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わたしのコロナとの向き合い方

先週の日本の感染者数が世界一になったとWHOが発表したこの頃、わが家にもついにコロナの嵐がやってきた。

子どもが保育園でウイルスをもらってきてしまったようで、元気がなく、少しいつもと様子が違ったので、念のため病院へ(残念ながら楽しみにしていた園の夏祭りは不参加)。受診した時には熱は下がっていたのだが、有無を言わさず検査をされ、結果的に陽性となった。

陽性が出てしまったからには、次に考えるべきは人にうつさないこと。家族、特に80代後半の祖父母と暮らしているため、彼らにうつさないことを最優先課題にした。そのため、すぐに実家を離れ、母の家を空けてもらって、子どもとふたり隔離。5歳の子どもといると、家の中で別々に過ごすことが難しく、県のHPに記載のあった基本的な対策を取りながらも結局べったりに。病院から処方された風邪薬(カロナール)を飲ませて、とにかく自宅療養。2~3日して保健所からようやく連絡があり、聞き取り調査フォームが送られてきて、それから1日して調査の電話があった。その当時陽性者は10日間の自宅療養、濃厚接触者は5日間の自宅待機というルールで、特にその後のフォローアップはなく、自分で期間が終わったら学校や職場へ戻っていいとのこと。何度かやり取りしたが、同じ管轄でも情報共有はされておらず、行動履歴を紐づけできているとは思えず、とにかくひっ迫した様子だった。子どもの症状は、2日程経って熱も下がり、頭痛と腹痛もおさまり、食欲も元気もすぐに戻った。

ママはいっつも大丈夫、大丈夫って、我慢して言わないよね。

その間、実は私も若干微熱がでて、喉の痛みや風邪っぽい症状があった。ただ、家族の看病があり倒れるわけにはいかず、わざわざ病院へ行って検査をするより、家にある風邪薬で様子を見ながら大人しくしている方が賢明だと考えた。自営業で、オンラインの仕事がメインなので、特に陰性証明書を提出する必要もない。コロナになるかもしれないことを恐れているより、むしろウイルス漬けの環境で、当然私は感染しているだろうという前提で動く方が、次のアクションが明確で気が楽になった。

こうして一山超えたと思った矢先、なんと濃厚接触者だった母が発熱、陽性になってしまった。数日の時差で、家庭内感染が進んでしまったことを悔やんだがなってしまったからには仕方ない。ちなみに、母の職場では、3人チームのうち3人とも陽性で機能しなくなってしまった。コロナ禍での人手不足の現場の課題は深刻だ。またもや、実家の高齢者リスクが高まってしまうため、母を迎え、3人の隔離生活が始まった(療養施設も問い合わせてみたが、保健所からの連絡を待っていると数日経ってしまうこと、また長期にわたるため自分の家の方が気楽だろう)。

そして、また数日経って、一番恐れていたことが起こった。祖父母に症状がでた。私は若さゆえの体力や気力で乗り切れる部分があるが、高齢であることでウイルスに打ち勝つことができずに、もうこのまま一生会えなくなってしまったらと、心配で心配で居ても立っても居られない。病院は行かないと、頑固に自分で頑張ろうとする姿は、誰かさんとそっくり。知人に教えてもらった薬局でも手に入るカロナールやロキソニン、症状に特化した(我が家はみんな喉の痛みに苦しんだ)風邪薬でなんとか凌ぎ、心がザワザワしながらも様子を見た。ひとまず重症化リスクは避けられ、回復傾向でなんとか無事で一安心(子ども以外全員、ワクチン3回接種済みだったことはよかったのかもしれない)。念のため検査キットも手に入れたので、しばらくお休みにしていた散髪屋で、営業再開する際の安心材料になる。お客さんから「いつまで休んでるんやのー?」と電話がかかってくるそうで、待っていてくれる人がいるのはありがたい。「仕事ができないのが、何より辛い。」のだそう。

ママは、いつも自分で決めちゃうんだから。

何がいいのか、正しい解は誰もわからない。色んな情報がある中、自分の頭で考え、心で感じて、自分にできることをする。病院や保健所、政府のせいと他人任せにせず、冷静に、自分の身は自分で守る。また、自宅待機中に、薬や食材など届けてくれた親戚や友人たちには本当に支えられて、感謝しかない。美味しいケーキの差し入れや、オンラインで話を聞いてそばにいてくれた優しさがどれだけ心強かったか。恐れを手放して、覚悟したおかげで、また少し強くなれた。

本当は今週、祖母の地元福島へ、お墓参りを兼ねて、大勢の兄弟たちと集まるために連れて行こうと計画してた。夏のビックプロジェクトは叶わなかったけど、機を改めて、必ず実現させたい。

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