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やさしいひと
10年くらい前に、自分の書いた文章を初めて人に見せることになった。当時勤めていた美術系の大学の公開講座で、ライター・編集者のある方を講師に、文章講座というものが開催されていた。書くことは好きで、ずっと日記やら散文やら(詩やら短歌もどきやら)をこっそりノートにためていた私は、思いきってその講座に参加することを決めた。物書きのプロを目指す人たちが集まるような厳しい講座では決してなく、文章で表現する喜びをみんなで共有しましょう、というような趣旨のものではあったが、初めて自分の文章が目の前で知らないひとたちに読まれるということに、ひどく緊張をした。
その講座の先生も、受講生も、みんなとてもやさしかった。他人の書いたものを決してバカにしない。否定しない。否定しないというのは、なんでもかんでも受け入れるということではない。書くこと、表現することに対する真剣さを共有しているから、何が書かれていても、まず書き手の心情になる。なにを表現しようとしているかを本気で考える。そういう態度の人たちだった。
その態度に、私はすごくー癒されたのだと思う。回を重ねるごとに、その場がとても、心地よいものに変わっていった。固く握りしめていた手が、ゆっくり自然に開いていく。だいたい<書きたい何か>というのは、<自分自身にいちばん近いもの>だ。いつのまにか心に澱のようにたまってしまったこととか、あの日の空気や景色や、耳から離れない声だとか。なんにも着ていない、なんにも持たない状態の自分の、それでもいちばんそばにあるものー。手放せないもの。それを安心してさらけ出せるなんて、耳を傾けてもらえるなんて、空気を感じて、景色を一緒に見てもらえるなんて、なんてやさしい世界なんだろう。
いままた新たな場所で、書くことの勉強をしているのだけれど、あの初めての講座の会場のことをいつもいつも思い出す。ことばを、書くことを、表現するひとを、決してばかにしてはいけない。これは自分が書くものに対してももちろんだ。<ことばの力を信じること>。こう書いてしまうと青くさいけど、あのやさしかったひとたちは、いつもほんとうに信じていた。ただただひたすらに、信じきっていた。