FAMILY VISION
感動の卒園式を終え、小学校にあがった娘。ピカピカの1年生、ワクワクするような楽しい毎日が待っているはずだった・・・
子どもクラブで起きた事件
入学式より先に、子どもクラブ(放課後に行く学童)に通い始めた矢先、お友達とのトラブルが起きた。保育園から大の仲良しの友達がいるのだが、ふたりの仲を引き離そうとする子がいる。月曜日はAちゃんと遊ぶから、Bちゃんは遊べない、火曜日は~と勝手に決めて、みんなで遊ぶのはダメ。一緒に遊んでいても楽しくなくなると、やっぱりやめると言い出す。ありもしない嘘を平気でついて、友達を傷つける。先生やお母さんの前ではいい子ちゃんを演じるため、表に出てこないところで言葉の暴力による陰湿ないじめがまかり通ってしまう。子どもたちにとっては、目の前の交友関係がすべてで、先生に言いつけられると怯え、萎縮し、こういうものなのだと嫌な気持ちを抑え込み、我慢し、この理不尽なルールや支配下を気づけば当たり前のように受け入れてしまう。あれしていいかこれしていいかお伺いを立てながら、制限され、どんなに窮屈だったことだろう。よくよく聞けば、今始まったことではなく、保育園の小さい頃から積み重なったものがあり、まわりの友達は麻痺しているのだ。これはおかしい、声を挙げなくては!
子どもとの向き合い方
娘に異変が起こりはじめ、ストレスからくる蕁麻疹は全身に広がり、食欲は細くなった。一日中泣き続け、情緒不安定、子どもクラブには行けなくなり、学校も嫌。こんな時のために、チアダンスやガールスカウトの習い事で、学校以外に居場所をいくつも作っておいたのだけれど、嫌な気持ちが連鎖して、何もかも前向きに取り組めない。辛いんだねと気持ちを受けとめる、なぜなぜと何が嫌なのか具体的に理由を聞く、ひたすら励ます。大人4人がかりで向き合ったし、プロのコーチに娘の話を聞いてもらったり、あの手この手でできることは全てやったがどうもうまくいかない。子どもクラブの先生に相談したら、すぐにいじめっ子とお母さんによくないと伝えてくれた。本人の口から5人程名前があがり、やってしまったことを認め、謝ることになった。のだが、給食の時間にAちゃんだけに謝りに来て、ふざけた態度でごめんねと言葉を投げ捨てるように、反応する間もなくスキップで去っていったそう。しかも、ひとりではなく何人か引き連れて来た、その子たちは同じ被害者なのにごめんねと一緒に謝らされたのだ、一体なぜ?
いざ、小学校に出陣(空回り)
娘と話し合い、学校にかけあう事にした。交通安全教室のボランティアに行った時、校長先生と立ち話をして、校長室にいつでも相談に来てというので、本当に来たのだが、残念ながら不在で改めてアポをとった。その時に学年主任でいじめっ子の担任の先生に話せたのだが、「お母さん、いっぱいいっぱいだったんだね。大丈夫?」と子を心配するあまり行き過ぎたよくあるクレイジーな母親が来たという感じの対応をされた。話を聞いて欲しいわけではなく、承認して欲しいわけでもない、ただ解決がしたいのだ。
保育園からの助け舟
まずは、母親としては状況把握が必要だったため、保育園にアポをとり、園長先生や当時の担任の先生から状況を聞いた。自分が見たこと、娘から聞いたこと、今起こっている事、すべてつじつまが合い、その子に対する理解は深まった。幸運なことに、園から小学校にすぐアクションを起こしてくれ、経緯や先生がみるべきポイントなど細かに伝えてくれた。園で築いた信頼関係と、大好きな先生たちを頼れて、本当に心強い。
小学校の先生との話し合い
アポイント当日、学年主任に対して「今日は、〇〇先生に具体的なお願いがあってきました」と切り出した。娘とどうしたらいいか話し合いを重ねた結果、すべてが嫌になっている原因は、お友達にされたことがトラウマになっていること。そこにてこ入れをしなくては気持ちは晴れず、子ども同士ではこれ以上どうにもならないため、学校の先生、しかも厳しく、怖いベテランの学年主任兼担任からいじめっ子にきつく言ってくれたら、本人は真剣に受けとめてやめるだろうということに(娘の観察力よ)。
さて、経緯を伝え始めたのだが、関係者が多く複雑で、私の話は誰かから聞いた話と伝わってしまい(だから娘本人から説明させて欲しいと事前にお願いしたのに)、「それは誰が言ったの?それはお母さんの意見でしょ?お子さんはどう思っているの?」話が一向に進まない。しまいには、母親である私がひとりで騒いでいるかのような言いようで、本当はママといたいのに、母親が仕事で忙しくて家にいないのが問題なのでは?学校も一緒にいつでもついて来て、と問題をすり替えられてしまった。それは不安な状況から来る結果論であって、問題の本質ではない。
それは自分らしい振る舞いか?
