っていた子どもの頃、楽しそうに足をばたつかせながら、鍵盤に指をたたきつけるように弾き、それでいてすばらしく繊細な音を出している姿を見て、ピアノってこんなに自由な楽器なんだ!と衝撃を受けた。譜面通りの〈正しい〉弾き方ばかり要求されるクラシックの窮屈さに慣れきっていた私は、自分も早くこんなふうに自由な表現で、思いのままに弾けるようになりたいと心から思った。私は周囲に比べてやや哀愁を感じさせる子どもだったのか、教師が選ぶ課題曲はなぜかいつももの悲しい短調の曲ばかりだったので、大胆に明るい音でのびのびと演奏するスタイルに強く惹かれた。
それからたくさんの曲を聴いたけれど、彼の曲の楽譜なんて簡単には手に入らなかったから、いわゆる耳コピで、うつくしい旋律の長めのイントロを真似てみたこともある。演奏技術は全く及ばないながらも、驚くような転調、巧妙な捻りうねりの繰り返しで、こんなマジックを仕込んでいたのかと思わせる構成になっていることだけはよくわかった。メロディも歌詞も、曲の世界が映し出してくれる空想の映像も、全てを身体にしみこませるように、何度も何度も、飽きることなく繰り返し聴いた。
昔、特に好きだったのは、「ゆっくり風呂につかりたい」というアルバムに収録されている「ときどき雲と話をしよう」という曲だ。
相当がんばりすぎたね/少し休もう/丘にすわり雲と話をしよう
優しいため息のような曲。こんなにも素朴であたたかい曲を、他に誰が書けるというのか。
たとえば/僕の存在が君の/重荷になるなら/その荷物も僕が/持ちます(「永遠」)
優しい曲を作る人は心が優しいのだと、単純に私は信じた。
中学時代は生徒会の役員をしていたので、学校行事のBGMは全て独断で彼の曲を流していたのだが、文句を言われたことは一度もない。みんな、「ほんっと好きだよねー」とからかいながら、それでいて、曲のタイトルを知りたがったり、CDを貸してくれと言ってきたりした。学年が違う知らない生徒にも、先生たちにもじゃんじゃん貸した。私が好き勝手な選曲をしたせい、いやおかげで、当時の在校生及び先生方は、〈大ヒットしたあの曲だけじゃない彼〉について、ずいぶん詳しくなったと思う。
ニュースのあとしばらくしてから、そんな中学時代の私をよく知る同級生から10年ぶりくらいに連絡があった。きっと悲しんでると思って。そう言って、昨日も一緒に帰ったみたいに話をした。長電話は日付が変わっても続き、いつの間にか電話のむこうでワインを開けていたその人は、ほろ酔いの眠たげな声で、ちょっと前の曲だとこれがすき、と「オー・ルヴォワール・パリ」を歌い始めた。呆れつつ、なかなか上手いと感心する。特に「Bonsoir Paris~」の歌詞の発音がやたらネイティブなのは、その人が今はフランス文学の研究者などという難しい職業だからだろうか。放課後の生徒会室でいつまでもおしゃべりをしていた頃の、その人の目尻、きゅっと下がった一重まぶたを、甘く思い出す。
おもいがけない電話、変わらない声で、私がすっかり忘れていた中学時代の私の記憶を届けてもらった。
真気をうしなっていた壺に、またたっぷりとあたたかい、優しいものが注がれたのがわかった。
うしなったものは戻らないけれど、ふたたびいつか出会うことも、きっとまだあるのだ。
人生で大切なことは/繁栄も衰退も幸運も失恋ももちろん死に際も/いかに趣があるかということだ
(「オー・ルヴォワール・パリ」KAN)
たったひとつの、静かな願い事。
闘病を終えていま、彼のたましいがどうか安らかでありますように。