朝劇が衝撃的すぎて思わずnoteをはじめた話
もし今「あなたの残りの人生の時間をどう使うか」と質問されたら、迷いなく「朝劇を見ること」と答えるだろう。
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今朝、俳優の友人、長内映里香が出演するということで、朝劇「朝日に願え」をみてきた。朝劇とは別名「プルミエ公演」というらしい。
「プルミエ<premier>とはフランス語で【一番最初の】という意味です。1日の1番最初の時間を朝劇で過ごす。その意味を込めて朝の公演をプルミエと名付けました。」 朝劇 銀座「朝日に願え」パンフレットより
朝9時から、銀座の本物のバーを使って行う、「その」バーが舞台の劇。スナックバーのママのひとり息子である朔太郎(大学生)と従業員(中年サラリーマン)常連客2人(若手の高校教師の男性・若手のSEの女性)の4人で描かれる人間模様。
そのストーリーは、ある日ママがくも膜下出血で倒れ、延命治療で生かされている状況にあるという設定ではじまる。このまま生かすかのかそれとも治療をやめるのか―。その決断は、一人息子の朔太郎に託された。
しかし朔太郎はというと、世の中の優柔不断な男子を代表したかのような性格の持ち主。誰に謝っているのかもわからない「すみません」を連発している。そんな彼にイラつく若手の高校教師。一方で、生き返る可能性を捨てきれないと吐露する朔太郎に、あらためて共感を寄せる若手の女性SE、どうにか場を落ち着けようとする中年サラリーマン従業員。そんなやり取りが、ママが先日までいたであろう本物のバーで展開される。
紆余曲折ありながらも、最終的に朔太郎はある決断をする。そして、そのあと彼は急にすっきりした様子を見せる。まるで別人のように。
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もし私自身が、母の生死を決める状況になったら、どうするだろうかー。その視点に立つと急に体がこわばわる自分に気がつく。「決断」というテーマに対する実に興味深い設定だ。
きっと私も、朔太郎のように「もしかしたら何かの奇跡が起こって急にしゃべりだすんじゃないか」という可能性にかけたくなるだろう。もし体温のある母の体に触れたら・・・延命治療の中止なんてそもそも選択肢になるだろうか。。。
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一方、この劇は、ある大学生の成長ものがたりであるとも受け取れる。普段、教育について考えることが多い私は、以下のセリフが最も印象に残った。それは劇の終盤、従業員であるサラリーマンが、一見芯の強いママが実は息子の教育についてはいつも悩んで泣いていたという事実を息子に示したあとのセリフだ。
「この決断がママからの最後の教育だと思って。君が決めなさい。」
子どもという存在が独り立ちするにあって、もっとも決定的なのは、この「決断」― 自分で意思決定する力じゃないかと私は考えている。だから、とても印象に残ったのだ。
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劇が終わったあと、私はバー(劇場)を出て、役者の皆様とごあいさつを交わし、エレベーターで1階に下りた。まだ開店まえで暗く奥まったその場所から、メガネ屋と靴屋の間を通って大通にでた。光量が一気に増える。
そして大通りを歩きだすと手が震えていた。なんだか東京の醍醐味を全身で感じていたから。はじめて朝9時から、はじめてバーで、自分史上最小人数の観客で、4名の役者の劇を、2時間弱、鑑賞した。その値段、3,500円・・・。
なんて贅沢なんだろうか。こんな贅沢な時間があっていいのだろうか。これが「東京」なんだろうか。テレビや動画が当たり前、編集が当たり前の時代において生のエネルギーが伝わる演劇の価値は、いま一層高まっていると私は感じている。
そう、さきほど引用したパンフレットには、続きがあった。
「近い未来、プルミエ・マチネ・ソワレが普通の時代になるように、流行から「文化」へと育っていくように願いを込めて・・・」
もし朝劇が文化になったら、面白いことがたくさん起こる気がした。
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朝劇 銀座 「朝日に願え」
昨・演出、谷 碧仁/演出、大野清志、長内映里香、佐瀬弘幸、田名瀬偉年/プロデューサー、野村龍一/企画・製作、朝劇/会場 Studio Marilyn (銀座)