今度、君にいつ会える。
不穏な日々。寝込むほどではないけれど体調がいまひとつ。頭がぼわぼわするようなめまい。Twitterのタイムラインを追ってスクロールすると、酔うようなめまい。週末は携帯を触らずに過ごそうと思っていても、radikoや、Spotifyや、インスタライブなど、結局たくさん使ってしまう。ひとりの空間で誰かの声とつながれて、とても助かるのだけど、このちいさなメカの発光さえ疲れる気がして、裏返して使う。
GWの最終日に、いぐさのラグを買った。冬の間使っていたもこもこのラグを片付け、夏仕様に替えたらすっきりしただけでなく、いぐさのいい匂いがうれしい。忘れていた、夏の匂いだ。目を閉じてころころ、寝っ転がってばかりいる。
いぐさラグのまんなかに仰向けに寝っ転がって、すこし開けた窓の外が暗くなるのをカーテンも引かずに待っていたら、涼しい風が吹いてきて、昔のことが思い出された。昼間の日差しの名残を、ゆっくり冷やしていくような夜風。緑の匂いが混じっている。こんな夜が、いくつもあった。
仕事が終わったあと、その人の部署の部屋によくもぐりこんだ。隣に座って今日一日の話をした。こんなことをした。こんなことが、できなかった。 年齢は一回りも違ったから、私の話はその人にとってつまらなかっただろうし、私の態度もすごく子供っぽくうつっていただろうなと思う。ちょっとばかにしたように、それでも愉快そうに、いつも話を聞いてくれた。「おまえなぁ~」と呆れながら、叱りながら、仕事のことをなんでも教えてくれた。自分にも他人にも厳しい人で、周囲には破天荒と思われていたけど、その人のエネルギーは、強い反面とても繊細なものだった。誰かと激しく意見をぶつからせた後、青白い顔をして不機嫌に黙り込んでいるのをよく見た。ぜんぶむき出しのエネルギーは時に危なっかしく感じられて、いつかボンッと音をたてて壊れてしまうんじゃないかと、怖かった。そんな私の心は知らずにその人は、お前と俺は、出来の悪い生徒と家庭教師のようやな、と言って笑った。いつまでも、もう帰ろうと言いたくなくて、遅くなった夜は、地下鉄の駅まで送ってもらった。白いフォルクスワーゲン。駅がうんと、北海道くらいまでも遠ければよかったのに。
その人と話した夜は、いつも身体が透明になったみたいだった。その人が発した言葉の粒は、私の細胞の隅々までうるおして、指の先まで信じられないほど軽やかにした。その人といると、二人の間に湧き上がる親しい空気が、ただただ仲が良くて大好き同士だという それだけの空気が、うれしかった。緑の匂いの夜風のなかで、だから私はとても自由だった。いつでも安心して甘えて、守られて、のびのびと大好きでいて、自由だったのだ。
仰向けに寝っ転がったまま、天井のオレンジの光をみつめていると、時間はあっという間に過ぎてしまう。意識が部屋に戻ってくると、あれは夢だったのではないかとすら思う。遠い時間。半袖から伸びたその人の腕と、きれいなかたちの喉仏は、すごくリアルに思い出せるけど。 お互いをとても好きであっても、離れようと決めなくても、離れてしまう別れがあること。あの頃、初めて知ったのだったな。
流しっぱなしにしていたSpotifyから、友部正人の乾いた歌声が聞こえる。 ー今度、君にいつ会える 今度、君に、いつ会える(『夕日は昇る』)
その一言を、聞けないままに別れて遠き、遠き人。 過ぎた時間は、夢のなかのように、いつもリアルで少し悲しい。