産みたい人が産んで育てられるのがいいよねと
感想的なもの書いてみました。
お金がいくらあっても、キャリアを優先したいために生みたくない人もいるのでは?の意見なども見受けた。
結論:生みたくない人は問題にせず(自由なので尊重)、産んで子育てしたいと思う人がお金の心配なく産めることが最優先なんじゃないかと思いました。産みたいけれど経済的余裕がないから産めない理由が解消されれば出生率はかなり上がるのではないだろうか。。
ゼロリスクについて。
昔は当たって砕けろの信念がスポーツでも仕事でも恋愛でもあったらしい。つまり、何でも積極的で行こうぜ見たいな考え方こそリスペクトされる感があった時代ですね。今はリスクをいかに避けられるかの考え、効率的であればあるほど良しとされている考えが当然になりつつあるので、恋愛や仕事に対しても、自分がリスクを負うことに対しても、避ける傾向が。
それは当然なことだと思う。なので、100%の成功が見える恋愛でなければ、いくらときめいた人がいても、リスクヘッジしてしまうんだなと番組を観ていて思った。相手の事を思えば思うほど、繊細になっていくのは当然でわかるわぁの理解の面もあったりする。恋愛ゼロリスクの成田さんのご意見はご尤もであると伺えた。自分と自分と相手、さらには相手の周囲の(ライバル?)関係を俯瞰し、客観視できていることになるのだから。
SNS、YouTube、インスタグラム、TikTokみていてもイケメンイケジョ(外見的なことだけでなく、恋愛に対して積極的、楽観的、モテメン、モテジョも含みます)が当たり前でそれで目が肥えてしまっているため、リアル人間に対してときめきが無くなるのは当然な現象だとも思う。男女とも相手に対するスペックが異常に高くなるのだなと。そうなると、リアルイケメン、イケジョ、モテメン、モテジョというか、恋愛に関して積極的な人々だけの参加による恋愛の宴、場になってしまい、それが延長、固定化すれば結婚する人々もそういう傾向になり、未婚率もあがるんだろう(イエローモンキー風に)。
そして、現代はきっと女子も当然社会進出思考なので、恋愛適齢期であっても恋愛している暇無いワとなれば、ますますゼロリスク派は増えていき(どちらも)未婚率、少子化はデジタル化が進展すればするほど高くなると予想。
成田さんは、本来人間は子供を産みたくない、面倒な子育てを経済的リスクを負ってまでしたいのだろうか?と疑問されていました。
独身貴族と言う言葉もあるように、独身でいること、つまり人間としての楽しみを1人の時、それは若者時代か中年時代かはわかりませんが、1人で見つけてしまったのなら、そこからリスクを負ってまで結婚の橋を渡ることに抵抗がある考え方は不思議でもない。一方で、独身貴族の中には、積極的に一人になりたい理由以外に、無理に2人になるよりも1人のほうが気楽だとか、さらには、2人になることを諦めて1人でいる場合もあると思う。
そして、特に女性に関しては、女性がまだ家事や育児の主体となっている現在は、日々仕事から帰り、クタクタなところに家事や育児をこなせないよと思う人もまだまだいると思います。そんなの無理だよね、しんどいよねと言ったものなら、その人のキャパが不足してるからだ、我慢が不足している、みんなやってるのにそんなの我儘だよと言われてしまう、考えられてしまうことも無いとは言えないでしょう。時に生理的な問題を抱えている場合、結婚は自分にとってリスクが多いイベントとなるでしょう。そういうケースは消極派となり、相手はもちろん、自分の周囲の理解が進まなければ結婚しなくてもいいやとなり、逆に、結果的に理解が進めば可能な芽を追いやることにもなります。理解がないと、元気がないと疑問視したり、機嫌が悪かったり、寝込むと苛立ったりするパートナーもいるわけで。
相手と自分の相性や自分の中のトキメキ度以外の問題による恋愛したくない、結婚したくないもあると思います。そういうケースも含めて、恋愛や結婚に対してなぜか積極的になれない、縛られたくないと思って自己の意思でそう思う人はそれはそれで自由でいいと思う。
恋愛や結婚に対してリスクヘッジを優先させるがゆえに一歩出来ないケースの対策を考えていました。その1つの理由として、成田さんは人間を追い越して、デジタルはどこまでも発展していくので、バーチャル外での恋愛はどんどん難しくなっているとおっしゃっていました。
