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お灸を据えてやる。
眠る前のひととき、スーッと白い煙が立ち昇る部屋。しんみりした和の香りに恍惚とする・・・私の至福のとき、それはお灸タイム。
ツボが好きだ。売りつけられるやつじゃなくて、身体にあるツボ。小3のとき、母親が椎間板ヘルニアになり、しばらくの間 鍼灸院に通っていた。私は週に2回、小一時間をその小さな鍼灸院の待合室で過ごすことになった。親や先生は、退屈じゃないかと何度も聞いてくれたが、私はこの小一時間をかなりエンジョイしていた。壁に貼ってある大きな身体の絵-赤いてんてんで全身のツボが示されている-に興味しんしんだったからだ。
じゃあ待っていてねと施術室の扉が閉じられると、絵の前に座って、てんてんにそっと指を触れる。自分の身体のその場所に検討をつけ、親指でぎゅっと押してみる。おぉ、なんだか痛キモチいい。てんてん以外の場所では感じられないキモチよさ。なんだこれは。自分の身体がその絵に示されているとおりに反応することに衝撃を受けた。自分も知らなかった身体のひみつ!そのうち絵だけではおさまらず、待合室の本棚にあった『家庭でできるツボ療法』等の本を読み漁るようになった。合谷だの壇中だの口走る小3の娘に、両親は最初若干戸惑いの色を見せていたが、マッサージを頼むと私がかなりよいポイントを押さえてくるようになったため喜び、ツボ師と褒めたたえた。たまに交代して母などに指圧を頼むと、いくら場所を教えてもとんでもないところを押してくる。骨の上を全力で押してくるので、激痛である。ツボ押しもセンスが必要だということが分かった。
あの小3での出会い、ツボに対する知識と信頼感を得たことは、その後デスクワークゆえの慢性肩こり&片頭痛持ちという二重苦の人生を送ることになる私にとって、たいへんに幸福だった。お灸は本当に楽になる。手足の一点をじっとあたためるという素朴な行為がすき。最後にチリッと熱が強まるのは、「これで効きまっせ!」という、お灸からの頼もしいメッセージ。おばあちゃんちのような、地味な香りも落ち着く。あの香りの漂うなかで、いじわるなことやよこしまなことは考えられない。心動かさず、ただ鎮まるという時間の、なんと貴重なことか。最近はおしゃれな雰囲気のお灸本もあたりまえに見かけるようになり、やっと時代が追いついてきたかなどとひそかにほくそ笑む始末。
愛用のせんねん灸は、ムーミンの缶に溜めてある。いちばんソフトな竹生島(温熱レベル1~2)を長く愛用してきたが、最近ものたりなく感じるようになり、ひとつ熱めの伊吹を使用するようになった。私のツボライフは、今後ますます発展し、充実していくことだろう。