信頼するママ友にも相談して、無理して学校行かせることないよ、一度学校も子どもクラブも遠足もついていったら?ということで、一日私も学校体験。朝の会、1時間目の授業を受けて、休み時間子どもたちと腕相撲したり手遊びをした。放課後の子どもクラブでは、自分の娘そっちのけでみんなと一緒に体育館で身体を動かした。それ自体は楽しかったし、子どもたちの環境はイメージができたのだが、これから毎日付き添うのか?それは私の役目か?翌日は遠足だったのが、本当に遠足についていくのか?自分に問うてみて、それは自分の哲学ではない、私らしいやり方じゃない。遠足なんて言ってしまえば楽しいだろうとわかっていたし、辛くても前を進む、行動あるのみ、信じているからチャレンジされるのが私のモットー。先生たちにも、クラスのお友達たちにも、ついていってあげたら?仕事がそんなに大事か?と言われんばかりのバッシングの目を浴びながら、バスに乗る直前まで泣く子を置いて、空港へ車を飛ばし、飛行機に飛び乗った。誰から何を言われようが、私は私。仕事は大好きだし、それ以上にもう膝を突き合わせて缶詰め状態が続き、立ち止まっていても新しい解は生まれない。落ち着いて今後のことを考えるためにも、ひとりの時間が必要だった。自分のスタンスを貫いた自分を誇らしく思う。
破壊と再生
先生たちと話す中で、今解決しようとする生き急いだようなせっかちなところや、常に全力で打てる手は打ったけど、そういうことじゃないずっと一緒にいるみたいなロジックじゃない感情的な寄り添い、自分自身の弱さと向き合わされた。この数週間、どれだけ怒りと涙で感情を爆発させたか。弱さをさらけ出し、アンラーンすべきは私なのか?一度は木っ端みじんに砕け散ったのが、そこからが私の本領発揮。見てろよ、この社会。
子どもの可能性
一連の流れを受けて、娘のことをこれ程誇らしく思ったことはない。相手の気持ちを尊重しながら、自分たちでなんとかしようと頑張る姿。一度は先生に相談するも、誰々ちゃん(いじめっ子)のこと嫌いなの?と言われ、いじめっ子が先生の前で泣き、自分が悪いかのような状況になってしまったこと。どの先生ならちゃんとわかってくれるか?どのお友達が対等に嫌なことを嫌と言えるか?言いなりになっているか?すべてよく観察し、わかっている。自分の言葉で、かなり詳細に意思を伝える姿には、母親ながら圧倒される程だ。そんな彼女の可能性の芽を摘むようなことは、絶対にしたくない。
自分たちらしい新しい解を作り出そう
嫌な気持ちはどうやったら断ち切れるか?ずっと考えてきた中で、物理的に距離を置くことが一番効果的なのではないか。私自身が学生時代悩んだ中で、海外へ出たことが大きな転機になった。その瞬間、世界の家族たちの顔が浮かぶ。真っ先に浮かんだアメリカコロラドにいる家族のような、メンターであり、心の内を打ち明けてきた大切な人に連絡をとった。英語にすると、なんとシンプルなんだろう。あれこれ考えるより、先に感じる方へ。「I am so happy to hear from you! Ron and I are in agreement that you and Coco are most welcome to come for a visit anytime.」いつでもおいでという歓迎に、じゃあいつ空いてる?と話しが進み、パスポートの更新やフライト予約、次から次へと身体が動く。まだ何も決まってはいないが、困難な状況から、何か新たなものが生まれようとしている。それにワクワクしてたまらない。