かがみ餅子さんの一句、潔さがにじみ出ていて素敵な句だなと。でも、自分事となると戸惑うの、分かります💦あぁ難しいったらありゃしない。
一方、デジタルの限界みたいなことを知ることになれば、じゃあ、人間って愛しいよねとなり、余計に人間回帰みたいなことが起こります。それが、若者と呼ばれる時代に気付くことになれば、晩婚化は防止できるんじゃないかなと。デジタルが進化しても人間は何ら変わらないと。人はイメージが現実なので、当然、デジタルに慣れてしまい、そういう世界がリアルだと思いがちになります。単純な例では、加工していない風景や写真と万全に加工したのとの違いです。メイクしている時とノーメイクの時の違いほどに驚くのかもしれません。わんにゃんでさえ、デジタルに出てくる子は可愛いキュンタイプばかりですからね。でも、それに比べて(比べちゃいかんのにね)ウチの子は・・・となりますが、既に家族で会ったり、恋人であればそれはそれで愛着があります。問題は、その関係性になっていないことにあります。そこからあえてトキメキがないのにどうして恋愛、結婚になるんだろうかという危惧なんだなと。確かに強いメリットがないとデジタルで十分だとなりそうですね。
デジタル最前線の若者達が人間回帰に気付くのは難しいでしょう。
より高度なより簡便なツール、方法、リスクヘッジをとるため、リアルにときめくことに対するハードルはきっと面倒もふくめて高くなるんだろうと思いますが、それを阻止するのも不自然な気もします。
ところで、少子化防止に焦点をしぼり心がける必要性みたいなのを考えてみました。
・家事と育児の均等配分の考えの浸透
・デジタルよりリアル重視の考え
・デジタルより人重視の考え
・トキメキよりも安心重視の重要性
もちろん、そんなことわかってるワ~イとおっしゃる方は読み飛ばしていただいても全然構いませんし、失礼致しましたとなります。
ちなみに、家事育児の均等配分の考えとは、家事や育児を夫と妻が均等に分けてこなすという意味でもありません。当然、多くの夫婦の経済事情は大黒柱は旦那さんとなっているのでしょうから。そうなると、じゃあ、同じだけ稼ぐこともしなければいけなくなり、社会の給与システムの構造自体を変革、さらには男女の格差をゼロにする取り組みも早急に必要になってくるでしょう。もちろん逆のパターンもあるとは思います。考え方としての話で、本来、家事や育児、さらには収入も責任領域として均等にあるという理解ですね。それがあると無いとで日々の幸福度みたいなのが変わりさえすると思いました。なので、必ずしも2分することを意味してはいません。
恋愛、結婚ゼロリスクに戻ります。
デジタル技術が進化するに反して、人の心はデジタルに追いつくどころか、太古の昔から変わらないので、その距離に対して違和感をもつことの防止策も個々のケアとして必要になる気がします。
じゃあ、恋愛や結婚に対して消極的にならざるおえない場合、不a安となります。ところで、リスクヘッジをすることについて、いろいろなケースがあります。
・考えることすらしない
・考えても勝ち目がないのでヘッジする
この2つは似て非なるものです。
考えている場合、アタックして砕けるよりも心は苦しくなるのではないでしょうか。なので、ゼロリスクをとることについて、必ずしも挑戦すらしていないのにとか、考えているだけでは駄目ちゃんなどの考えは禁物で、逆に物凄く思考を回転させていると思います。大切なのはその苦悩を理解することで、認めることではないかと。
一方、打たれ強くなることで諦め以外に何かが得られるものでしょうか。
女性棋士のインタビュー番組。負け過ぎて、負けることに抵抗がついたそうです。そしてそれは対戦以外でも発揮されているそうで、少々のことではめげにくくなったと笑い話されていました。
確かに、負けに対する忍耐を実績と捉えた場合、忍耐力は付くでしょう。でも、恋愛や結婚の場合、試合に敗れるとは深さが違うと思いました。試合に敗れることで、恋愛や結婚に対しても忍耐強くなることはあってもいいし、ありうると思いましたが、その逆だとあまりにも心的リスクが大きいのではないかと。ここも個人でそれぞれで、恋愛や結婚をどうとらえているかにもよりますが。ゲーム感覚でさっぱり割り切れるタイプなら仕事も恋愛も結婚も同じだと言えるのでしょう。でも、心と行動について、行動の原動力として考えたりしている場合などもありますし、自分と相手の優先度合いによっても試合やプロジェクトに取り組むことと、恋愛や結婚に積極的になるとは2枚の〇が1つに見えるところに始まり、少しずつずれて、離れてしまうくらい別物だという考え方もあるからです。
