国際離婚 パート3 ゲーム会社との出会い
ゲームの世界
ワーホリ直後に行った専門学校にはマルチメディアデザイン科のほかに3D科というのがあり、まだまだケベックにゲーム業界がそれほどあったわけでもなかったのですがそこに一緒に行っていた日本人の友達がUBISOFTという会社に勤めていました。
一方、私は昔からの友達はルームメートとなり、時給10ドルでしたが彼が働いている駆け出しのゲーム会社でメニューを作る仕事をさせてもらえることになりました。
日本人なのである程度ゲームをやったことがあったりゲームのことは知っていたけどゲームの世界とは一切無関係で、ゲーム業界の用語が全く分からずゲームデザイナーはアーティストと思っていました。
ゲームの仕事をするので専門学校時代の友達と連絡を取り、いろいろ話をするうちに5-7という仕事仲間とする飲み会に読んでもらえるようになりました。
5-7
仕事が終わって仕事仲間とちょっと飲みに行く、サンクアセット、5時から7時までという飲み会に誘ってもらうようになりました。
正直当時のゲーム業界は男子ばかりだったので、女子よんでよ~という感じで呼ばれたんだと思います。
当時UBISOFTという会社はナルトのゲームを開発しており、日本人の担当者もいたので日本に興味がある子も多かったです。
UBISOFTとはフランスの会社なのでフランス人もたくさんいますがゲーム業界の歴史が長いイギリスやアメリカから来ていた人もたくさんいました。
クビになる
自慢じゃないけど会社をクビになったのは後にも先にもこの時だけなのですが、ルームメートが務める会社をクビになったのは働き始めて数か月たった時でした。
原因は、資金不足と、フランス語。
当時働いていた会社はいわゆるインディといわれる会社で、学校時代の友達が集まって作った会社でした。
フランス語は全く分からないわけじゃないのですが仕事では全くつかえない。それをルームメートは当時の社長に隠していました。
まあ当時の社長も日本語が軽くできたし、将来は日本に進出したかったみたいなので多少できればと思って雇ってくれたと思うのですが、フランス語しか話せない同僚もいて多分その人たちに迷惑かけたのだと思います。
クビになっても仕方なかったのですが、資金不足だったので1か月分の給料も出ず、、、、
後になってクレームを入れたので払ってくれたのですが、少しの間、普通の社会人になれた時でした。