一方、当たり散らして失恋ばかりすることによるメリットのようなことはあるでしょう。例えば、恋愛に対して嫌気だらけになれば、もう恋愛には向いていないと思えるので、それ以外の事に積極的になれます。ポイントはあきらめるではなく、向いていないと思うことです。スポーツも向き不向きがあるようにです。
でも、それでもやっぱり心的リスクは大き過ぎると言えます。それが出来たら何ら問題なしとなりますし。
戻りますと、出来るだけ傷つかないように、リスクをヘッジ、どんどん進んで最後はゼロリスクをとることは何ら不思議ではありません。誰だって負け試合に臨む人はいないでしょうから。そして、その考えに対して、自分でそう思っているだけだというアドバイス、強引な気がします。なので、積極的になれない人に無理強いしたり、諦めちゃいけない、幸せを追求するのは当然なことなんだと励ますのは時に太陽と風の風なんだなと。そこも難しいところで、その励ましがあれば積極的になれる場合もありますから。
大切なのはゼロリスクから99%リスク、90%リスク、60%リスクとハードルを下げていくことで、その方法は自分が変わらない限り、妥協しか方法はなく、自分の視点や思考が年齢や何かの理由で変化すれば変わる可能性もあるんだなと。
おや、そう考えるとたとえゼロリスクをとって積極的になれないと思っていても、そうじゃない時も訪れることになりますね。
ところで恋愛ゼロリスクで成功する人以外のケースが長期化すると孤独感を持つことにもつながります。そうならないための対策として、同性婚も認めるべきだと思いました。これは少子化対策にはならないかもしれませんが、番組内で金沢大学の教授がおっしゃっていましたが、学生の時に相手がみつからないと生涯孤独な考え方もあるそうなのです。それだけ若者も学生時代のクラスやバイトでの出会いを逃したのなら、会社員になってからはなかなか出会えないと悟っておられるとのことでした。
もしそうなったとしても、もし生涯孤独だと思ったとしても、同性婚が認められていれば、孤独はもちろん、孤独感も今よりは回避できるのでは?と思いました。
この場合の同性婚の効果と言うかメリットは、いわゆる同性婚を認めてほしいの話題になっている同性婚とは全然ニュアンスが違うかもしれません。孤独をヘッジするための対策としての同性婚なので。
さらに言えば、きっとこういう形で籍を入れる人はほとんどいないかもしれませんね。ですが、教授のおっしゃっておられたように、一度はもしかしたら一生孤独なのかもしれないと危惧したときや、老後に配偶者に先立たれたらヤバイななど、ふと思う漠然とした孤独感につながりかねない不安や恐怖に対する歯止めというか、そんなことないよねとかのリスクヘッジとしての選択肢として。
さらに言えば、孤独「感」の防止システムの1つとしての選択肢と言う感じです。年齢、国籍、時期は自由ですが、そこへ性別の自由も加われば、結婚の形は循環的になり、自由度があがるイメージ、想像力を広げるための選択肢というか。色々考えているうちに、それならこっちのほうがいいや、とか、こっちでもいいかなとか。いや、これもいいねみたいな形で自分にとって最善の選択ができる手段の1つとして広がるのかなと思いました。
少子化問題、恋愛ゼロリスクのAbema Plusを見ていて外野席、いや、場外からもやもやとなり、なんとなく書いてみたらおぉ長文。
今日の自由律俳句
また明日 別れた後で雷雨
もしかして雨女?
でもないらpい、ヤタッ🍦🍨アリガトウゴザイマス
全身全霊で楽しそう🤣🌺🎉👏
絶妙さが凄ぃっ🤣🌻💝👏
大どんでん返し🐶でごわしたっ🤣🍎🎶🎉👏
それでは聞いてください
マツケンサンバを思いだす華やかさ、ダンスふわキレイてか、速いっ🌈🧩
てにおは。。◦
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